プロローグ③

 思えばあれが、俺の進路を決めるきっかけとなった出来事だったのかもしれない。ばあちゃんがボケた。これがよく聞く認知症ってやつなんだ。まだ十代の半ばを過ぎたばかりの俺にその現実は、あまりにも衝撃的だった。

 そんなこともあって、高校を卒業した俺は、家の近所の介護事業所に就職した。この先、何があっても困らないように、いや、困ることはいっぱいあるだろうけど、その度合いが最小限で済むように、少しでも知識をつけていたいと思ったのだ。あとは家の近所だと、万が一ばあちゃんに何かあっても、すぐに駆けつけられるから。それが何よりも優先すべき理由だった。

 業界全体が人手不足なこともあってか、俺の就活は何の苦労もなくトントン拍子に進んだ。ただひとつネックだったのは、現場に出て実際に仕事をするには、介護の資格が必要だったこと。だから俺は、内定をもらってすぐに、資格を取得できる学校に通った。平日は学校で、休日も学校。二足の草鞋を履く俺は、当時、大学に進むために切磋している他の受験生たちと同じくらい、大変だったかもしれない。

 高校卒業と同時に介護の資格を取得出来た俺は、晴れて内定が決まっていた事業所に入社することができた。そこから三年、右往左往しながら地道に勤め上げ、今年の春に介護の国家資格を取得した。空野虎太朗、二十一歳。職業介護福祉士。それが今の俺のステータスだ。

「おにいちゃん、本当にいいんですか? わたしなんかがこんないい気分になっちゃって」

 ばあちゃんは、自分の家の風呂場の脱衣所で、まだ入浴を躊躇っていた。

「いいっすいいっす。さ、もうちょっとしたらお客さんがドーンとやってくるかもしれませんから、そうならんうちに早く済ませちゃいましょ」

 俺はそう言いながら、自分のシャツを脱ぐ。下は、あらかじめ海パンに着替えておいたから、このままでいい。仕事で、人様の家にお邪魔して入浴介助をするときは、流石に裸にはならないけれど、何てったってここは俺の家でもあり、相手は身内だ。気を遣うこともない。

 三助という職業は、ばあちゃんが話していたから知った。おそらく、こんな仕事でもしていないと、知ることのなかった職業だろう。本当の三助は、ふんどしでも着けてやるのだろうかと考えながら、俺はばあちゃんを浴室に誘導したのだった。


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