第12話 再生
エリスへ
エリス。もしきみが偶然、あるいは何かの目的でこのノートを開いた時、僕がきみ宛てに綴った文章を読んで、さぞ驚くことだろう。
以前きみが屋敷を出て行く際に置き手紙を残していっただろう? あれを読んだ時、きみが何も言わずに出て行ったしまったことをとても悲しく思ったけれど、同時に書かれていた内容が強く心に残ったんだ。
口で伝えることも、もちろん素敵な思い出になるだろうけど、文字を残すことで、時が経ったとき、より鮮明に思い出すことができる。きみの手紙を読んで、気づかされた。
そういうわけで、きみへの想いを、こうして改めて書き記しておこうと思った。
驚いただろう? もう一つ、きみを驚かせることを告白しよう。
実はきみと僕は、二十年前に会ったことがあるんだ。
鬱蒼とした森の中、廃屋の二階で――と書けば、きみは思い出してくれただろうか。
そう。あの時、攫われた子どもが、当時八歳だった僕だったんだ。
きみがまさか、と思うのも仕方がない。僕はその時まだ背も小さく、声も高くて、よく女の子に間違われたからね。天使のようだとよく言われた。自画自賛になるが、今とは違う美しさだったと思う。
話を戻すと、僕はこの国の王子であり、しかも王太子であるヴィクトールという従兄と容姿がよく似ていたせいもあって、身代わりのようにして攫われることがよくあったんだ。
でも攫われる度に、何だかんだ無事に救出されたから、今回もきっと大丈夫だと信じていた。
美しい少女が二階の窓を壊して現れた時は、さすがに驚いたけれどね。
きみもまた、赤い瞳を真ん丸とさせて、僕を見ていた。月明かりを背景にきみの姿を見た時、僕は月の妖精でも現れたのかと思った。紫の髪色も神秘的で、一度見たら忘れることなんてできない。本当に可憐だったよ。
固まる僕に、きみはすぐに状況を理解した様子で、縄を解いてくれた。そうしてどこも怪我していないか心配した顔で確かめて、僕がこうなった事情を訊いたけれど、僕は当時大人たちに言いつけられていたこともあり、本当のことを言えなかった。
僕の本当の名前は、リュシアン・ルネ・ブランシャール。
ブランシャール王国の王子。二十歳の頃にラルシェ公爵の爵位を賜ったから、きみに再会した時は、そちらの方を名乗らせてもらった。
きみに伝えた「ルキウス」という名前は、リュシアンの古い言語での言い方だ。
本当の名前を伝えることができず、当時は悔いたものだが、長いこときみに会えない日々が続いていく中で、かえって「ルキウス」という名前を伝えてよかったかもしれないと思い始めた。少しでも長く、僕のことを覚えていてほしかったから。
話がまた逸れてしまったので、元に戻すね。大事な部分だよ。
きみは僕が誘拐されたことを知り、僕の置かれた状況を憐れみ、誘拐犯に対して激しく憤ってくれたね。
そして、誘拐犯を倒すことを申し出てくれた。
正直、きみのような可憐な少女に倒せるのかと不安に駆られたが、きみは実に手際よく、まるでショーを披露するかのように、誘拐犯の男たちを地下牢の牢屋に閉じ込めてくれた。
あの時一緒に力を貸してくれたきみの大事な仲間――狼たちのことも、僕は覚えているよ。きみがとても優しい目をして、彼らの背中を撫でている姿も。そしてその優しい表情を、僕にも向けてくれたことも、全部。
『もう大丈夫。あなたを傷つける者は、わたしがやっつけたわ』
そう言ってくれたきみに、僕はすでに心奪われていたのだと思う。
だってその時のきみは本当にかっこよくて、でもどこか誇らしげな態度が子どもっぽくて、とても可愛かったから。
僕はきみと、もっと仲良くなりたいと思った。当然だろう? 助けてくれたお礼だってきちんとするのが王族として、いや、人としての礼儀だ。
でも、窓から外を眺めていたきみは何かに気づいたようにさっと表情を強張らせ、先ほどまであった勇ましさがあっという間に消え去ってしまった。怯えて、今にも泣き出しそうな表情に、僕まで心が苦しくなった。
僕はどうしたの、と訊いた。何か力になりたかった。何もできない子どもだったくせに、力になれるはずだと思った自分がいたんだ。
きみはしゃがんで僕と同じ目線になると、僕を置いて行かなければならないことを悲しげな表情で告げた。
僕は嫌だと言った。それまで我儘を言ったことなんてなかったけれど、その時は、きみを一人行かせてはいけないと強く思ったんだ。たとえ僕がついて行くことで、きみの足手まといになっても。
でもやはり、きみはできないと断った。
僕を危険に晒したくないからと、正直に伝えて。
『ごめんね、最後まで一緒にいてあげられなくて。でも、すぐに助けが来るわ。だから怖いかもしれないけれど、信じて待っていて』
僕を抱きしめる身体は震えていた。きみは本当は怖かったんだ。外へ出て行くのが。きみを追いつめる者がいて、その者と対峙することがたまらなく怖かった。
でも、そんな恐怖を必死に押し隠して、大丈夫だときみは僕に微笑んだ。
その笑顔を見て、僕の心は痛いほど締めつけられた。
当時はまだ子どもで、自分の感情を上手く説明できなかったけれど、今ならわかる。弱いのに強くあろうとするきみの強さに、惹かれた。愛おしさが溢れて、きみを守りたい、愛したいと思ったんだ。
弱い、と言ったのは少し誤解を招くかもしれないね。
以前きみは、自分のことを弱いと言ったよね? 確かに他の吸血鬼に比べれば、そうなのかもしれない。でも、誰かを守るために自分が前へ出る勇気を持っている。微笑んで大丈夫だと言ってあげられる優しさがある。僕はそんなきみが決して弱いとは思わない。
エリス。きみは強くて、優しい人だよ。
僕はそんなきみを好きになって、またきみに会いたいと思った。
きみが出て行ってしまったあと、ほどなくして、僕は捜索隊に救助された。きみは僕の居場所を警察に教えてくれたそうだね。大変な状況だったろうに、ありがとう。
本当は新聞で大々的にお礼を述べたかったんだけれど、誘拐されたことは伏せておくべきだという話になってしまい、僕が無事であることをきみに伝えることは叶わなかった。
でも、新聞でお礼を言うことができないならば、直接会って伝えればいい。
僕はそう思い、きみの行方を密かに探った。
きみが吸血鬼であることは、きみの見た目や、僕を攫った誘拐犯たちを懲らしめたやり方から推測した。
そしてもう一つ。
僕が転んで怪我をした時、流れる血を見た時、きみの赤い瞳が一際強く輝いた。まるで宝石のようにね。恐らく、血を飲みたくなったんだろう。
魅入られたように僕の血を見ていたきみだが、やがて我に返った様子で顔を背け、血を飲みたいと思ったことを激しく嫌悪するように顔を歪めた。
エリス。きみが血を飲みたかったのだと後で気づいた時、僕が怯えたと思うかい? きみに嫌悪感を抱いたと思うかい?
僕はね、飲んでいいのに、と思ったよ。血を飲んで命を落とすことになっても、それならそれでいいと思ったんだ。
僕の血がきみの飢えを癒し、きみの生きる糧となる。僕という人間は死んでも、僕の血はきみの中で生き続ける。それは僕にとって、この上ない幸せなことなんだ。――こんなことを書いてしまえば、きみに引かれるかもしれないが、嘘偽りない本音だよ。
でもきみは、優しい人だから、吸血鬼になっても人としての心を失っていないから、人間の血を吸うことに罪悪感を抱くんだよね。
あのヴァンサンという吸血鬼が教えてくれたよ。(郊外の屋敷に連れて行かれて、人質にされた時に、勝手に話してくれた。彼、意外とお喋りなんだね)
寝たきりになって誰も世話してくれないお婆さんの面倒を見て、最期を看取って、その血を飲んだこと。無理矢理じゃない。きみは自分が吸血鬼であることを正直に伝え、お婆さんもきみに血を飲まれることを許したから。
夫に浮気されて、子どもも亡くした女性が自殺しようとして、きみは引き留めて、しばらく一緒に暮らした。本当の母娘のように暮らしていたけれど、女性は子どものことが忘れられず、きみに楽にさせてほしいと頼んだ。それできみは彼女の血を飲んだ。女性はありがとうとお礼を言い、この世に未練を残さず旅立った。
子どもの血も飲んだと言っていたけれど、それも両親に虐待されて、すでに助からない子どもの血だった。苦しそうな子どもを楽にさせるための止めだった。きみは子どもを手厚く葬ると、子どもの死にも気づかないで遊興に耽っていた両親の屋敷を燃やした。
どの人間も、すべての血を飲むことはしなかった。それは普通吸血鬼にとって辛いことみたいだね。
きみは彼らの血を飲んだ時、何を思ったのだろう。僕には、悲しげな表情で佇むきみの姿が見えたよ。彼らがきみの存在に救われて、きみのことを恨んでいなくても、きみの心は孤独で、吸血鬼になった自分の存在を受け入れられなかった。
きみが吸血鬼であると知って、吸血鬼の存在を調べていくうち、あの日のきみの苦しげな顔を思い出す度、僕は願うようになった。
きみを助けたい。きみに僕の血を飲んで欲しい。きみと同じ存在になりたい、と。
足手まといにはなりたくない。だから僕なりに、強くなる方法を探った。吸血鬼狩りという人間にも会い、あの銃を譲ってもらった。きみを傷つける者を、僕自身の手で裁くために。
いつか、は必ず来ると信じていた。
あの日、きみと再会できた時、神さまは本当にいるのだと思った。
いや、僕自身が掴み取った未来か。あるいは、きみと僕はもう一度巡り合う運命だったのか。
僕はそのすべてだと思う。物事は何でも、ロマンチックに考えたいからね。
きみは昔僕と出会ったことを忘れていた――あるいは、僕と気づかず、僕を警戒した。当然だ。むしろもっと警戒してくれてもよかったよ。
きみに覚えられていなくても、僕はきみと再会できた喜びで胸がいっぱいになった。それできみに少しでも快適に暮らしてもらいたくて、いろいろと張り切ったんだ。
きみと過ごした日々は、本当に楽しかった。きみもそうであってくれたら嬉しい。
王子であることは、あの日王宮の人間(僕の従兄、つまり王太子の側近なんだけれど)が来た時に、告げるつもりだった。
最初から身分を明かしてしまえば、きみは絶対に面倒事に巻き込まれると危惧して、屋敷に留まってくれないと思ったから。その後きみがいなくなったことを知り、こんなことならばもっと早く打ち明けていればよかったと後悔したよ。
でも、その後きみを迎えに行くために探しに行くことは、何だか新鮮だった。
死ぬほど心配したし、いくら事情があったとはいえ、何も言わずに出て行くなんてひどいと腹が立って、でもぽつんと公園のベンチに座っている姿を見た時は、なんだか僕まで寂しい気持ちになって、無事だったことにすごく安堵して……きみが大事な人だから、こんなにもいろんな感情を抱くんだって改めて気づかされた。
エリス。僕はきみにずっと、安寧を与えたかった。
きみは「監禁」という言葉を使ったけれど、確かにそうだ。僕はきみを安全な場所に囲いたかった。もう誰もきみを傷つけないようにするために。
でも、人間の僕では、やはりきみを守り切れない。ヴァンサンが言った通りだ。
それに人間の寿命では、きみを置き去りにしてしまう。
きみはまた孤独になる。寂しくて、泣きたい時があっても、きみは一人で耐えようとするだろう。そんなの、すごく嫌だ。
逆に僕のいない世界で、きみが僕ではない誰かと生きていくことも、耐え難い。きみが幸せであるならば、それを喜ぶべきなのに、僕ではない誰かに微笑んで生きていくと思うと、墓から蘇って、相手の前に化けて出る自信がある。
エリス。きみの幸せを願いたい。でもそれを叶えるのは、僕がいいんだ。
こんな僕を吸血鬼にしてしまって、きみは悔いるだろうか。
でも、もう離してあげない。僕はきみの唯一の番になれるよう、きみが僕を選んでよかったと思ってくれるよう、強くなって、きみにたくさんの愛を捧げたい。
きみと一緒なら、夜の世界だってきらきら光り輝いて、温かな気持ちで生きていくことができる。
きみが僕のことを月や太陽だと言ってくれたように、きみに溢れんばかりの光を贈るよ。
エリス。僕の愛する人。
いつかこの文章を読んで、きみが僕の気持ちをさらに知ってくれると嬉しい。きみの気持ちも、聞きたいな。どんな言葉でも、僕は飛び上がらんばかりに喜ぶ自信がある。
でも願わくば、愛の言葉が欲しいな。
ルネ
◇
エリスの血を飲んだ瞬間、止まったはずの心臓が動き出した。エリスの血でもう一度、命が蘇る。
目を開いた世界は、それまでとまるで違って見えた。燃え盛る炎が眩しい。呼吸を奪われ、焼かれる心配よりも、光を恐れる気持ちが強く湧いた。
「ルネ……」
ルネは名前を呼んだエリスの潤んだ赤い瞳を見つめる。
自分は確かに変わってしまった。
でも、エリスを見て思うことは、人間だった時と何も変わらない。これからもずっと。
(あぁ、エリス……)
ルネはエリスともう一度口づけを交わし、彼女を腕の中に閉じ込めた。
やっと捕まえた。同じ存在になれた。出会った時から心惹かれた、ただ一人の愛しい人。
(きみを、永遠に離さない)
人間としての生を捨て、これから自分は血を吸う化け物として生きていく。
エリスと一緒に。
それに勝る幸せをルネは知らない。知る必要はなかった。
彼女と共にいられる以上の幸せなど、ありはしないのだから。
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