4話 迷宮入り
タワー型ダンジョン
高瀬のことが何もわからない。本人すら何もわからないらしい。だって何を聞いても「わかんない」「知らない」「考えたことない」の一点、いや三点張りだから。
友達のことは知りたいと思うのが普通だ。それに、よくわからない相手とキスばかりするというのはなんとなく不健全な気がするのだ。だから最近の私は困ったことに高瀬の好みとか家族構成とか、そういうことばかり考えるようになった。
下校時間ギリギリの今は、オレンジ色した教室に鈴虫の声だけが響く。
周りに人がいないことを確認して、自分の席でフラフラと揺れながらほんのページをめくる高瀬の肩を叩く。
「高瀬、今日家に行ってもいいかな」
「え、うん。いいよ」
この提案はリスキーだ。だって、高瀬がもしも
その原動力がエロいものだったら、と考えると警戒心は生まれる。
でも、そういう危険を冒してでも彼女のことを知らないといけないという謎の使命感が確かに私にはある。なくていいのに。
林道を歩く。もう蝉の声は聞こえない季節。日が落ちてきて、カーディガンを羽織っただけでは少し寒い時間になった。
社交性の低いふたりだから、特に会話もなくただ歩いた。駅前の喧騒がちょうどよく、沈黙を埋めてくれる。
高瀬の家がどこにあるかすら知らない。家、どこなの?とか学校から駅までの数十分間にそんな会話すら生まれないのは不自然だと思っていたけど、そうでもない。
それは、彼女の家が学校からそこまで遠くない場所にあるから。
「ここ?」
「うん。17階」
高層ビルのひしめき合う駅前の中でも特に目立つ新しいタワーマンションの目の前に立つ。自分の最寄り駅の近くにこんな高さの建物はないし、普段の通学時も真下に来ることなんてないから、ちょっと圧倒される。
それに、17階といったらかなりの高さだ。普段慣れ親しんだ自分の家とは違って、空に近い場所。高瀬はいつもと同じ無表情だけど、私は目の前のタワーマンションに圧倒されて、ついきょろきょろと周りを見回してしまう。玄関を通ると、まず広がるのはホテルのような吹き抜けのエントランス。天井が高く、豪華なシャンデリアが煌めいている。足元の大理石の床に一歩を踏み出すと、私の靴音が静かな空間に響いた。
「すごい……」
思わず声が漏れる。
「そう?」と高瀬は軽く笑う。
「そんなに気にしたことないけど」
さらに進むと、フロントに受付の人が立っている。見慣れない光景に私は一瞬立ち止まってしまう。通りすがりに頭を軽く下げられて、慌てて会釈を返す。こんなところに住んでいるなんて、高瀬はお嬢様なのだろうか。彼女のことを一つ知ると、より深い謎がいくつか出てくる。謎解きのイタチごっこだ。
エレベーターの前に立つと、ガラス張りで外の景色が見えるタイプであることに気付く。高瀬がボタンを押すと、すぐにドアが静かに開いた。17階。聞いたときはピンと来なかったけれど、こうやって見るとかなりの高さだ。だけど、ここはまだタワーマンションの「真ん中」くらいなんだろう。上を見上げると、さらに上の階がいくつも続いている。
エレベーターが動き出し、耳に少し圧力を感じる。外の景色がどんどん下に遠ざかっていくのを見て、思わず息を呑んでしまう。地上から見る景色と違って、こんなにも高いところから見る景色は新鮮で、まるで別の世界みたいだ。
「もうすぐだよ」高瀬の声で我に返る。
エレベーターが17階で静かに止まり、ドアがゆっくりと開く。私は少し緊張しながらも、高瀬の後に続いて廊下へと一歩を踏み出した。こんな場所に来るのは初めてで、心臓が少し高鳴っているのを感じる。どんな部屋に住んでいるんだろう。高瀬のプライベートな空間を見られるなんて、という好奇心と、単純に自分とは縁のない世界に対する興味が入り混じって、心臓がどきどきする。
「はい、上がって」
「お邪魔しまーす……」
玄関が広い。私の部屋と同じくらい広くて、思わず誰用だよ、なんてツッコミを入れてしまいたくなるような綺麗なソファが置いてある。
勿論手ぶらで来たわけではない。高瀬とそのご家族に対して手土産はある。だけどここまで生活レベルが違うと、バカにされてしまいそうだ。財布の中身を半分も削ったんだから、誠意は受け取ってほしいけど。
高瀬のお母さんは、お父さんはどんな人なんだろうか。高瀬みたいにふわふわしてるのか、それとも逆で厳格な感じなのかな。
客間と勘違いするような玄関でキョロキョロしていると、高瀬に手を引っ張られる。
「何してるの?入りなよ」
「う、うん」
靴を脱いで、彼女に続いて中に入る。廊下も広くて、まるでどこかの美術館みたい。壁には大きな絵が飾ってあって、天井にはシンプルだけど上品な照明がいくつも並んでいる。どこを見ても、私の家とは全然違う、まるで別世界だ。
リビングに入ると、さらにその違いを感じた。大きな窓からは遠くの景色が一望できて、街の明かりがきらきらと輝いている。高瀬が「いつものこと」と言わんばかりに窓のそばに立っているのが、なんだか不思議な感じだ。彼女にとってはこれが日常なのだろうけど、私にとってはまるで映画のワンシーンのようだ。
「すごいね、ここ……ほんとに家なの?」
「うん、お家だよ」と高瀬は笑う。「そんなに驚かなくてもいいのに。ほら、座ってよ。何か飲む?」
私は一瞬迷ったけれど、彼女の勧めに従ってソファに腰を下ろす。このソファもすごく座り心地がよくて、まるで雲の上にいるみたいだ。私の部屋にあるクッションよりもずっとふかふかしている。
「じゃあ、お茶でも入れるね」
高瀬がキッチンに向かうのを見て、私はふと周りを見回す。どこを見ても整然としている。きっちり片付けられていて、まるでモデルルームみたいだ。やっぱり、ご両親の影響なのかな。
「お母さんとか、お父さんは?」
「…………今日は出かけてるよ。仕事でね、遅くなるって」
彼女の言葉に少し安心したような、でも少し残念なような気持ちになる。会ってみたかったけれど、どこかで緊張していたのも確かだ。高瀬がどんな家庭で育ったのかを知るのは、私にとってちょっとした冒険のようなものだ。
「そっか、じゃあ今日は私たちだけなんだね」
「うん、そう。だからゆっくりしていってよ」
高瀬の笑顔を見て、私は少しだけ肩の力を抜く。普段とは違う場所だけれど、彼女の笑顔を見ていると、なんだかホッとする。この場所が高瀬の「家」なんだと、少しずつ実感が湧いてきた。
目の前のテーブルに紅茶と高瀬の携帯が置かれる。
日常では縁のないさわやかな香りにたじろいて、カップから漂う湯気を見つめていると、高瀬が急に近づいてくる。
「ね、しようよ」
「えっ、えっ!?」
そうだった。ここは彼女の家だ。高瀬の家。私にとって非日常で、何も知らない、不思議な奴の家。それはもはやダンジョンのようなものであるということを、忘れていた。
ここにはもう逃げ場はないのだ。
高瀬に肩を抑えられて、体重をかけられる。ふかふかのソファに、体が沈んでいく。
何も抵抗が出来なくて、唇を奪われる。ここでは、拒む理由がなかった。誰かに見られるとか、そんな心配がない。
唇は一瞬だけ重なって、すぐに離れる。
高瀬の温度と柔らかさはわかった。彼女の匂いと、存在が染みついたこの場所で唇を重ねることで、彼女の存在は私の中でより一層鮮明になる。だけど、それだけだ。
何も、彼女のことをわかっちゃいない。
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