第一話⑩

『童』

 長老に再び呼ばれた。

『ガークから聞いたが、貴様は儂のとった選択に懸念を抱いているようだな』

 自らここに幽閉されるのを望んだことを言っているのだ。だが、俺にそう聞いてくるということは、心のどこかでは自分がとった選択に疑問を抱いているのではないか。

「長老さん」名前を聞いていないので、そう呼ぶしかない。「あなたは時々、自分の記憶を無くしてしまったり、他の人たちとは違う世界を見ちゃっていたりするんですよね」

 長老の目が開いた。

『左様。自分でもよく分からないのだが、そうなってしまうと、儂は途端に自我を失ってしまうようだ。散々、同族の者に迷惑をかけているというのに、我に返ったとしても、そのことを忘れるのだぞ。貴様には儂の歯痒い想いなど分からぬだろう』

 分かるよ、とは言えなかった。俺はこの職に就いてから、何人もの認知症の年寄りに出会ってきたけれど、いまだに当事者が抱く苦しみや無念なんて分からない。きっとそれが分かるのは、自分も同じ立場に立ったときだ。

「長老さんの気持ちは、ごめん、分からない。でも、介護士の端くれとして、言わせてもらいたいことはあります」

 俺は言葉を切ってガークを見た。彼はじっと俺と長老のやり取りを聞いている。

「長老さんが抱えている症状によく似たものと日々向き合っている人たちを、俺は今までに何人も見てきました。その経験をもとに助言をさせてもらうと、このままあなたがずっとここにいるのは良くない。状況はもっと悪くなっていく一方です」

 認知症の年寄りは何をするか分からないから。勝手に外に出て、自分がどこにいるのか分からなくなって戻ってこられなくなるから。一人にしておくと家の中を徘徊して、しまい込んでいるものを全て出して散らかしてしまうから。そういう理由で認知症の人たちの行動を制限してしまうこともある。

『儂は皆に迷惑をかけぬよう、自衛しているのだ。それの何が悪い』

「長老さんは竜族だから、俺たちとは違うのかもしれないけど、人げ……ロイメンの場合、ボケちゃった人を閉じ込めちゃうと、余計に状態が悪くなるんです。ガークから話を聞いた様子だと、俺たちロイメンと長老さんの症状はよく似ているから、きっと対応方法も同じだと思います」

 長老は鼻から大きく息を吐いた。それだけで周りの砂塵が舞い上がる。俺が着ているシャツも、ひらひらとはためいた。

『では、貴様ならどうする』

「それを考えて、年寄りの生活を支えるのが俺の仕事っす。……こういうことは早急に結論を出すんじゃなくて、ゆっくりと時間をかけて考えていくのがテッパンっすよ」

 長老はそのとき初めて頭を上げた。俺の話にようやく興味が湧いたのだろうか。

「長老さんが、竜族のみんなに迷惑をかけたくないって気持ちはよくわかります。俺たちだってできれば、自分の不甲斐ない行動で他人に迷惑をかけずに生きていきたい。……若者も年寄りも、それは同じなんです。だけど俺たちが生きている以上、誰にも迷惑をかけずに過ごすってのは、不可能に近いです。だからどうせ迷惑をかけるなら、みんなにその『迷惑』に慣れてもらったほうがいいと、俺は思うっすよ」

「あ……」

 ガークが言葉を落とした。俺と長老の視線が、彼に向く。

 ガークは指先をわきわきと動かしながら、思いを紡ぐための言葉を探しているようだった。いや、きっと彼の中で言葉は見つかっている。それを口にするのを躊躇っているのだ。人は自分の立場を慮って、湧き出た感情に蓋をしようとすることがある。ガークのいまの状況は、おそらくそれと一緒だ。

「ガーク、言いたいことは言っておいたほうがいい。ここにはお前のじいちゃんと俺以外、誰もいないからさ」

 助け舟を出す。ガークは長老のたった一人の孫として、いまはその座を継承するために生きている。ガークがこれまで俺に見せていた言動は、その立場を示すために、そして後継者としてしっかりしなければならないと自分に言い聞かせるために、敢えて荘厳な言葉遣いをしていたのだろう。

 ガークは困ったように眉を潜め、ごくりと唾を飲み込んだ。俺と目が合い、その表情に緊張がはしる。大丈夫だぞ、ガーク。そう言って、俺は頷いてみせる。


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