なんでだろ

 学校の近くの田舎道を抜けて、煌びやかな繁華街に入る。聞こえてくる音は、虫の声から、人の声に変わる。


「あっ、ごめん」

 まだ高瀬の手を握っていたことに気が付いて、離す。脊椎反射の謝罪の言葉は、意味を持たない。彼女は無表情で首を傾げる。


 ビッチと噂される闇深女子と単純に無愛想な陰キャ女子が放課後にデート……。いやデートじゃないな。


 誰かに見られたら結構めんどうだ。


 この感覚を高瀬にわかってもらうのは難しい。わかってもらうには高瀬に対して、高瀬と一緒いること自体が嫌ではないということを伝える必要があるけど、変な勘違いをされそうだ。


「時間あるなら、カラオケとかで時間潰そ」

「カラオケ?いいけど、カフェとかの方が近くない?それに時間あるって言っても1時間くらいだし」

 最もな指摘に思わず唇を噛む。だけど、この時間のカフェなんかクラスと変わらないくらい高校生比率が高い。それに、女同士とはいえ2人きりで密室はハードルが高い。私と高瀬の関係性の便宜上の名前キスフレを鑑みるとさらに。


 でも、面倒ごとから逃げたい私は押し切る。


「いや、ちょうどいいじゃん。行こうよ」

「わかった」

 高瀬は私をじっと見つめたまま首を傾げて返事をした。


「えっと、高校生2人で」

「はい、学生証ありますか?」

「あ、はい」



 よく考えたら私が高瀬の時間潰しに付き合う必要がないことに気がつく。それに、たった1時間のために無視できない額のお金を支払うのにも戸惑いが生まれた。だけど、ここまで来て帰るってのも難しい。私の横でニコニコしている高瀬を見ると尚更。その笑顔の意味はわからないけど、力が抜けていくような魔力がある。


 部屋は薄暗くて、狭い。カラオケなんて中学生以来だ。あのときはこの薄暗さにテンションが上がっていたけど、この状況では心拍数が上がるだけだ。


 なんとなく、私と高瀬の間には人2人分くらいの空間が開いている。彼女との距離感が難しいのもあるけど、変なことをされるかもしれないという警戒心が、そうさせる。


「で、どうする?ワンドリだからなんか頼まないといけないけど」

「なにそれ。私、カラオケ来るの初めてだからよくわかんない」

「えぇと、とにかく何か飲み物か食べ物頼まなきゃいけないの。あんたどうするの?なんでもいいなら適当に頼むけど」

「なんでもいいよ」


 予想通りの返答が来て、すぐ横にあった受話器に手を伸ばして……。


 ――私と高瀬の間の空気が潰える。

 一気に距離を詰められて、肺の中の空気がぎゅっと圧縮されたような気分になる。


「ちょ、何」

「何が」

「近い。てか、あんま触らないでよ」

密室では空気が薄い。呼吸がしにくいし、鼓動が早くなる。


「キス」

「いや、今日はもうしたでしょ」

「別に、一日一回とか決めてないしいいじゃん」

レザーのソファが軋む。


顔だけを左に向けると、高瀬の顔がゼロ距離。もう夏も終わりだというのに春が、ほんのりと彼女の長い髪から香る。


座ってるから目線が同じで、薄暗いのにいつもより彼女の顔がハッキリと見える。


吊っても垂れてもいない目は不思議で、まっすぐ私の方に心を向けているような。


 左の腿に重さを感じる。高瀬が体を私の方に少し傾けて、均衡を失った力を私に預ける。私は左手でその手を包み込むように抑えた。だけど振り払ったりはできない。ただ、彼女の手に私の手が重なる。


繊細な指の感触と重さが高瀬の存在を主張して、どんどん鼓動が高まる。


「だめだって」

「カラオケって、そういうことでしょ?」


高瀬が私の顎に軽く手を添える。体に電流が走る。

「目、閉じて」

「やだ」

薄暗い部屋で二人きり、目を閉じてキスなんてしたら恋愛映画じゃないか。高瀬が単なる友達であることを私の脳に刷り込むために、大きく目を開く。小さな照明から発せられる僅かな光を取り入れるため、瞳孔を酷使する。


そうしないと、おかしくなる。


顔に誰かの手が触れるなんてことは赤ちゃん以来のことだろう。顔なんて、本当に信頼してる人にしか触らせないし、触られないものだ。


じゃあこいつは一体誰だ。私の顎を優しく触り、じっと見つめるこの女は。


脳がオーバーヒートして、動きが固まる。立ち眩みに似た症状に襲われ、ぼんやりと薄暗い中に白く輝く高瀬の顔を見ることしかできない。


一瞬だけ高瀬の香りが強まって、柔らかくて温かい感触が唇に伸し掛かる。


すぐに離れて、私に残ったのは酸欠と焦燥だけ。


「キスフレだから、いいじゃん」

「……そういうのは、駄目でしょ」

「なにが?キスしただけじゃん」


あくまで友達フレンド。その認識を揺るがすような行為は禁止。明確に取り決めをしたわけじゃないけど、線引きは大事。


だから私は何も言えなかった。


「まだ時間、いっぱいあるけど、あんた歌とか歌うの?」

「何それ。歌は歌うためにあるでしょ」

「そうだけど……」

「もう一回キス」

「もうだめ」


なんでこんな関係になったんだっけ。ほんの数週間前の出来事だけど、深い霧に覆われているようにモヤっとしている。
















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