第一話⑨
暗い通路を歩き続けると、やがて急に視界がひらけて、鍾乳洞のような空間が目の前に広がった。ぴちゃんぴちゃん。水が滴り落ちる音が聞こえてくる。おそらくは岩肌から滲み出たそれが地面に落ち、水溜まりを形成しているのだろう。
光が遮断された空間だというのに、ガークはまるで周りが鮮明に見えているかのようにキビキビと動いていた。俺はガークの元から離れたとしたら、たちまち迷子になってしまうだろう。
その時だった。視界の前方から、グルルルという唸り声が聞こえてきた。
「長老だ」
俺が僅かに慄いたのを感じたのか、ガークはそう言った。
暗闇に目が慣れてきたのか、ようやく俺にも周りの様子がぼんやりと見えてきた。基本的には、灰色の岩に埋め尽くされているが、よく観察すると岩陰などには僅かに雑草が生えている。さらに、所々に苔むした岩があった。
長老はその岩陰に造られた鉄格子の向こうに、巨体を横たえていた。体高は俺の身長と同じくらい。寝ている状態でそうなのだから、起き上がればもっと大きいだろう。頭から尻尾の先まではガークの身長の三倍くらい。なるほど、この竜があの集落で闇雲に暴れれば、被害は尋常ではないだろう。
長老はトカゲのような頭をしていて、俺のイメージ通りの竜そのものの姿だった。外殻は灰色でゴツゴツしている。随分と硬そうな鱗で覆われているなと、俺は思った。表面は乾燥しているようで、無数の皺が刻まれていた。
長老は俺たちを一瞥したかと思うと、すぐに興味をなくしたように目をつぶってしまった。どうやら、あまり歓迎されていないようだ。
俺はガークの後に続き、鉄格子の近くまで歩み寄った。ガークは長老の岩に片手を置き、もう一方の手で俺の方を指さしながら、何事かを長老に向かって喋った。すると、長老はゆっくりと瞼を上げ、俺とガークの顔を順々に見た。
どうやら俺を品定めしているらしい。しばらくすると、長老は頭を持ち上げた。そして、もたげた頭を地面に近づけると、また目を閉じた。
「大丈夫なのか?」
長老の姿をみとめた途端に漂い始めた緊張感に怖気付いて、俺は思わずガークに口走っていた。
「案ずるな。今の長老は落ち着いている。オマエが灰燼となることはないだろう」
「まあ、それはわかったよ。でも俺をこんなところに連れてきて、ガークは何がしたいんだよ」
「オマエが戯言ばかり言うから、長老の口からはっきりと、現状を受け入れているということを示してもらう。そして……」
ガークは言葉を切って呼吸をした。
「オマエたちがどこから来たのかは知らないが、行くあても戻る手立てもない今は、森に生えてきたあの奇妙な建物で過ごすことになるのだろう。あの一帯は我々の縄張りだ。故に、オマエたちが安全に滞在できるように、長老と顔を合わせる必要があったのだ」
思うことはあったが、今はガークの言葉に従うのが得策だ。話が拗れるのは、その後でもいい。ガークが言い終えたのと同時に、俺の握り拳ほどの大きさの長老の目が、ゆっくりと開いた。
『童』
聞き慣れていない言葉に、俺は一瞬、自分が呼ばれているのだとは分からなかった。脳内に直接言葉が流れ込んでくる感覚だった。長老はこちらに向けた片方の目で俺の全身をとらえているようだ。わっぱ……。木でできたあの弁当箱のことだろうか。長老は腹が減っているのだろうか……と、本気で思った。
『何を惚けている。貴様も頭が耄碌しているのか?』
そう言われてやっと、長老の言葉の矛先が俺に向けられていることに気づいた。
「え? 俺?」
『貴様以外に、誰がいるというのだ』
長老の表情は変わらないが、嘲笑われたような気がした。
『ロイメンがここに何の用だ』
俺は再び、ガークに話したことと同じ内容を説明する羽目になった。流石に二度目ともなると、要領を得ていて、ほとんど言葉に詰まることなく話せた。俺たちがこのままべリュージオンで暮らし続けるとしたら、あと何回同じ話を口に出すことになるのだろう。
長老は俺が話しているあいだ、また目を閉じて声を聞いていた。その姿に、ばあちゃんを重ねてしまう。ばあちゃんも俺の話を聞くとき、よく目を閉じて頷いている。俺の話が理解できなくて聞いているふりをしているのかと思っていたが、そんなことはないとすぐにわかった。ばあちゃんが目を閉じているのは、集中して俺の話を聞いてくれていたからだ。
「コタロウくん、ばあちゃんみたいな年寄りになるとねえ、いろんな物事が周りにあると気が散っちゃって疲れちゃうもんなんだよ。だから、こうして目を閉じて、コタロウくんの声だけに集中するの。そうすると、すーっとあなたの言葉も頭に入ってくるのよ」
俺がまだ幼い頃、ばあちゃんはそう言っていた。確かに昔と比べて色々なものが豊かになたいま、五感を通して入ってくる情報量は凄まじい。俺だって時にはクラクラと目眩がしてきそうになるほどだ。若い頃と比べて、歳を取れば取るほど、脳のはたらきもゆっくりになってくる。そうなれば、ひとつのことに集中しないと、人の話もろくに聞けなくなりそうだ。
『我々の領地に突如現れた奇妙な石造りの建物か。……ガーク、この者共が、我々に危害を加えぬと断言できるのか』
長老がガークに向かって放った言葉は、俺の脳内にも流れ込んできた。とすると、俺との会話もガークは承知しているということか。
「おそらくは大丈夫かと。仮にこの者が我らに牙を向けたとしても、我が鎮圧する自信はあります」
「そんなことしねえよ」
俺は思わず口を挟んでしまった。言うなれば俺たちは土地を借りて住まわせてもらう立場。感謝こそすれど、ヴェリザを侵略する考えも力もない。
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