つまらないものですが

  「うわ、こんなにもう暗い」

 鶴見の小さな背中を見ながら小走りで階段を昇る。私の家の近所のように高い建物がなくて、見通しがいいすっきりした街並みが広がっている。ロータリーのアスファルトにはヒビ一つないし、沿道にはきれいに整えられた低木が植えられている。


 急に立ち止まって振り返った鶴見の顔が、おしゃれな作りの街灯から発せられるオレンジ色の光に照らされる。


「え、どうしたの?」

「いや……ついてきてるかなって思って」

「ついてきてるよ。なんで?」

「高瀬って、気配がないんだもん」

「……?」


 なんで。再び歩き出して、ちょっと気まずくなる。


「ここ、鶴見さんの最寄りなんだ。見通しがいい」

「見通しがいいって……新しい視点だね。新しく作られた街だからね。私が来たときは何にもなかった。ほら、あのスーパーなんておととし出来たんだよ」


 鶴見が指さした先には、大きめのスーパー。駐車場もみたことないくらい広いし、お店自体も大きい。


「あそこで、ごはんとか買ってもいい?」

「え?うちにご飯あるし、食べてきなよ」


 ママの作り置きが多すぎて食べ切れない、と付け足す彼女の顔はちょっと恥ずかしそうだ。鶴見と私の常識は大きく違う。家に帰って家族の誰かが作ったご飯があることなんてここ数年、いや物心ついて以降はない。


 鶴見の家族が作った料理、食べてみたい。


「あー、どうだったけな。やっぱ食材買っていこうかな。せっかくだし私が作ってあげる」


 でも、鶴見が作ってくれるならそのほうがいいかも。たとえ同じ食材、レシピから作られていてもなんとなく、鶴見の味がするような気がする。鶴見を食べたことはないし、食べようともしていないけど。


 結局、鶴見はおつかいだとか言ってレジ袋三個分くらいの買い物をした。


「ほら、うち来れるくらい元気なら手伝って」

「はーい」


 鶴見は意外とずるくて、一番重いものを私に持たせた。「重い」と不平を言うと、「あんたのほうが力持ちじゃん」と言われて流される。河川敷では心配してくれたのに、今はこの扱いだ。鶴見は名前の通り鳥で、つまり鳥頭なのだろうか。


 気温は秋のそれだが、荷物のせいで少し汗をかいてきた。


 重たい袋を持ちながら、歩幅が狭くて歩くのが遅い鶴見に合わせてのんびり歩いていると、いつのまにかあたりは迷宮のような住宅街になっていた。こんなに整然と整理された住宅区画に侵入するのは初めてで、ちょっと圧倒される。


 建ち並ぶ家々は屋根の色が違うくらいでほとんど同じような作りだけど、庭に生えている植物とか、置物とか、車とかが違う。そいう細かいところから、家の住民たちが送る生活が見えてくる。無機質なマンションの廊下とは違う。


 鶴見は住宅街の奥にある和風モダンの小さな家の前で止まった。

 鶴見家の庭には立派なモミの木が植えられている。クリスマスになれば様になるのだろうが、12月は31日間しかないし、それ以外の間は主役になれないと考えると切ない。それにそもそも和テイストの彼女の家にこの木はあまり合わないと思う。


 さらに不思議なことに、枝にはなぜかかぼちゃの飾りが引っかけられていた。


「え、かぼちゃ……。なぜ?」

「あー、ママがもうすぐハロウィンだからって」

「早くない?まだ10月になったばっかり」

「そういうとこあるんだよね、あの人」

 鶴見のお母さんは不思議な人だ。それか、イベント好きだけど日付感覚はだいぶ適当な人だ。私の家庭にはクリスマスもハロウィンもなかったから、不思議だ。


 オレンジ色のかぼちゃの飾り付けを指で触ると、季節を思い出したかのように涼しい風が吹いた。さっきまでの蒸し暑さを連れ去った。そして、体に残った汗が体温を奪っていき、少し寒い。


「あ、庭に水やるから先入っててー!」

 鶴見は家の敷地内に入るなりすぐに庭に向かった。プランターがいくつもあり、紫色の花が咲いている。鶴見って、花とか好きなんだ。

「え、うん。じゃ、お邪魔します」


 あっ、鶴見の匂い。


 暗い玄関にはリビングから光が漏れている。がちゃがちゃという音に生活感を感じる。自分じゃない誰かの家に来るのは初めてで、新鮮な気持ちになる。


 人の家に上がるのは初めてだし、先生と親以外の大人と、ましてや友達の親と会うのは少し緊張する。先に入ってなんて、ちょっと困る。


 でも、玄関で待ってるわけにもいかないから、小窓から光が漏れるドアを開ける。


「お邪魔します」

「おー、いらっしゃーい!」


 威勢のいい、よく通る声がテレビの音を突き抜ける。

 声の主は、奥の壁に沿って設置されたダイニングチェアから飛び降り、こちらにゆっくりと歩み寄ってくる。その姿は私の知る鶴見琴音そのものだった。彼女のお姉さんだろうか。母にしてはずいぶん若く見える。


「初めまして。高瀬波音です。琴音さんと同じクラスの……」

「はーい!私、琴音のママです」

「え……ママ……?」

「いや、お姉さんってことにしてもいいよ」

 鶴見母(?)は嬉しそうに腰に手を当てながら言った。鶴見琴音がしそうにない言動を鶴見琴音そっくりの人間がするからおかしくなりそうだ。

「ハズいからやめて、ママ」

「いいじゃん、別に」


 後ろから私のよく知る鶴見が現れた。鶴見と鶴見が同じ空間にいるこの状況は、私にとって混乱の種でしかない。


「てかママ、ご飯は?」

「さっきカナちゃんが持ってきてくれたから、それ食べといて」


 カナちゃん。仮名?いや違う。加奈、香奈、佳奈もしくは華名。誰かの名前だ。鶴見とほかの誰かの名前が結びつくことは初めてで、一瞬脳がフリーズした。


「カナ!?まじで?」


 私の後ろにいた鶴見が大きな声をあげる。その声に含まれる驚きの中に喜びの色がうっすらと見えた。


「会ってないっしょ。中学生以来。琴音は相変わらずバカだよって言っといたから」


「はぁ?馬鹿でもないし。あとカナがいるなら教えてよ」

「ま、家近いし会おうと思えばいつでも会えるからいいじゃん」


 対応する漢字すらわからないちゃんは、その場にいないにも関わらず鶴見の気分を上げる。こんなに元気な鶴見は見たことがない。そもそも、鶴見に友達がいたという事実が衝撃的だった。


「あー、洗濯物取り込むの忘れてた!あんたら、ご飯食べてな」


 鶴見母が階段を勢いよく駆け上がる。背格好は鶴見琴音そのものだったが、階段を駆け上がる速度は全く異なる。



「じゃ、ご飯食べちゃうか」

「ねえ」

「え?何、苦手なのでもあった?高瀬、そういうのなさそうなのに」

「違う。カナさんって誰?」

「友達だよ。小学校と中学校が一緒だけど、高校で別れちゃった」

「へえ」


 彼女はさらにカナさんとやらの情報を語ろうとしたけど、手で遮る。

 だって、私にとってその情報は大して重要じゃないから。

 鶴見に友達がいるという情報は興味深い。ただ、それ以上でも以下でもない。友達がどんな人で、どういう関係性かどうかなんて意味がない。それに、それに……。続きの言葉は確かに存在するはずなのに、今までの人生で考えたこともないから、予測変換に現れない。そのせいで口に出せない。



「カナさんとはキスするの?」

「……はぁ??しないよ!何言ってんの!」

「じゃあ、今すぐ私としよ」


 有無を言わさずに唇を奪う。やっぱり彼女は弱くて、簡単に押さえつけることが出来る。


「……っ、ママいるから、駄目」

「関係ない。上にいるし、大丈夫」


 彼女を壁際に追い詰めて、キスを迫る。いつも通りの鋭い目で睨みつけてくる。その顔にさっきみたいな喜びの色はなくて、どうしてか息苦しいような錯覚に陥る。


「……っ」

 鶴見が目を閉じて、私のキスを半ばあきらめるような形で受け入れようとする。でも、私は動けなかった。


「……やっぱいい」

「え?」

「ごめん。なんでもないから」


目では見ることのできない自分の内側が……わかりたくないことがわかりそうで、怖くなってきた。

















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る