第8話 スズメの涙

「すっかり秋やな〜」


「まだ暑いですよ」


「けど空は秋や!タカの渡りも始まったしな〜」


朝から上機嫌なセンター長に話しかけられた。

鳥達を見ていれば季節がわかる。


夏鳥が帰っていき冬鳥がやってくる。

それだけで季節の移ろいがわかる。


ここ数日でタカが群れをなして

大空を渡っていく様子が

各地で観察されている。


日本で確認されているタカのほとんどは

餌を求めてこの時期、越冬地へ渡っていく。

サシバ、ハチクマ、ノスリ、ツミ、

様々なタカ類の渡りや

他の鳥類の渡りを観察できるのが

これからの季節のいいところだ。


それらを見るために山にテントを張り

何日もかけて調査したこともあった。


それはプライベートで行くこともあるし、

仕事として行う場合もある。


この仕事は生態系の定点観測も業務の一つで、

毎日同じ時間、同じ場所、同じ方法で

調査・観察をし続け、

自然環境や生態系の現状を

記録として残していくことが最重要任務だ。


そのためには悪天候の日も

酷暑、極寒の中でも

続けられるだけの体力と忍耐力も必要。


ただ鳥が好き、動物が好き、

自然が好きというだけでは続けることができない。


その点においては苦に感じたことがない。


大学時代、ゼミ合宿で山籠りをした時も

1日中ヘドロまみれの沼地で

じっと動かず誰とも口を聞かずに過ごしたり、

機材を抱えて何キロも山の中を歩いた時も

むしろ楽しんでいたくらいだった。


中には体力不足や昆虫が苦手といった理由で

進路を変更せざるを得ない人達もいた。


それにこの分野の仕事は狭き門で、

本当なら環境省に入って

レンジャーと呼ばれる

自然保護官の職に就くのが理想だが、

採用されるのはほんの一握ひとにぎりで、

俺もとっくにその道は諦めた。


ただそういった選ばれし者だけでは当然手が回らず、

それらを補佐する知識と経験ある人材が、

それぞれの地域で環境保全や調査、管理・観察、

うちのような施設では

来館者への解説など多岐にわたる業務を行っている。


ただ俺のような嘱託職員は

仕事量のわりに給料はスズメの涙ほどで、

やっていけなくなって

泣く泣く去っていった人もいた。


それでも辞める人はほとんどいない。

なぜならこうした嘱託でさえ、

椅子取り合戦になるほど席があかないからだ。


ここ琵琶湖バードセンターでは、

一般の来館者が見学できるよう

湖側の窓辺には望遠鏡をいくつも用意しており、

見学者に湖や野鳥についての解説をすることも職員の仕事だ。


その解説業務は人当たりの良い恩田さんや

他のスタッフが受け持ち、

俺は毎日外に出て、調査観察とその記録。

周辺の山や湖岸の湿地で清掃や管理を任されている。


今日も一日中外に出て調査をしていたが、

道の駅からほど近い場所にある

湖岸のヨシの茂みにカイツブリのつがいを見つけ、

咄嗟とっさに体を伏せてカメラを構えた。


これはいい記録になりそうだ。


カイツブリは滋賀県の県鳥に選ばれ、

古くから琵琶湖周辺で生息してきた鳥だ。


それくらい琵琶湖には欠かせない鳥で

渡り鳥と違い一年中いる留鳥だ。


だが年々その数は減少し、

今では県のレッドデータブックにのってしまうほど

希少種になってしまった。


だから現在の生活環境や個体数を確認することが

求められている。


琵琶湖は広く

場所によってはヨシの群落が減り、

カイツブリだけでなく

鳥類の棲家すみかが年々奪われつつあるが、

湖北には湿地や里山が残り、

こうした

安住の地にしているのだと嬉しくなる。


「気持ちよさそうやな。ええよ、ずっとここにおって」


よく見るとヒナもいる。

どうやらこの近くで営巣して子育てをしているらしい。


カイツブリの繁殖は

春先の4月から初秋の9月頃までとされているが、

ギリギリ今年最後になるであろう

カイツブリ一家の姿に、

俺は今、興奮を抑えながら草むらで伏せて

カメラと双眼鏡を交互に覗いている。


ますます離れられない。

アリが寄ってこようが

トンボが頭にとまろうがどうでもいい。


子育て中のカイツブリと

その子供達の記録がとれるなら、

しぶとく生き延びている蚊すら気にならない。

血なんかどんどん吸え、でも邪魔だけはするな。


確認できたヒナは2羽。

どうやら親鳥が泳ぎの練習をさせているようだ。


いいぞ、強く生きろよ。

もうすぐ天敵が増える。

その前に潜水もできるようにならんと。


あぁ、もっと見ていたいが

他にもやらねばならぬことがある。

続きはまた明日だ。


正午をとっくに過ぎていた。


カイツブリに夢中になり過ぎて

昼飯も食いそびれた。

でも今日は風も弱く調査には最適な1日だ。


伏せていた草っ原から出ようとしたその時、

鳥とも虫とも獣とも言えぬ鳴き声が聞こえてきた。


……?


これは人間が鼻を啜っているような音。


強烈な西日に照らされ、眩し過ぎて太陽から

顔を背けるようにして立ち上がると、

そこにはまたしても山本穂乃果の姿があった。


「なっ……お前、何してん!?」


「あの鳥、友達おらんのかな」


いきなり現れて

挨拶もなしに話しかけてきた。

そして空を指している。


そっちに目を向けると

山の上で悠々と単独飛行しているオオタカの姿と

それより遥か上空で

ハチクマと思われるタカの群れが

南に向かって飛んでいた。


秋の風物詩、タカの渡りだ。


コイツがどっちのことを言っているのか

よくわからなかったが、

単独飛行しているオオタカについて言っているのだと推察し、

「ちゃう」とだけ答えた。


驚くべきはこのが泣き顔であることだ。


「今日は何してはるん……」


鼻を啜りながら目と鼻を赤くし、

俺に向かって『何をしているのか』と質問してきた。

それはこっちのセリフやと思いつつ、

オオタカの名誉のために無償で解説してやった。


「鳥にもな、け者になるもんもおるけど、今飛んでったやつはちゃうぞ。アレはタカや。それもオオタカ」


「へ〜」


自分から話しかけてきたくせに

無関心を露わにしている。

まあ、こっちものわけはどうでもいい。


「鳥かて群れで行動するもんと単独行動するもんがおるんや。勝手に自分と同じにすな」


「勝手にて……そんなんしてません。それおたくやろ?私は友達おりますんで」


「へぇ、奇特な人がおるもんやな」


「なんなん、ほんまに」


正論が刺さったのか

ついこの前までは倍返ししてきたが、

今日は負けを認めるらしい。

いっそとどめを刺してやることにした。


「その性格やと、たぶん色んなとこで厄介もんやろ。まあここは、ええ人ばっかやし、除け者にはされんとちゃう?」


は反論もせずに

目に涙を浮かべたまま真顔で答えた。


「ほんまやな。ここの皆さん、皆んなええ人や」


「は?……な、何?まさか……ほんまに泣いてんか?」


「泣いてない。誰が泣くんや」


「いやお前やん。ハ……ハンカチ貸すか?」


「いらん」


「なんなん、お前……」


泣き顔を隠そうともせず、

ブサイクな顔のまま

上空で旋回するオオタカを見上げている。


「ええな、あんな飛べたら楽しそうやな」


「はぁ?無理やぞ……」


生意気やし遠慮せんし、

人が買ったもんを覗き込んでケチつけてきたり、

そうかと思えば泣くほどオオタカに憧れている。


こんな情緒不安定なやつとは関わらんとこ。

絶対、変人や。

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