高瀬は悪くない
何が『高瀬に引っ張られて夜遊びしちゃだめだよ』だ。
前時代的過ぎるし、そもそも先生が生徒の人間関係に口出すなよ。
堪えきれない不機嫌のぶつけ先がなくて、地面の石を蹴る。
流石に高瀬はもう帰っちゃったかな。誰かと一緒に帰るなんてのは数年ぶりで、少し楽しみにしていただけあってちょっと残念。
「鶴見さん」
校門の角から聞こえたのは、慣れない声。
「えっ、待っててくれたの?ありがとう。ごめん、結構待たせちゃったよね」
「全然。何かあったの?」
「何も」
高瀬が夜遊びしてようが、私には関係ない。関係ない連中には好きなように言わせておけばいい。それに、人に完璧を求めるのは間違ってる。どこかが優れているなら、どこかが足りないことはある。
「そっか」
高瀬は美人で、背が高く成績もいい。夜に出歩くことくらい許してあげればいい。それが、不健全なものでなければ。
「にしても、髪きれいだよね」
つい思ったことが口に出てしまった。
「え?」
そういう言い訳はもうできない。だって、私の手が彼女の髪に触れているから。頭の中で思い描いた動きをつい現実でしてしまったというのはもはやうっかりミスではないからだ。
こんなに綺麗なんだ。絶対モテる。もしかしたらみんなが言うように、本当に不純な異性交遊があってもおかしくないのだ。
いや別にどうでもいい。大親友とかだったら何か思うかもしれないけど、あいにくそういう関係の人はいないので、”何か”を想像することさえ難しい。
彼氏くらいいるだろ、この顔なら。
それは別に不純でもなんでもない。相手がおっさんとかじゃなければ。
「いやー、こんなに長いのに、すごい手入れしてるんだね」
「うーん、まあそれなりには」
長い髪に指を通す。一度も絡まることなく、するっと下に抜けていく。見たこともない桁の値段がする絹を撫でているんじゃないかと思うほどに滑らか。だけど、指が全部通り切ると、直前まで指を包み込んでいた感触がきれいさっぱり無くなってしまう。高低差が大きすぎて地面に水が落ちる前に気化してしまう滝みたいんだ。そんなものがあるかどうかは、置いておいて。
「ていうか……楽しい?髪触るの」
「あ……ごめん。結構楽しかった」
私の手は高瀬の髪の中で止まる。凪に浮かぶ帆船の気分だ。高瀬の存在の不安定さと、感触の確実性が私に緩和と不安をもたらす。
「鶴見さんは、爪が凄く綺麗だよね」
「え」
高瀬に手首を掴まれて、そのまま上方に、高瀬の顔の近くまで引き寄せられる。自分の手なのに、自分の管制下から簡単に引き離される。
力を入れられているわけでもないのに、抵抗する気が起きないから、そのまま彼女に委ねてしまう。
高瀬の唇の目の前に引き寄せられた私の手。
私から切り離されたのに、彼女の呼吸の温度だけは明確に伝わる。
なんというか、色気というか。なんというか。
夜遊びって、やっぱりそういう……。
私はとにかく高瀬と目が合わせられない。このまま何かよくないことをされても、何も言い返せないと思う。
だって綺麗で、妖艶で、セクシーで色気があって色めいて……。
色で高瀬を表すなら白と黒だけど、グラデーションが細かくて曖昧で、極彩色よりも深い。
「キスしてもいい?手に」
「……?いやいやいやいや」
いやいやいやいやいやいやいやいや。
駄目でしょ。
駄目じゃないけど、そういう軽いのは良くない。
私たちは出会ってまだ一週間も経っていない。だからそのキスはきっと軽はずみで、私じゃない誰かにもしている?と大して意味を持たない疑問がでつまずく。けどすぐに立て直す。
ビッチであるという根も葉もない噂に説得力を持たせるような発言に胸がざわっとする。別にどうでもいいはずなのに。
「これ、あげるね。鶴見さん、使うよね」
「は?」
渡されたのは結構よさげなネイルオイル。ブランド物だけどすごく高いわけでもない。それこそ、高校生がちょっと頑張れば手に入るもの。
だけど、出会ってすぐの知り合いに渡すようなもんじゃない。仲のいい友達の誕プレとか……が妥当、なのかな。
「いや、私誕生日でもなんでもないよ」
「知ってるよ。誕生日は12月の27日だよね」
「えっ……そ、そうだけど」
誰にも聞かれないから誰にも教えていない誕生日を当てられて、ちょっとぞくってなる。嫌な気分ではないけど、ちょっと。ちょっとだ。
「とにかくこれ、あげる」
「なぜ」
「えー、っと……。わかんないけど、あげる」
特に意味もなく安くない物をもらうというのは、少し気が引けるのだ。それとも高瀬からしたらジュース一本を奢るような感覚なのだろうか。それなら金銭感覚がおかしい。そうじゃないなら、人との距離感がおかしい。
「それ、そんなに安くないよね」
「うん。ちょっと頑張った」
頑張るというのは、バイト?それとも非合法でアブナイ何か?彼女の色っぽさから非合法が香った。私には関係ないことなのに、なぜか心が急に、膨張する。
「じゃあ、これ、お礼。友達になってくれたから」
「えっ……いや、そんな」
友達になってくれた、か。確かにそうかも。でもそれは感謝するようなことじゃないし、ましてや物をもらうようなものではない。昔の国同士の同盟じゃあるまいし。
「受け取って。嫌なの?私と友達なのは、嫌?」
「嫌ってゆーか……」
「?」
「あの、なんというか、やっぱりだめだと思うんだ。そういうことは」
「何の話?」
「その、夜中に出歩いて色々もろもろでそのなんかだよ。友達として、夜遊びをやめるべきだって言いたいの」
生徒指導室に呼び出されるなんてもうごめんだ。高瀬の素行が悪いと、私がダメージを喰らうことがわかってしまった。なら高瀬と離れればいいのかもしれないけど、無理そうだ。
「……じゃあ、もう夜に遊ぶのはやめる」
意外にも素直な言葉が飛んでくる。
「でもそしたら、私、居場所なくなっちゃうんだ。鶴見さんもわかってるよね。私、いつも一人」
黙って頷く。
「だから、特別な友達になって。キスフレに」
なんだそりゃ。
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