妖精
ボディガードである僕は、彼女のプライベートに深く立ち入ることは許されていない。でも、ずっと気がかりなことがあった。
――アヤカは検診の間の出来事を、まるごと記憶から失ってしまっているんだ。
アヤカを自室まで送り届ける為レンガ造りの細道を2人で歩いていると、彼女のライトブルーの瞳が校舎に飾られた大きな時計に釘付けになった。
「もう、夕方なんだね」
うっすらとオレンジ色に染まる秋の空。アヤカが澤谷さんと検診に向かったのは午後の1時。彼女からすれば時間が一瞬で3時間も飛んでしまったように感じているのだろう。
体調チェックは中断したものの、問題なかった。鼻歌を歌いながら、軽く体を左右に揺らし歩く姿は普段の元気な彼女そのものだけど……ついさっきの侵入者の言葉がどうしても気がかりだった。
……人体実験に、ネーファスプロジェクト。アヤカの検診と関係があるのか? いや、そんなはずは……
「リュウ、見て!」
アヤカが指さす先には、学園に生徒達の娯楽として設置された施設のひとつであるカフェと、店の前の「秋の新作! シャインマスカットの彩りパフェ」と赤と緑の文字で書かれたカラフルな看板。
「またパフェ? 先週も食べてなかったっけ」
「何度だって食べたいの! それにこの間は桃で、今度は葡萄だよ? しかもシャインマスカットだよ!」
この軽いやりとりは入学してから何度目だろう。アヤカがカフェで新作が出る度にパフェをねだるのは、もはや季節の風物詩のようだ。
「桃の前は夕張メロン、その前は一日10個限定のマンゴー。春の苺のパフェ以外は制覇してるよね。パフェを食べた後のアヤカは夕食を残しがちだから……ちょっと心配だな」
「ゆ、夕食もちゃんと食べるもん! リュウってば、過保護なんだから」
「栄養が偏ると澤谷さんが心配するよ」
食事や健康管理のサポートもボディガードとしての職務のひとつなんだけど、なんだかんだで彼女に逆らえない自分がいる。先週もおねだりに負けて一緒にパフェを食べたのはいいけど、彼女が残した夕食の半分は僕が代わりに食べたんだ。正直、依頼人の澤谷さんには絶対に言えない事だ。
――その時一際冷たい風が僕の頬を撫でた。
これはアヤカの友達――「精霊」達が彼女の心に反応して起こす自然現象のひとつだ。
水の精霊はアヤカの悲しみを伝えるように冷たい風を吹かせ、雷の精霊はパチパチと静電気のような音を鳴らし、怒りを伝える。
僕は影縫いでの教育と訓練のせいか、心を理解する事に疎いと自覚してる。そしてアヤカはいつも笑顔で、怒りや悲しみを顔に出す事はほとんどない。でも妖精の心に反応して自然現象を起こすという「精霊」達のおかげで、彼女の心は大分わかるようになった。今は冷たい風が吹いてるから、多分悲しんでるんだと思う。
だから今僕は無力感を感じている。アヤカを守る為にここにいるのに、今目の前の彼女の心をどう救えばいいのかが、わからないんだ。
「リュウ?」
気付くとアヤカが瞳を覗き込むように顔を近づけ、キラキラ輝くライトブルーの瞳が間近に映っていた。
「私がお父さんと夕食に行けなかった事、心配してくれてる?」
「え!!」
心を読まれたかのような言葉に胸が一際大きく鼓動を鳴らした。
まるで心の奥底まで覗き込まれているような不思議な感覚に陥る彼女の瞳。耐えきれなくて視線を逸らすと、アヤカがはっと気が付いたように苦笑いを浮かべた。
「ごめんなさい、またやっちゃった」
妖精は人間の瞳の中に心の色を見ることが出来るらしい。
僕の心の色が気に入ったらしいアヤカは時折瞳を覗き込んでうっとりと見つめてきたけど、その視線は僕は少しだけ苦手だった。
ついさっき僕から顔を近づけた時は、アヤカの方がうろたえていたのに……正直、不思議な気分だ。
「精霊たちが、自分たちの大好きなリュウが元気がないって心配してるよ?」
アヤカが指さす空の向こうを見たけど、日が沈みかけの空が広がっているだけだ。
「いったいどんな顔をして心配してるのか、ちょっと気になるね」
「リュウってば、精霊たちに顔はないよ」
「えっ、そうなのか?」
「えっとね、これくらいの丸くて淡い光なんだ」
アヤカが手のひらを僕の前に出した。どうやら精霊たちは、小柄な彼女の手のひらに収まるくらいの小さな光のような姿をしているらしい。
「今はみんなちょっと光が弱いかな?」
「それが精霊の心配?」
「うん、私がお父さんの心の色に惹かれたのと同じ。みんなリュウの綺麗な心の色が大好きだから、元気がないって心配してる」
「なんだか恋人みたいな言い方だね」
「恋人? 私とお父さんが?」
うーん、と少し空を見上げてアヤカは考え込んだ。
「……ご飯を食べたり、赤ちゃんがお母さんに甘えるのに近い、かな?」
子供が親に甘える? それは、つまり……
「習性ってことかな?」
「そう! それ!」
ぱっ と愛らしい笑顔を浮かべるアヤカ。つまり、妖精の「恋」とは人間の食欲や睡眠欲と同じようなもので人間の「恋」とは少し違うらしい。
でも……そうだとしたら、人間と妖精の間に生まれたアヤカはどうなのだろうか? 人間のように恋をする事はあるのだろうか?
「リュウ、何か聞きたそうだね?」
「それ、僕の心読んだ?」
「リュウの瞳の奥にある綺麗な心が、そう言ってるよ?」
彼女は時々鋭い洞察を見せる。突然核心をついてくる今みたいな言葉も、心の色もそうだ。約4年と言う時間を共に過ごすうち、すっかり僕の日常の一部になってしまったけど、最初の頃はかなり戸惑った。
そして今では彼女に嘘は付けないなと、半ば諦めに近いような感覚に陥っている。職務上依頼人に質問は厳禁なんだけど、ね。
「じゃあ聞くよ。アヤカは……人間みたいに人を好きになる事はあるのかな?」
「えっ!? そ、それって……リュウ、どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、アヤカは人間と妖精の間に生まれたんだろう? だから気になったんだ」
「うう……リュウって、ほんとに真面目にそういうこと聞いてくるんだから……」
彼女の白い肌が真っ赤に染まり、小さくため息が漏れた。やっぱりまだ体調がおかしいのだろうか? 近寄って体温をチェックしようとすると、アヤカが「まて」をするように両の手のひらを突き出し、一言。
「……リュウの、いじわる」
……何か問題ある行動をしてしまったのだろうか?
僕の警護対象「澤谷アヤカ」
彼女は少し変わった子だけど、資産家の娘とは思えない程明るく、心の優しい一人の少女だ。
「ボディガードのリュウもかっこいいけど、私はもっと学生のリュウを知りたいな」
僕は彼女のボディガードとして雇われた存在。でもアヤカは僕と学生として一緒に過ごす事を望んだ。
正直どうすればその願いを叶えてあげられるのか、僕にはわからなかったけど、彼女の願いは出来る限り叶えてあげたいと思ってる。
「善処するよ。何をしたらいいかな?」
「じゃあ……一緒にパフェ、食べたいな」
カラフルな看板を指さしながら微笑むアヤカ。
これはきっと……澤谷さんと食事に行けなくて落ち込むアヤカに、僕が励ましの言葉を思いつかなくて悩んでいる事を見抜かれたな。励まそうとしたら逆に励まされてしまった――これも、いつもと同じだ。
「いいよ。食べようか」
そう伝えた瞬間心が温まり、あたりに吹く心地の良い風が少しだけ暖かくなった気がした。
「あ! リュウが少し元気になったって、みんな喜んでる」
アヤカがオレンジ色に染まりかけた秋の空を指さしながら、いつもの笑顔を浮かべべた。
その指先を追ったけど、やっぱり何も見えない。きっと彼女の瞳には、この世界の至る所に存在するという「精霊」達がたくさん映っている。そう思いながら、その細い指の先を見つめた。
――この世でたった一人、妖精と人間の間に生まれた特異な存在・アヤカ。
そして彼女が喜ぶと柔らかな風を吹かせ、悲しむと、冷たい風を吹かせる”精霊”達。
その不思議な現象を巡って「何か」が動いている事を、僕はこの時何も知らなかった。
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