第一話⑪
「……オレはじいちゃんと、もっと一緒に過ごしたい」
長い沈黙のあと、喉から絞り出すような声でガークはそう言った。自分の中から竜族の長老の後継者という立場を剥いで、彼が紡いだ本音だった。
長老は目を丸くした。目は口ほどに物を言うという諺があるが、俺は長老の感情を目の動きだけでしか推しはかることが出来ない。それでもガークの言葉を聞いた彼の心が非常に揺れ動いたのを、目の当たりにしたような気がした。
「嫌なんだよ、じいちゃん。……オレたちで決めたことなんだけどさあ。じいちゃんが独りぼっちでずっとここに閉じ込められてるって考えたら、夜も眠れないんだ。今、どうしてるかな、寂しくないかな、またじいちゃんが混乱して困っていないかなって考えると、風の音がしただけで心がギュッと痛くなるんだ。ああ、なんでオレたちはこんな結論を出しちゃったんだろうって、毎日毎日悔やんでた。でも他に方法も思いつかないし、オレがころころと考えを変えたら、一族に示しがつかないし……。オレ、馬鹿だからさ、どうすればいいか分からなかったんだ……」
ガークの本音は、決壊したダムの水のようにどんどんと溢れ出てきた。肩書きが見え隠れしていない正直な言葉は、どんな刃物よりも深く、聞いた者の心に突き刺さるものだ。
『我儘を言うな、ガーク。貴様の一存のみで、一族がひとたび決めたことを覆すことはできない。それはわかっているだろう』
「一存じゃなかったらいいのか?」
ガークに助け舟を出す。ガークは今まで俺の存在を認知していなかったかのようにびくりと肩を震わせた。
「ガークの一存じゃなくって、一族の総意だったなら、この状況を覆せるってことでいいんだよな?」
長老は肯定も否定もしなかった。歳をとると頑固になるというのは人間も竜も同じのようだ。
『儂の頭がおかしくなることによって、今までどれだけ一族に迷惑をかけたと思っている』
やはりそこに引っ掛かりを感じているようだ。これまで一族の長として責任を持って生きて来たのに、自分がおかしくなったせいで、その立場や威厳すらも今は危ぶまれている。おそらく今こうして俺たちと会話できているのは、すこぶる調子がいいからであって、病気の程度によっては、あとになって俺たちと会ったことすら忘れてしまっているかもしれない。そんなふうには見えないが。
ただ、そんなふうに見えないのは、人間のじいちゃんばあちゃんも同じだ。その場ではちゃんと俺たちと会話が成立するし、洗濯物畳みひとつとっても、俺なんかよりもよっぽど手際がいいから、「この人は本当に認知症なのだろうか」と疑問に思うことも多々ある。彼らと長く関われば、いろいろな弊害が出てくるのは事実なのだけれど、いっときの関わりであれば、多分、認知症だと言われなければ気が付かないだろう。
「ガーク、おまえの気持ちはよく分かった。……きっと悪いようにはしないからさ、今回の件は、俺たちにも協力させてくれないか? 介護のスペシャリストとして、役に立って見せるから」
ガークは俺が介護士だと知って、興味を持って俺をここに連れてきたのだということは、もはや明確だ。俺も自分が役に立てるのなら、彼らの問題を解決するために尽力したいと思っている。
「いいのか、コタロー」
ガークが問うてきた。俺よりも長い年月を生きてきたはずなのに、今の彼は見た目どおり、年端もいかぬ少年のようにしか見えない。切れ長の目を丸くして、涙まで浮かべている始末だ。それだけ、彼は自分の祖父を大切に思っているのだろう。
「勿論だ。その代わり、おまえたちの領地に俺の職場が建っていること、許してくれよ」
ガークは長老を見る。長老は顎を地面につけて、再び目を閉じていた。どれほどの年月を、長老が生きてきたのかは知らないが、何事にも動じなさそうなこの竜にも分からないことはある。それは明日の自分がどうなっているのかということ。たとえ今日生まれた赤子であっても、幾千もの日々を渡り歩いてきた老人であっても、『現在』を超えた先にいる自分の姿なんて分からないのだ。
自分が死ぬときまでこの洞穴に幽閉されることを望んだ老竜は、昨日までは見えていなかった未来に歩み出そうとしている。彼はいま、心に芽生えた一抹の希望をじっと噛み締めているのかもしれない。
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