第15話 伊吹山のイヌワシ

「おはようございます」


「おはようさん!」


このところ出勤するたびに

センター長や恩田さんが何か言いたげだ。

そやけど、どうせ大した話やない。ほっとこ。


今日はセンター長と伊吹山いぶきやまに行くことになっている。この時期、イヌワシやホオジロなどが確認されるため、その個体数の調査も兼ねて向かう。


俺は車の免許を持っていないから、

こんな時は荷物持ちや記録をする。


ここ湖北地方からは、だいたいどこからでも望める伊吹山は、滋賀県と岐阜県にまたがる標高1377mの山で、日本百名山の1つに数えられている。


石灰岩の山肌は滋賀県側の一部が大きく崩壊し、白い岩肌がやけに目立つ。だが冬になれば山そのものが雪化粧し秀麗な姿に変わる。


長浜を離れ、米原から岐阜県側の山麓にあたる

関ヶ原に向かっていると、センター長が何か言いたげに白い歯を見せる。


「何ですか?」


「その、プライベートはどうや?最近は」


「あぁ、この前の休みに今津まで行ったんですけど、途中でハチクマの渡りとを確認しました。ショウドウツバメの群れも見れて、ええ収穫になりました」


「そういうんやない!俺が聞きたいんは!そやからアレや……」


奥歯に物が詰まったような話ぶりに若干イライラしたが、次の質問でおおかた何が聞きたいのかわかった。


「お隣の山本さんとは、どうや?下の名前は、確か穂乃果ちゃん言うたか?」


「どうって。どうもしません」


「ほんでも、よう外で話しとるやろ?あっ、ずっと見張ってるわけやないで?たまたま外を見た時に、2人が話しとるとこ何度か見かけたさかいな」


「大した話やないです。今日はどんな鳥がおるかて、いちいち聞いてくるんで、教えてやっとるだけです」


「ほぉ、親子そろうて感心やな〜」


「あぁ……アイツの親、えらい過保護みたいですね?事情はあるみたいやけど……」


「事情?山本さん、何かわけありなんか?」


「いや、俺も詳しいわけでは。それに個人情報は勝手に漏らせません」


「そらそうや。ほやけどやで?あの子、ええやん!」


「いらんこと考えんでください」


「そやけどな蒼介、鳥のことばっかりではあかん。俺達は人間や。人間かてな、鳥と一緒でよきパートナー捕まえて繁殖せんと滅びてしまう」


「それを言うたら、俺かて相手選びます!」


上司に対して強く出すぎたとは思ったものの、言えば言うほど面白がるから、このての話はこれくらい言わんとあかん。


観測地である伊吹山はやや風もあったが、

その分視界もひらけて琵琶湖や比叡山など遠方まで見渡せた。


日によっては霧が立ち込め

1m先も見えなくなる。


今日は調査観察にももってこいの陽気で

アザミやリンドウなど秋に花を咲かせる植物も

目当てのイヌワシの姿も確認できた。


希少な猛禽類であるイヌワシは、

現在、国の天然記念物に指定され、

国内の生息地も限られているが、

この山では毎年春に営巣も確認され、

初夏の頃にはヒナの巣立ちも見られる。


その環境を守るために

繁殖期や子育て中の時期は、

巣の付近に人が立ち入らぬよう

看板や柵を設けるなどの保護活動も行う。


今日は上空で2羽確認できたが、

そのうちの1羽はまだ若そうだから

今年生まれたヒナだろう。


山上を悠々と舞い、時に獲物を捕らえに迷いなく急降下する。何者にも媚びず、屈しない迫力があって、その姿を初めて見た時、憧れのような気持ちを抱いた。


「蒼介、来春も頼むで!」


「そんなん、俺が決めることちゃいますし」


このままいけば来年の春に

あっさり切られる立場だというのに、

アホみたいに「はい」とは言えん。

けどセンター長は「大丈夫や」と

無責任に背中を叩いた。


この人はきっと

勝手に俺のことを息子のように思っている。


とはいえ実の親父は俺に無関心だったから

父親がどんなもんかは知らん。


今では生きているか、死んでいるかすらわからないが、本来はこんな風にちょっと煩わしくて面倒で、だけどきっと、いつも気にかけてくれるような、そういう存在なのだろう。


だから俺は、多少不満はあっても

この人のもとで働いていたいと思っている。



その頃バードセンターには、

また山本穂乃果あいつの両親が来ていたらしい。


「こんにちは〜」


「あっ、恩田さんや!もう名前覚えたわ」


「今日は何ですか?」


「野鳥を見に来ました!」


「ここバードセンターやろ?」


「そうですよ?バードセンターです」


「そやさかい、鳥を見に来ましてん」


「そんなドヤ顔されても……皆さんその目的で来はりますけど、おたくらは野鳥やなくて娘さんの観察やろ?」


「それもあるけど、今日はちゃいます!」


「ほやほや、今日はちゃんと鳥を見に来ました!」


「ほんまですか?まあ、それやったら、ありがとうございます。念のため言うときますけど、今日は蒼介くんおりませんよ?」


「そうなんや……」


「なんや〜……この前のお礼言いに来たんやけど」


「お礼?おたくら、とうとう接触しはったん?」


「接触もなにも、家まで来てもろたさかい」


「ご飯もご一緒しましたんやで?」


「ご飯!?蒼介くんが?お宅に?」


「ほやほや。ほんで色々、野鳥の話も聞かせてもろて」


「ほんでな、私らほんまに鳥に興味もってしもて。さっきも図書館行って、ぎょうさん野鳥の本を借りてきたんや〜」


「私もけっこう話させてもろたんやけど?おたくら鳥に興味ありません〜言うてましたやん」


「あの時はな。ほんなら今日は、恩田さんでええですわ」


「残念やけどな、恩田さんでええ。今日は解説しっかり聞かせてもらいます!」


「私でええて……」


「そんなわけで、私らこれからも、ちょくちょく来ますよって」


「宜しゅう頼んます〜!」


「ありがたいんですけど、さっきから私の話、全く聞いてませんやん……」


「聞いとるよ!」


「ほんまですか?」


「その前にや。ここの入館料お安いけど、できたら年間パスポート欲しいんやけど」


「年間パスポート?」


「ほやほや。ディズニーやらUSJなんかであるやろ?」


「わかりますけど……ここ、テーマパークちゃいますよ?博物館とか美術館ならわかりますけど」


「ちゃうの?」


「ほんなら何?」


「湖北の豊かな自然と生態系を皆さんにお伝えするための観察施設です!」



そんなことがあったとも知らず、

有意義な調査を終え、

記録を持ち帰ってきた頃には

すでに閉館時間を過ぎ日も落ちていた。


夜の湖はとても静かで、

さざなみの音を聞きながら帰路につく。


そうや、買い物せんとなんもない。

そやけどこの時間やとピース堂は品数が悪い。

コンビニにするか……


そこでふと、あの家でご馳走になった時のことを思い出した。


あんな飯、いつ以来やろ。

あない大勢で誰かと会話したんも久しぶりやった。


そうや、久しぶりに顔見せるか。


急遽、余呉湖に向かってペダルを漕いだ。

目的地は湖畔にある『食事処・おおきに』

俺が唯一、頼れる身内がやっている店。


「いらっしゃい!……って、蒼介やないの!」


「おぉ、蒼介!久しぶりやな!」


めし、食わせてくれるか?」


「ええよ!何にする?」


「なんでも作るで〜!」


店主の孝雄たかおさんと

奥さんのかつ子さんは母方の親族。


この2人に会うために

定期的に顔を出すようにしている。


子供の頃、両親が離婚し

母親と暮らしていたものの

その母親も男と一緒に消えた。


まだ中学に通っていた俺は

施設に入れられそうになったが、

その時、俺を引き取って育ててくれた人達だ。


「なんでもええ」


「ほれやったら、アレにするか?」


「おぉ、蒼介の好物な!ちょっと待っときや」


そやけど、ここに来ると思い出す。

親に捨てられたあの頃の自分を。

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