第4話 【渦の中へ】

 一匹の白い蛾、二人を乗せた小型飛行機【クリープラー】が誘導灯の瞬くくすんだ夜空をゆっくりと滑ってゆく。私は振り返り、どんどん小さくなってゆく宙港のドームから、溶けだすように漏れる白い光にさよならを言う。麺屋のおじさんの幸せを願った。やがて、ごうごうと滝が流れるような音が近付いてくる。頭を上げた。そこには、深淵があった。漆黒の空を地球ごと串刺しにするような、巨大な竜巻がうなりながら吹き上がっている。渦のいたる所から白い稲妻がバチバチと弾ける。鼓膜を圧倒する轟音。死を覚悟するほどの、強大すぎる力。地獄にすら、きっとこんな絶望はない。強風を受け身を固くした私を、トオリさんがぎゅっと抱きしめる。

「星間トンネルだ。あれをくぐることで、数百光年離れた場所まで一瞬で飛ぶことができる」

「怖い……」

 トオリさんは、けらけらと笑った。

「そりゃそうだ。あれは生と死の境目をなくす。くぐる前の私たちと、出た後の私たちが同じ存在である保証はどこにもない。でもさ――」

 その瞬間、意識が弾けた。後頭部を思いっきり殴られたような痛み。めまいにくらくらしながら目を開け、そしてハッとする。目の前に広がっているのは、明るい昼間の街だった。五、六回建ての白いレンガ造りのビルが立ち並んでいる。道路や、小さな川にかかる橋も同じレンガで覆われていた。私たちは路地の隅っこの、日陰になった場所にいた。トオリさんは既にクリープラーを畳み終わっており、コートのポケットに手を突っ込んで壁にもたれかかっている。からりと日に焼けた土のにおいがした。

「一瞬だっただろ。怖がることなんてない」

 顔の前で、両手をゆっくりと握ったり開いたりする。自分の頬をつねってみる。痛みはあったが、どうにもぼんやりとして現実感がなかった。トオリさんに向かって手を伸ばす。指先で、彼女の白すぎる頬を軽くつついてみる。

「何してんの、君」

 彼女はきょとんとし、それからぽっと赤くなって視線をそらした。ぶっきらぼうな口調で、

「ここは第四居住星だ。星間トンネルでの移動可能距離には限界がある。世界の果てに行くまで、いくつか星を経由しなければならない」

と説明してくれる。いつもの私なら「気を損ねてしまったかもしれない」と不安になっただろうが、今はトオリさんの反応が可愛くてたまらなかった。

「私、本当に別人になったかもしれないです」

 トオリさんがため息をつく。

「さっきしたのは観念的な話さ。現実問題として、そんなこと気にする人間はいない。さ、行こう。行きつけの宿がある」

 陰から出て、街へと繰り出す。人通りも車通りも多い道を歩いてゆく。物珍しくて、ついきょろきょろと周囲をみわたす。何輪もの薔薇がのった巨大な帽子と臙脂のロングドレスを合わせた女、紺色のジャケットとショートパンツ、ネクタイと白いソックスを身に付けた幼い少年たちの集団、燕尾服の老人。走っている車の中には、機械仕掛けの馬に引っ張られている凝ったデザインのものも多い。

「なんだかとても古い洋画の世界に入ってしまったみたいです」

「そういうコンセプトでデザインされているからな。第四から第百居住星までは、アーティスティック星と呼ばれている。映画や小説の世界を再現していたり、著名なアーティストによって設計されていたりする。平たく言えば映画村ってわけだ」

 へえ、と呟く。

「なんだか私たち、浮いてませんか」

 トオリさんは現代的なデザインの紺色のコート姿で、しかも髪が青い。私は、いかにも日本の田舎らしい黒い事務服だ。

「私は別にどうでも良いけど、君はその服装だと何かとやりにくいかもな。宿の前にブティックでも寄るか。私のおごりだ」

 土地勘があるらしいトオリさんは、迷いなくずんずん街を歩いてゆく。ふいと狭い路地に入り、

「ここだ」

と、突き当りにある緑色の看板を指さした。書かれている文字は、私には読めなかった。ショーウインドウでは、パーティードレスを着たマネキンがほこりをかぶっている。トオリさんがドアを開けてくれる。私は何気なくドアに手をかけ、そしてその重さに「ぐっ」と低い声を漏らしてしまった。虫除けらしい、甘い香りがした。

「いらっしゃいませ」

 薄暗い店の奥から、若い女の声がした。静脈血のような色のカーペットを踏みながら、店主らしい人が出てくる。私よりも若く見える彼女は、黒いレース地のシンプルなワンピースを着ていた。

「あら、トオリさんじゃない。てっきり、もう死んだんだと思ってたわ。ずいぶん前に、事故にあったって噂を聞いたような気がするんだけど」

「その話はやめてくれ。それより、この子に服を見繕ってくれないか。動きやすくて、どの星に行っても馴染むようなやつ」

「はいはい」

 女に視線を向けられて、私は思わず少し後ずさる。

「そんなに緊張しなくても良いのに。身長は百五十、スリーサイズは……なるほどね。すぐに用意するわ」

 私は何も言っていないのに、女は一目見ただけで全てが分かったらしかった。また、奥へと戻ってゆく。

「死んだと思ってたなんて、ひどいですね」

 私の言葉に、トオリさんは肩をすくめた。

「まあ、あながち間違いでもないからな」

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