第二話⑨

「コタロー、なんだか面倒なことになってしまってすまない」

 ガークが口を開いたのは、森の中を二人で並んで歩いていたときだった。俺が筒原さんと話をしているあいだ、こもれびの杜の前で待ってくれていたガークだったが、俺と合流をしても、ぺこりと会釈をしただけで、口を開くことはなかった。怒っているのかなと思っていたが、どうやら向こうも同じことを考えていたようだ。ガークが詫びてきたときの口調は、随分と低姿勢だった。

「もう少し円滑に話が進むものと思っていた。折角コタローがオレたちを助けてくれようとしているのに……」

「気にすんなって。デリケートな問題だ。それに突然、俺みたいな奴がのこのこ現れて、突拍子もないことを言うんだ。誰だって懐疑的にもなるさ」

「……でもオマエ、怒っているだろう」

 ガークはそう言って俺の顔を覗き込むように見てきた。俺はふるふると首を横に振る。

「お前たちの何に怒るって言うんだよ。不甲斐ない気持ちは俺だって同じだ」

 いかに自分が申し訳なく思っているかを二人で比べるかのように、俺たちは互いに様子を探り合った。

 長老が幽閉されている洞穴に行く崖は、またガークの背中にしがみついて降りることになった。突然彼が発狂して、俺を崖の下に突き落としたらどうしようという思いがよぎったが、まずそんなことは起こり得なかった。


『また来たのか、ロイメン』

 長老のもとに二人がたどり着いたとき、薄暗い洞穴に長老の声が反響した。

「また来てやったぞ、長老さん」

 胸を張る。長老の目が俺をとらえる。はじめにここに来たときはおっかなかったけれど、今はなんとも思わない。

「じいちゃん……」

 ひたひたと足音を立てて、ガークが長老のそばによった。洞窟の岩場は湿っていて、どこからかピチョン、ピチョン、と規則正しい水音が聞こえてくる。

 湿度が高く、蒸し暑いなと思った。

「お願いがあるんだ」

 ガークは、後継者としての立場ではなく、孫として長老におねだりをするかのような口調で話を切り出した。「ここから出て、もう一度オレと一緒に暮らしてくれないか」

 長老が絶句したのが、雰囲気でもわかった。俺はごくりと唾を飲み込んで成り行きを見守る。

『正気か、ガーク。お前は今、自分が何を言っているのか自覚しているのか』

「してるよ。でもオレ」

 ガークが言葉を続けようとしたときだった。彼の発言を阻止するかのように、凄まじい風が吹いた。俺の足元がふわりと舞い上がり、よろめきそうになるほどの風圧だった。

 目の前を、一瞬にしてガークの体が横切ったかと思うと、次の瞬間には、彼は洞穴の岩の壁に全身を叩きつけられていた。

「ガーク! ……おいジジイ! おまえ、自分の孫に何やってんだよっ!!」

 頭にカッと血が昇る。ガークは胸の前で腕をクロスさせ、咄嗟に防御の体勢をとったようだった。だが、岩壁に体がめり込み、ゲホゲホと苦しそうに咳き込んでいる。

「ぐっ……、コタロー、オレは大丈夫だ……」

 ガークは小さな声で言った。ガラガラと瓦礫を地面に落下させながら立ち上がる。ガークの体のかたちにめり込んだ岩肌。俺だったらタダではすまなかったかもしれない。

『それでも儂の後継者か。自らの私情を優先させ、一度取り決めた決まりごとに異を唱えようとするなど、罪深き行為だと知れ!』

 長老は片翼を振り、風圧でガークを攻撃したのだと分かった。戒めの鉄槌代わりというわけか。ガークほどに体を鍛えたガタイのいい男でも、耐えきれずに簡単に吹き飛ぶのだ。翼のひと振りだけでも、それが無慈悲に振り回されれば、周りに甚大な危険が及ぶことは容易に想像がついた。

『ロイメン、唆したのは、己だな』

 長老の矛先が俺に代わる。さっき悪態をついたせいか。一度やると決めた以上、俺も後には引けない。介護の鉄則のひとつに、「本人の意思を尊重する」というものがあるが、それは竜族の場合でも同じことだ。俺たちが長老の生活を良くするためには、まずは彼自身に納得してもらうのが先決だ。

「待て! 待ってくれ! じいちゃん! コタローは関係ない!」

 ガークは慌てふためいてそう言ったが、関係ないことはないだろう。俺は心の中でツッコミを入れる。

 ガークばかりに背負わせるわけにはいかないと、俺も覚悟を決めた。

「ガーク、長老の名前は?」

「え?」

 なんで今そんなことを聞くんだと言いたげな視線が向けられる。

「いいから。教えてくれよ」

「アヴァリュートだ」

「ありがとう!」

 名は体を表すという言葉がある。それにしても随分と大仰な響きだなあと思いながら、ガークから聞いた長老の名を、頭の中で反芻していた。

 俺は長老に向き直る。ガークがそうされたように、俺も長老の片翼の一振りを食らって壁に叩きつけられるかもしれないなと思った。だがここで怖気づいていては、何も始まらない。介護する側とされる側の信頼関係を築くためにも、まずは俺が長老に歩み寄る姿勢を見せるんだ。

 長老——アヴァリュートは再び翼を振った。風圧だ。今度は俺にもわかった。咄嗟に横っ飛びでそれをかわす。だが、次の瞬間に俺は地面に足を取られ、転んでしまった。

 なんだ? と足元を見る。地面がぬかるんでいたのだ。地面の湿気が高い。

 そうか、長老が風で起こす気流は、この洞穴の中を満たしている空気の流れを乱し、小さな水溜まりやぬかるみを生み出していたのだ。洞窟内に湿度の高さを感じたのもそのためだろう。

 俺はすっ転んで岩肌に頭を打ちつけてしまい、目の前にチカチカと星が飛ぶような錯覚をおぼえた。だがここで倒れるわけにはいかない。すぐに立ち上がり、アヴァリュートに向かって駆け出す。

 俺の突飛な行動に面食らったのか、アヴァリュートは一拍、動作が遅れる。

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