第11話 願い
「ルネ!」
「ぼくにここまでさせたんだ。光栄に思いなよ。魔眼なんて、普通は人間如きに使わないんだから」
高位の――始祖の血を引いた吸血鬼の中には、魔眼を持つ者がいる。魅了や石化の呪いなど、いろんな能力を有しているが、シリルの場合は心臓を鷲掴みしたような、負荷を与えることができる。
ただし呪い返しのようにシリル自身にも負荷がかかる。またプライドの高い吸血鬼は弱者には使わない。シリルは直接制裁を下すやり方を好むので、なおさらだ。
「おあいこだよ。まぁ、きみの場合は死んじゃうかもしれないけど」
「ルネ! ルネ!」
ルネは立っていられず、床に膝をついて蹲る。エリスは半分泣きながらルネの名前を呼ぶ。
苦しむ姿をヴァンサンがじっと眺め、出て行く間際に言った。
「坊主。お前は確かに人間にしてはよくやった方だ。――だが、しょせん人間。そいつを守り切ることなんて、できやしないさ」
じゃあな、と二人が出て行くと同時に炎が屋敷を包む。
「ルネ!」
エリスはルネを支えながら、どうしていいかわからなかった。シリルの魔眼で生きていた人間はいない。
(どうしよう。どうすればいいの。このままじゃルネが死んじゃう)
「エリス、泣かないで……」
自分の方が苦しいはずなのに、ルネはエリスの涙を拭おうと手を伸ばす。
「ごめん、ごめんなさい、ルネ。あなたを巻き込んでしまって、わたし……」
「きみは、悪くない……最後は、僕が油断していたから……魔眼のことは、本で読んで知っていたはずなのに……僕の責任だから……エリスは、何も悪くないよ」
彼女は首を振って、いくつもの涙をルネの顔に落とした。
「エリス……僕はもう、助からないのかな」
「それは……」
助からない。エリスの表情でルネは察したようだ。エリスはもう一度謝って、自分の不甲斐なさに奥歯を噛んだ。泣かないで、とルネが精一杯の力で腕を上げ、涙を拭おうとする。
「ね、エリス……本当に、ないのかな……きみは、知っているんじゃないか」
ルネが、エリスの目を見つめる。彼女の未だ赤い瞳を。吸血鬼の証である瞳を。
彼が言わんとしていることを理解し、エリスは目を見開いた。
「ルネ、まさかあなた……」
「エリス、僕は、まだ死にたくないんだ」
当然の願いを口にされ、エリスは悲痛な顔をする。ルネは淡く微笑んで、彼女に伝える。
「だから、エリス……僕の血を、飲んでくれ……そして、きみの血を僕に……」
「そんなこと、できない……そんな恐ろしいこと……」
たとえ今この瞬間ルネが望んだとしても、この先いつか必ず後悔する時が来る。生きていることに絶望する。
そんな地獄のような日々に、エリスはルネを突き落とすわけにはいかなかった。たとえ彼の命がここで尽きたとしても、拒絶しなければならない。
「エリス……僕は生きたい……きみと行ってみたい場所が、まだ数え切れないほどあって……きみに伝えきれていないことも、たくさん……だから、生きたい。きみと一緒に、生きたいんだ」
最後の言葉にエリスの心は強く揺さぶられた。
「……本当に、いいの?」
拒まなければいけないのに、エリスはルネに震える声で尋ねてしまう。
「あぁ、いいんだ……僕はきみのことが、ずっと好きだったんだ……ずっと……これからも、大好きだよ」
エリスはルネの目を見つめていたが、やがて顔を寄せ、彼の首筋に鼻先をくっつけた。口を開き、歯を立て、皮膚を切り裂いた。新鮮な血を舌で舐め、啜っていく。
ルネの血が、エリスの喉を、飢えを癒していく。
(あぁ、美味しい……温かい……)
涙で濡れた目を瞑り、エリスはその甘美な味わいに酔いしれた。
彼の血の味は、両親がまだ生きていた頃を思い出させる。母が作ってくれた素朴で、温かな料理の数々。どれも美味しかった。家族みんなで味わい、明日もこの何でもない日常が続いていくと、疑うことすらしなかった幸福な日々。
(ルネは、わたしを選んでくれた……一緒に生きたいと、わたしがずっと誰かに言ってほしかった言葉を、言ってくれた……)
それはきっとオルテンシアも望んでいた言葉。でも、エリスは応えることができなかった。
自分が吸血鬼になり、オルテンシアの気持ちが痛いほど理解できた。でも、彼女の思いに応えることができなかった自分には、ずっと望んではいけない願いだと思っていた。
そんな人、現れることもないと信じていたのに。
「はぁ、あ……エリ、ス……」
エリスはゆっくりと目を開けて身を起こすと、口元を拭い、自分の手首を噛んだ。血を口に含み、すでに命が尽きようとしているルネの口を塞ぐ。
喉がこくりと上下し、ルネの身体が硬直する。目がカッと開いたかと思うと、瞳孔が開き、青空を思わせる水色の瞳が赤色に変わっていく。
その目が、エリスを真っ直ぐ射貫いた。
「――エリス。僕は、きみと一緒の存在になれた?」
「ええ、わたしと同じ吸血鬼になった。……ルネ、わたしもあなたが好き。あなたと一緒に生きたい。どうかわたしと、運命を共にして」
ルネはエリスの告白に少し驚いたようであったが、すぐに愛おしそうに目を細め、エリスを引き寄せた。彼女も逆らわなかった。
炎に包まれながら、二人はもう一度、口づけを交わす。
今度は血を飲むためではない。愛しい人に、自分もまた愛していることを伝えるために。
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