黒板けし



 アヤカの護衛として、一番最初の仕事は彼女の送迎だ。

 他の女子生徒よりも一際立派な寮は、特別な生徒にのみ与えられる、ホテルで言うスイートルームのような一室だ。資産家の娘であるアヤカには、この部屋が与えられている。 扉を叩くとお気に入りの若草色のリボンを髪に結ったアヤカがブルーの両開きの扉を開けて姿を現した。


「おはよう、リュウ」

「アヤカ、体調はどう?」

「元気だよ。リュウから質問してくるなんて、珍しいね?」


 ボディガードは依頼人に私的な質問を投げかけるのは基本厳禁だ。アヤカはもっと質問してほしいと言うけど、澤谷さんに雇われている僕はそうもいかない。

 昨日の検診後のアヤカの体調に加えて今朝の夢が気がかりで、つい、らしくない行動をとってしまった。


「あれ? やっちゃった~って顔してるよ?」

「アヤカ、あまりからかわないで」

「ごめんなさい。でも、私はもっとリュウに質問されたいな?」


 アヤカはいつも、「学生としての羽瀬田リュウ」を求める。教室に到着するまでは、おしゃべりが好きなアヤカからの質問攻めに近い僕たちの会話が始まる。これも日常のひとつだった。




 校舎の中に入っていくと、高い天井と、右側には大学キャンパスのように大きな窓が壁のように並び、太陽光がたっぷりと差し込む開放的な廊下。

 左側に続く教室からは雑談をする生徒、宿題を忘れたと思われる少年が友人に助けを求める声、日直が黒板にチョークで何かを書き込む音……それぞれの生徒たちの動きが、廊下を歩く数分で一気に目や耳に飛び込んでくる。


「あ! タクミ君」


 廊下の少し先を歩く少年にアヤカが元気よく声をかけると、若干癖のある柔らかな髪をした小柄な少年が振り返った。


「おはよう、アヤカさん!」


 頼りなさげな表情を浮かべ、微笑む彼の名前は「真田タクミ」

 絵画の才能を見出され、この学園に入学した一般家庭の生まれの少年だ。気弱な彼は、言い方は悪いけど地味で目立たない生徒……僕と同じようなタイプの生徒だと思う。でもアヤカと話す時は笑顔を浮かべ、絵画について質問する彼女に雑学や読んだ本の話を楽しそうに語るんだ。


 ――会話を弾ませる2人の背中を見守りながら、僕は今朝の夢の事が気がかりで仕方なかった。


 ただの夢と言ってしまえばそれまでだと思う。でも研究所のような場所に、検診の記憶を失っているアヤカ。化け物に変貌したクラスメイトと、1人逃れたタクミ君。


「タクミ君、体調は大丈夫?」

「? どうしたの、リュウ君。いつも通りだよ」


 どうも気になって仕方がない。アヤカと絵画の話で盛り上がるタクミ君はいつも通りの彼だったけど、なんとなく「違和感」を感じたんだ。




 ――そして、その「罠」は突如目に飛び込んできた。




 一般的な校舎よりスタイリッシュにデザインされた校舎は通常よりも天井が高く、そのせいか扉の上部は注意が向きづらい。周囲の警戒を怠らない僕みたいな人間じゃないと、多分気付かなかっただろう。

 3人で登校する時、タクミ君はほぼ確実にアヤカに先導して教室の扉を開ける。


 その「罠」は、そんな彼を狙ったものだろうと思う。


 絶妙なバランスで固定された、いかにも「古典的」といえる仕掛け。見つけたはいいけど、これをどう回避したら良いだろう? と思考を巡らせる。

 どんな犠牲を払おうと依頼人を守るのがボディガードだ。最適解と言える対処法に辿り着いた僕は意を決してアヤカとタクミ君の前に割って入り、驚く2人の視線を背後に感じながら勢いよく教室の扉を開けた。



 ――ぼすっ。



 目の前に広がるのは白と青の壁に囲まれた教室……ではなく、チョークの匂いと一瞬真っ白に染まった視界。僕の足元には黒板けしが音を鳴らして転がり、しんと静まり返ったクラスメイトの視線が一斉に僕に注がれた。


「大丈夫? アヤカ、タクミ君」

「いや、リュウ君が大丈夫?」


 ひきつった顔で突っ込みを入れるタクミ君。その隣のアヤカの制服が汚れていない事を確認した僕はほっと胸をなでおろし、タクミ君は教室内を見回しながら申し訳なさそうに呟いた。


「……ごめん」

「なんでタクミ君が謝るの?」

「リュウ君、僕をかばってくれたんでしょ?」


 彼の言う事は半分正解で、半分外れだ。何故なら、彼のすぐ隣で会話に夢中になっているアヤカの制服にほんの少しでもチョークの粉が纏わりつこうものなら、それはボディガードである僕の責任と言えるからだ。


 ――とはいえ、犯人が誰かははっきりしていた。


「なんだぁ、羽瀬田かよ」


 こちらに視線を送りながら、舌打ちを漏らす3人の男子生徒。なにか言いたげな彼視線がタクミ君に注がれている。彼らの計画では、あの黒板けしの制裁をうけるのは、恐らくタクミ君だったんだと思う。

 僕は黒板けしを拾い上げると、遠目でこちらに視線を送る彼らに白く染まった布部分を向けた。


「チョークの粉は人体に有害だ。僕たち未成年の健康維持の為にも、次からはチョークの粉を払い落としてから設置する事を検討してほしい」


 しんと静まり返る教室――やがてクラスメイトが「どっ」と大笑いをし、教室内は一気に賑やかになった。


「リュウ君、とりあえず頭の粉を落とそうか」


 ――何か変な事を言ったのだろうか? 


 笑いの涙を堪えるタクミ君に差し出されたハンカチを受け取り、真っ白になった黒髪をはたきながら皆の笑いの意味を考える。

 幼い頃から戦いに身を費やしてきた僕にとって、同年代のクラスメイトの心というものは、どんな強敵を倒す任務より難解で複雑なものだった。





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