7

 梅雨の残り香も立ち消えて、初夏の陽光が肌を刺すようになった。右腕が使えない生活にももう随分と慣れてきたところだけれども、回復をしてきているようで駆動域が増えそもそも不便をするようなことが減って来た。

 独りは夏の斜陽から逃れるための木陰のように心地よいものだった。そこを暗いと言って否定する人も居るのかもしれないけれど、暗いことの何が悪いのだろうかと思う。誰とも共有をすることが出来ないような仄暗さが、私は嫌いではないのだ。

 それでも、時折陽の差す場所を見れば眩しいと思ってしまう。憧れてしまう。自分もつい以前までそこに居ることが出来ていたからこそ、尚更に。

 こんなものは愛の発作に過ぎない。一時的に中てられて浮かんだ衝動に過ぎない。そう思っても、哀しみは心の底に貼り付いて剥がれてくれない。この暗闇は心地よい影のそれではなくて、深い穴に落ちてしまったがゆえなのであるということを突き付けてくる。

 志貴と会えなくなって暫くが経ち、食事が喉を通るようにはなってきた。いつか覚えたような意識の白濁は消え失せて、精神は置いて行きながらも身体は順調に回復の兆しを見せている。だからこそ、焦燥がじりじりと身体の中から生まれる。

 私は、本当にこのまま回復しても良いのだろうか。痛みがなくなれば、苦しみを忘れれば、残る痕跡は私の記憶の中にしか残らない。しかし、記憶は何も証明してくれない。どれほど鮮明に覚えているつもりでもそれは私の視点から覗いた世界に過ぎず、真実からは遠く離れている。それに、記憶は歪曲し、別の何かへと変わることになるのだ。

 いずれこの痛みを忘れて形骸化した苦しみだけを引き摺りながら生きたつもりになることは、果たして生きているというのだろうか。本当に大切なものすらも忘れて、失くして、記憶という虚構の痛みに酔うもは醜悪なことではないだろうか。

 それだったら私はこの痛みを、苦しみを背負い続けたかった。罪は贖うものでも赦されるものでもなく、背負って生きていくものなのだから。

 錆びれた機構が風化し、解けるように崩れていくみたいに、身体が壊れていく感触がする。それに痛みや苦しみはない。心のなかにゆっくりと広がっていく空虚に名状することの出来ない寂しさを覚えるだけだ。

 味のない日常が延長していく。嫌になるくらい清潔に量産されていく。無意味で無価値に堆積していく。

 生きている意味について、価値について考えながら生きている人間というのはどれくらい居るのだろうか。不可分的に思えるその思考は、果てのない泥沼だ。足掻けば足掻くほどに沈んでいって、息が出来なくなっていく。表面に出していないだけで、誰しもこんなものを抱えながら生きているのだろうか。それとも、私が考えすぎているだけなのだろうか。

 気分を変えようと思って、映画を見に行った。今までであれば志貴と一緒に行く、静かで小さな映画館。そこは志貴との思い出が染み付きすぎていて、別の場所に行こうかとも思ったけれど私の部屋から最も近い映画館がそこだったし、何より今の私には落ち着いた静けさのようなものが必要で結局そこへと足を運ぶ。

 何が見たいというわけでもなかったので着いた時点で丁度もうすぐ始まるという映画のチケットを買って、席に着く。私以外にも何人かはシアターの中に居たけれど、静かであることが暗黙のルールであるかのように彼らは咳一つせずにただスクリーンに目をやっていた。

 シアターが暗転し、スクリーンに配給会社のロゴが映し出される。映画が、始まる。

 ありふれた作品だ、と思った。愛、すれ違い、憎しみ、その他の陳腐な感情と事象が乗算されただけのドラマ。物語としての筋だけを見れば幾つか類似する作品だって頭に思い浮かぶ。結局、愛なんていうものはどれも少しだけかたちが違うだけで一歩退いて見てみればどれもありふれたものなのかもしれない。

 それでも、どこか不思議と心を打つものがあった。どこかで見たことがあるような展開なのに、次に主人公が吐く甘ったるい台詞なんて大体想像がつくのに、涙が零れそうになる。頭の中を滅茶苦茶に踏み荒らされていることを実感する。

 それは俳優の演技によるものかもしれないし、巧みなカット割りや美しきロケーションによるものかもしれないし、今の自分が愛に参っていたからなのかもしれない。理由は分からないけれど、素晴らしい作品だと思ったことは確かだった。

 映画が終わり明るくなったシアターの中で、零れそうな涙をせき止めながら余韻に浸るようにしてぼうっと余韻に浸る。まばらだった他の観客たちが、退屈そうな顔で席を立ち、出口へと向かって行くのが見えた。

 感情を公共の場で露わにすることが出来るほどの勇気がある人間というのは少ない。彼らも感動をしながらそれを務めて見えない風にしているだけなのかもしれない。ただ、もしかしたら、この映画は極めて退屈なものだったのかもしれないとも思う。陳腐で耐久性のある、どこかで見たような物語だったのだ。彼らの何人かは知り合いにつまらなかったと零し、彼らの何人かは数日も経てばさっぱり忘れてしまっているのかもしれない。

 それでも、私の中の感動は確かで揺るがないものだった。誰が何を言おうと、私の中の感動を消し去ることは出来ないのだ。

 殆どの人間にとって退屈な映画は商業のために作られた娯楽品としては失格なのだろう。ただ、ほんの一人でも心に傷を負わせることが出来たのであれば、その作品が生まれた意味はあったのではないだろうか。例えタイトルを忘れても、俳優の顔を忘れても、私はこの映画のことを生涯忘れることはないのだろうから。

 映画館を出て、埋まらない虚しさを再確認した。いつもであれば、私の隣には志貴が居た。居なくても、素晴らしい作品だったと言うことが出来る人が居た。ささやかな幸福を分かち合える人が居るということはこれ以上ない幸福であり、今の私にはそれが欠落していた。

 自らの現状に気が付いた途端に、今こうして映画館の前に居るという現実が一気に退色をしたような気がしてくる。映画というのは、ただ映画を見るそれだけの体験ではない。どうやって映画を選んだのか、誰と一緒に見たのか、映画館へはどうやって行ったのか、帰り道に何をしたのか。その全てが集約されて、ひとつの思い出として出来上がることになる。いつどこで誰と見ようが、映画の内容に変わるところはない。それでも、記憶として残るものには大きな乖離がある。

 既に私の人生は分離することが不可能なほどに志貴と混ざり合ってしまっている。これからも、何か良いことが起こる度に彼に話したいという欲求が生まれ、誰と出会っても志貴と比較をすることになるのだ。そして、それに届かない現状に落胆をしていく。

 一度この上ないと思えるような幸福を掴んでしまった人間は、あとは落ちるだけだ。暴力的に訪れる不幸に対して怯え続けなければいけない。

 ならば出来ることは、再び幸福を掴むことが出来るように手を伸ばすことしかない。それが不可能だと思っても、僅かに自らの中に残った残滓に対して祈ることしか出来ない。

 気が付いた時には、駆け出していた。辿り着くべき場所なんてないけれど、それでも私は走った。不可能なことであっても、みっともなくても、足掻かないなんて馬鹿だ。幸いにも、私は自らが欲しているものを知っている。欲しているものすら分からないような人に、望むものが手に入るわけがない。あとは、手を伸ばすだけだ。それが星よりも遠い場所にあるものであっても、手を伸ばさなければならないのだ。

 今すぐにでも私は志貴に会いたかった。言葉なんて見つからなくて、ただ情けなく向かい合いことしか出来なかったとしても。それが決定的な最後になってしまうとしても。渇いた遭難者はそれが命を縮めることになると知っていても海水を飲み干す。一時的な安楽に過ぎないのだとしても、そうするしかないのだから。

 衝動的に、あるいは本能的に志貴の部屋へと向かおうとしたところで、私は足を止める。そこに居た人影はある種の試練のように思えた。無為かもしれない戦いへ赴く資格を得るための、試練。

 久我はまるでそうあるべくして生まれたかのように私に向き合い立っていた。私もまた、彼女が居ることは必然のことのように唐突な出会いを嚥下する。

「そんなに走って大丈夫なの?」

「何が?」

「腕」

 言われれば、自分の身体が万全な状態ではないということに気が付く。だけど、それがどうしたのだろうか。万全な状態だから走るのではない。走らなければいけないから走るのだ。ただ、それだけなのだ。

「大丈夫」と息を整えながら吐き出すように言うと久我は静かに私の言葉を受け止めた。

 私に持つべき言葉はない。激しく肩で息をしながら、彼女の言葉を待つ。心臓がどくどくと鼓動していることが分かる。足がじんじんとした痛みとは言えない感覚を訴える。生温かい息が口から世界に吐き出される。生きているということを、実感する。

「……結局、あんたは行くんだね」

 どこへ、という部分が隠された、ひどくぼやけた物言いだったけれど、彼女が何を言いたいのかは分かった。久我はいつだって察しが良い。それに、よく私に――夜継雨に似ている。これから私が何をしようとしているのかを、一目見ただけで察することが出来たのだろう。

「うん」

「何をしに行くの?」

「分からない。でも、私はどうしても志貴と離れたくないから、何かをしなきゃいけないんだよ」

「考えなしってこと?」と言って久我は諧謔的に笑った。その笑い方は清々しいもので、何より正鵠を射ていて、不快だとは思わなかった。

「頷いたら笑う?」

「……笑えないよ。私も痛いほど分かるから」

 久我は紫煙を吐き出すように溜め息を吐く。その溜め息はどこか自嘲的で、そして諦念のような何かが含まれている。

 思案するように、ゆっくりと久我は何か言葉を探している。幸い、今の私には時間があった。今すぐにでも、志貴の下へ行きたいことは確かだったけれど、今彼女と話し合わなければ後悔をすることも分かっていて、待つだけの時間は持て余していた。

「私は、あんたと芥生志貴のことを何も知らない」

 そう、久我は噛み締めるように言う。

「今まで何があったのかも、今何が起こっているのかも、何も分からない。だから、偉そうなことは何も言えないんだと思う。それでもひとつだけ言わせて欲しい」

「……何?」

「本当のあんたで、向かい合ってみなよ。きっと、大丈夫だから」

 無責任な発言だ。私の過去と懊悩を知らないからこそ言うことが出来る、考えなしの偽善じみた助言。以前の私だったらそう容易く否定していたはずの言葉が、何故だか今は溶け込むように頭の中に這入って来る。

「どうせ、今も酷い状況なんでしょ。だったらいいじゃん。もう一回歪に積み上げなくても、また新しいものを積み上げ直せばさ」

「……大丈夫って、何を根拠に言ってんのさ」

「あんたはあんた自身が思ってるよりもずっと魅力的な人間だよ。私が好きになったんだ、保証する」

「それは、そうですか」

 私は久我ではなくて志貴と一緒に居たいのだからそれがどれほど信頼出来る保証なのかは分からないけれど、私も案外捨てたものではないらしい。少なくとも、全くのゼロに向かって行くよいうな蛮行ではないようだった。

「随分と滅茶苦茶なことを言うんだね」

「そう?」

「全く無責任だし、それに貴方の感情とは乖離した意見でしょ、それ」

「所詮人の意見なんてどこまでも無責任なものだけど、後者に関しては肯定しかねるかな。そう見える?」

「だって、私のことが好きなんでしょ? 自分の恋路を塞いで、それって感情と矛盾してるんじゃないの」

「矛盾はしてないよ。そりゃ勿論、私だって神様じゃないんだ。愛するなら見返りが欲しい。愛されたい。でも、それが無理なら出来ることは愛した人がより良い人生を迎えることが出来るように祈ることだけだと私は思うよ。だから私はあんたが元の関係を取り戻すことが出来るならそれでいいと思ってるし、そうあればいいと願ってる」

 ああ、畜生と思う。やっぱり久我は私に似ているようで似ていなくて、その似ていない部分が私は好きになれない。ただでさえ意識的に他人を利用するというのは難しいことなのに、それが善い人なら尚更堪ったもんじゃない。

「だから、私のためにも頑張ってきてよ」

「……分かったよ」

 そうまでして真剣に頼まれてしまったならば、断れるわけがなかった。それに、どうせ考えなしだったのだ。限りなく不正解に近いものだったとしても、空欄ではないというだけで賭けるだけの価値は存在している。

 私は次の言葉を待って久我のことを見るけれど、彼女は特に何かを言うようなことはなく私のことを見ている。

「……それで、他には?」

「ん、これだけだけど」

 さっぱりとした、気持ちよさすら感じるような言い方に思わず笑ってしまう。それだけを言うためだけに来たのかよ、こいつは。自分の愛するものを手放すためだけに訪れるなんて、どういう物好きなのか、理解をすることが出来ない。

 一度だけ深く息を吸って「じゃあ、行ってくる」と言って再び走り始めようとすると「ああ、最後に」と言われたので振り返る。

「私やっぱ、あんたのこと好きだわ」

 後悔の影が見えない、夏の空のような表情で久我はそう言った。未練がましさのようなものの存在しない、鮮やかな顔で。ああ、全く嫌になる。自分が切り捨てようとしているものの尊さをまざまざと見せつけられること以上に残酷なことというのは世の中にあるのだろうか。

 返す言葉を探して、結局私は何も言わずに走り始める。何を付け足しても、今は蛇足にしかならない気がしたから、それであれば何も言わずに別れる方がきっと私たちらしい終わり方だ。

 私は久我のことが嫌いではない。愛することは出来なくても、友人として付き合うことは出来ると思う。けれど、今のこれが決定的な別れになるような気がした。私たちはもう、今までのように話すことは出来なくて、だからこそ終わってしまったということを実感する。不純物が少しでも入った途端に破綻する関係だったのだ、私たちは。

 私は久我のことを代替可能な関係だと思っていた。代替をすることが出来ない人間なんていうのは世界において殆ど居やしないのだ、誰もが誰かの代わりをしていて、本当にかけがえのない存在が居るということは奇跡に違いない。私には既に志貴が居て、奇跡なんてものはもう起こらないものだと思っていた。ただ、いいじゃないか、人生に二度奇跡が起こったとしても。間違いなく、彼女は私にとって代えることの出来ない人物だったのだから。

 どうして、失ってからしかそれに対してどれほどの感情を傾けていたかという事実に気付くことが出来ないのだろう。志貴が生活から欠けて、私は自分が彼に対して狂っていると言えるほどの感情を向けていることに気が付いた。久我を失って、彼女が自分にとって欠けるべきではなかった存在だと気が付いた。人間の、あるいは自らの気付きの遅さに嫌気が差す。

 それでも私は進むしかないのだ。もう起こってしまったことだから、過去を否定せずに、否認せずに、そうあってしまった自らの行いを認めて、噛み締めて、進んでいくしかないのだ。過去を語ることに意味はない。過去を受け入れて、向き合うことにだけ意味がある。

 頭がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような感覚を覚える。身体が今すぐにでもばらばらになるような予感がする。それでも走る。走る。走る。

 譲ることが出来ないものを守るために。生きるために。右腕がおかしな痛みを発しても、吐きそうになっても。走る。走る。走れ!

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