プロローグ②

 俺の祖母、空野恭子のもの忘れが激しくなったのは、今から四年ほど前の夏だった。俺がそれに気づいたきっかけは、当時まだ高校生だった俺のスマホに警察から電話がかかってきたことだった。

「空野恭子さんのお孫さんですか?」と、電話口に問われたものだから、俺ははい、そうですと答えるしかない。電話の向こうの男は、警察官を名乗っている。俺とばあちゃんが住んでいる家の近くの警察署に所属しているらしく、スマホのディスプレイに表示されている番号の末尾は一、一、〇だから、怪しい電話ではなさそうだった。

「空野恭子さんが、スーパーで万引きをしました。申し訳ないですが、お孫さん、今からこちらに来ることは出来ますか」

 血の気が引いた。背中の下から上に電流が走ったかのような感覚に襲われた。人間、テンパると、息の仕方すらも忘れてしまうようだ。

「わわわわかりましたっ、す、すぐ行きますっ!」

 そのとき、俺は部活帰りで、仲間たちとコンビニで買い食いをしていた。家に帰ったら、また辛気臭い煮物や魚を食わなきゃいけないから、せめてそれまでに自分の好きなジャンクフードで腹を満たしたいと思っていたのだ。

 俺はコンビニのチキンを口に押し込んで、仲間たちへの挨拶もそこそこに、自転車をすっ飛ばしていった。

 ばあちゃんが未清算の商品を自分のバッグに入れてしまったのは、俺もよく知っている家の近所のスーパーだった。買い物に来る用事以外で立ち寄ったことのない俺は、何をどうしたらいいのか分からず、とりあえずレジに立っていた店員のおばちゃんに事情を説明して、事務所に通してもらった。まだ心臓がバクバクしていて、周りに配慮する余裕のなかった俺は、いろんなものに体や鞄をぶつけながら、おばちゃんの後についていった。

 促されて、事務所に入った俺の視界に飛び込んできたのは、長机を挟んで向かい合う男の店員と、ばあちゃん、その傍に立っている二人の警察官だった。

 気が動転していたせいか、詳しいやりとりは覚えていないが、俺はひたすら店員と警察官に頭を下げたことだけは記憶にある。そのあいだ、ばあちゃんは「コタロウ、何をしているんだい? アタシに濡れ衣を着せてきた連中に頭を下げる必要なんかないよ」と目を三角にして捲し立てていた。

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