3話 代償
足りない毎日
ぜんぶを終えて家に帰る。
スクールバッグが床に落ちる。その音が部屋中に響く。私以外にその音を聞く人はいない。
だから、何の感情も生まれない。
ブレザーを脱いでハンガーにかける。カーディガンを畳んで、棚にしまう。シャツの第一ボタンをはずして、ソファに腰かける。
夜ごはんを買ってくるのを忘れた。でもカラオケで軽く食べたし、別に構わないな。
スマホのメモ帳を下にスクロール。クラス全員分のプロフィールを細かく記載したメモを引っ張り出す。
派手な暁美さんは韓国のアイドルが好き。
大人しけど男子にモテる沙友里さんは近代文学が好き……。
そして、鶴見、下の名前もわからないのか……。今度名簿をこっそり見なきゃな。
彼女については爪が綺麗という情報しか書いていない。
そこに、『歌がうまい』とだけ付け加える。
誰かと話しているところも見たことないから、何も知らない。他の生徒なら何かしらあるけど、この子だけはどうしても何もわからなかった。クラスでの立ち位置は高くないし、この子と関わるメリットはあまりないだろうと思ってた。
だけど今は大いにメリットがある。彼女との時間は私にとって退屈しのぎだ。ほかの人との関りが薄い彼女なら、口外される心配もないし。
でも別に誰でも構わなかった。私の空虚な時間に多少の意味を持たせるためには、誰かである必要はない。だから、鶴見だったのだろう。
唇を触った。
鶴見の存在を確かめるために。私の意味を見つけるために。
左手についた赤いリップを眺める。
鶴見は意外なことに、メイクをして学校に来る。確かに彼女は社交的とは言えないけど、見た目に無頓着なほうではない。この前あげたプレゼントも少し喜んでいたし。
急に鶴見の顔が見たくなった。目はどんな形か、鼻は?身長はどのくらいで、体型はどんなだっけ。
暇な時間が多くなると、余計なことを考え始める。鶴見との口約束を放棄してまた夜の街へ繰り出そうかと思ったけど、もう悪友たちとの関係は切っていた。それに、たばこの匂いが髪につくのが少し嫌だった。誤魔化すためにヘアオイルをたくさん使ってたから、今あるものも残りわずかになってしまった。
「暇だ」
誰もいないから、口に出す。
だけど何も変わらなくて、ただお腹が減るだけ。
意味もなくスマホをスクロールする。友達の数が大幅に減ったメッセージアプリ。トーク履歴の一番上には見慣れた名前と未読の件数を表す数字。その下に鶴見。アイコンは古いアニメの絵。ミーハーではなさそうだし、かといってニッチなわけでもなさそうな、絶妙なやつ。こんなもので、彼女のことがわかるはずがない。
*
鶴見のことを知るには、鶴見に聞くのが手っ取り早い。
目の前には、小さな体をさらに縮ませた少女。時折足踏みをしながら私を見上げる。その目は丸っこくて、若干垂れ気味。まつげはピューラーで上げているみたいで、ちゃんと上がっている。目以外のパーツは小さくて、少し幼げだ。
「今日、風冷たすぎ。寒くなるか早くどっか入ろう」
「ブレザー、着てくればよかったのに」
「朝は暑かったんだもん」
「暑がりなの?」
「んー、そうかも」
出会ってから数週間。まだ何も彼女のことを知らない。
誕生日も
「カーディガンも着てないなら、寒いよね」
「ちょうどこの前駄目になっちゃってさ」
「買ってあげようか?」
「いやいや、それはおかしいから」
「じゃあ、一緒に買いに行こう」
学校の近くはとんでもなく寂れた田舎だけど、駅前は違う。
人もモノもたくさん。鶴見は誰かに見られるのを嫌がるだろうから、コソコソしなきゃいけないのが少し面倒だけど。
ショッピングモールの中にある比較的リーズナブルな価格帯の店に入ると、鶴見が珍しく楽しそうなトーンで言った。
「ここ、久しぶりに来た。中学生のころに仲良かった子が居てさ、その子とよく来てたんだよね」
「鶴見さん、友達居たんだね」
「は?あんた、失礼。流石に小中のころはいたよ」
「こういうの、どう?」
マネキンが着ている白いカーディガンを指さす。薄手で、ブレザーの下に着るのにはちょうど良さそう。
「着てみる」
鶴見は平坦なトーンで言う。気に入ったのかどうかはわからない。
Sサイズのものをかごに入れて、試着室のあるエリアに行く。この店は断りなく試着室に入れるらしい。
「いや、何」
「何って、何」
「試着室に二人で入るのおかしいでしょ」
カーディガンを持ったまま、私に向かって吠える鶴見の肩を押して、彼女を試着室の壁際に追い詰める。
「痛っ……ちょっと、本当にダメだから」
両手で口を押え、私から目を逸らしながらかすれ気味な声で言った。
「今日、してない」
毎日したいっていうのは私の我儘で、それでも鶴見は受け入れてくれた。だけど、そんな鶴見でもこんなことをしたら怒るのかな。そんな、なんというか自傷行為に似たようなことをしてしまう。でもたぶん、鶴見がいなくなるより手首を切った方が痛いはずだ。
「わかったけど、場所考えなよっ……」
「ここでしたいの」
鶴見の手首をつかむ。細くて、簡単に折れそうだけど容赦せずに力を入れる。
「い、痛いっ!本当にやばいから、ねえあんたヤバイよ」
「じゃあ抵抗しないで」
鶴見としては全力で抵抗しているのだろうが、体格差がありすぎて、全く意味はない。彼女の小さな唇を奪う。
「……最悪。それ、レイプだから」
鶴見は大袈裟な言葉を使う。
「違うし」
鶴見はさっきからずっと私から目を逸らしている。顔は赤くなってるし、唇を隠すように手を置いている。別に彼女が怒っていようと構わない。そのままどこかへ行ってしまったら、この前みたく夜遊びビッチに逆戻りすればいい。補導されるのは面倒だし、不良たちはあまり好きじゃないけど。
「ごめんね」
「いや……謝るくらいならそもそもしちゃダメでしょ。まあ、いいけどね」
鶴見のちょっと尖った目が私を見上げる。じとーって感じで猫みたいだ。
「……これ買う」
大きめのカーディガンを抱えるようにして持ち、わざと目を逸らして小さな声で言う様が拗ねた子供みたいで、おかしかった。
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