第二話⑪
「ガーク、今日は引き上げよう」
「え?」
「このままアヴァリュートさんを説得したところで、話は平行線をたどるばかりだろうし、さっきみたいなことをされたら、俺たちの身がもたない。時間はたっぷりあるんだ。また明日も一緒に来てくれると助かる」
「……ああ、わかった」
返事をする前に間があいた。ガークは納得していないんだろうなと感じた。
俺はとくにそれを追求することはせず、節々が痛む体を奮い立たせ、なんとか立ち上がった。時間はたっぷりあると言ったのは、ガークをむりやり納得させるための方便だ。この状況を改善するのに早いに越したことはない。
「だ、大丈夫か、コタロー!」
ガークは、足取りがおぼつかない俺のそばに寄って、体を支えてくれた。すまないと、つぶやくように詫びる。
『ロイメン、二度と、貴様のその面を見せるでない。命を奪わなかっただけ、有り難いと思うがいい』
アヴァリュートの悪態を背に浴びながら、俺たちは洞穴を後にした。
「コタロー、ほんとうに大丈夫なのか?」
こもれびの杜に帰る途中、またしてもガークが尋ねてきた。ただし今度の「大丈夫なのか?」は、俺の体を心配するニュアンスではない。ガークとアヴァリュート、それに竜族の行く末と、俺のメンツを憂いての疑問だった。
「一度でガツンと決められなくて、すまなかった」
ガークは俺の体を心配してか、洞穴からずっと俺を背負ってくれている。背中越しに詫びると、ガークはああ、と頷いた。
「デリケートな問題なんだ。個人のパーソナルスペースにズカズカと踏み込んでいって、本人の考え方を変えようと説得するのはな」
「そうなのか」
空返事。ガークはたぶん、意味がわかっていない。
「強引にことを進めるわけにもいかないし」
「コタロー、ぱーそなるすぺーす、というのはなんだ?」
やっぱりわかっていなかった。カマをかけて話を先に進めると、ガークは耳慣れない言葉をたどたどしく口にした。
「ガークは俺を初めて見たときに、すげえ警戒してただろ。いま、俺に対する態度とは大違いだった」
「ああ」
ガークが頷く。歩きながら話しているので、彼の息づかいが言葉に混じった。
「そのとき、どう思った? 『どこから来たのか分からないロイメンが、オレたちの集落に侵入しやがって』みたいな感じで俺のことを警戒したんじゃないか?」
「集落に仇なす者が現れたかもしれない……と思って、いつでもオマエを排除できるよう、警戒したまでだ」
そっぽを向いて言う。俺は背中越しにいるから目が合うことはないのだけれど、彼にとっては気まずかったのだろう。
ガークが地面に落ちていた木の枝を踏み折る音が森に響く。虫の鳴き声が止まり、頭上ではバサバサと、なにか羽根をもったいきものが飛び立つ音がした。日が暮れて、辺りは暗くなり、なにがどこにあるのか全く分からない。元いた世界では、町には街灯があり、夜になっても辺りは明るく、特別不自由することはなかったから、暗闇のなかを彷徨うのは右も左も分からない世界に放り込まれたようで不安な気持ちになる。
いまはガークが俺を運んでくれているからいいものの、これが一人だったら、俺は果たして迷わずにこもれびの杜まで帰れただろうか。
「それと似たようなもんさ」と、俺は話を続けた。「いきものの心にも縄張りがあって、誰だって知らない奴になれなれしく近づいてこられたら警戒する。べつになれなれしくなくても、仲良くもない他人に自分のことを色々と指摘されたら嫌な気分になるだろ」
「それが、ぱーそなる、すぺーすということか?」
「本人が、他人に近寄られるのが嫌な距離……って感じだな。その距離は本人の性格とか性別や国籍、相手とどれだけ仲良しかってのが関係してくる」
初対面のときはあれだけ俺を警戒して、喋り方まで違っていたガークは、今は俺を受け入れ、背中に背負って運んでくれている。それは彼が俺とのパーソナルスペースを随分と縮めてくれたという、なによりの証拠だろう。
「じいちゃんはコタローを警戒していた。だから、コタローの話もまともにきいてくれなかったということか」
「アヴァリュートさんと俺のパーソナルスペースを縮めることにより、俺の話ももしかしたら聞き入れてもらいやすくなるかもな」
「だとしたら、どうしたらいいんだ?」
「地道に……俺がアヴァリュートさんと会うしかないな」
「では、オレもコタローに付き合うぞ」
ああ助かるよと、俺は頷いた。付き合って貰わにゃ困る。俺の脚力じゃ、あの洞穴には行けないからな。
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