第8話 置き手紙・告白

 ルネへ


 突然屋敷を出て行ってしまって、ごめんなさい。お世話をしてくれたメイドの人や屋敷の警護に当たっていた護衛の方、そして今まで料理を作ってくれた料理人の方などにも大変申し訳なく思っております。


 でも、わたしはこれ以上あなたのそばにいることはできません。


 あなたが、この国の王子様だと知った以上。


 ルネ。いえ、リュシアン殿下とお呼びした方が本当は正しいのでしょう。


 あなたが王子だと知り、驚きよりも、腑に落ちました。所作や佇まいだけでなく、普段の生活や、わたしに対する気遣いから見て、以前から高貴な人だろうなとは思っていましたから。


 わたしに身分を隠していたことで、あなたが気に病む必要はありません。わたしがあなたを護衛をする立場でしたら、むしろもっと気を付けろ、いえ、そもそもわたしのような人間に関わるなと強く主張するでしょうから。


 あなたが本当のところ、どうしてわたしに近づいたのか。最初は疑ってしまい、あなたを傷つけてしまったと思います。どうか許してくださいね。


 今は、たとえどんな事情があっても、あなたは人間とは違うわたしに優しくしてくれた。微笑みかけてくれた。あなたがわたしに伝えた言葉、わたしが感じた気持ちを信じたいと思っています。


 人を疑い、憎むことは、とても辛いことだとわたしは知っています。わたしをこんなふうにした男が憎らしくてたまらず、何度も心が壊れかけました。いっそ自ら太陽の下へ行き、あの男に復讐することも考えましたが、できませんでした。


 情けないことに、わたしは死ぬのが怖かったのです。オルテンシア様や両親の顔が思い浮かんだのも、結局言い訳に過ぎず、わたしは生きていたいと望んでしまったのです。


 そんな自分が嫌であの男のもとから逃げ出しても、どこへ行けばいいかわからなかった。暗闇の中をただがむしゃらに走り続け――ルネ、あなたに出会ったのです。


 あなたはわたしが正体を明かしても、忌まわしい過去を告げても、これからもわたしと一緒にいたいと言ってくれた。その時、わたしがどんなに救われたか。本当に嬉しかった。言葉では伝えられないほど、本当にとても……。


 こんなことを書いてしまえば、あなたは戸惑ってしまうかもしれませんが、あなたはわたしにとって孤独な暗闇を優しく照らしてくれる月のようで、二度と光あふれる世界に戻れなくなってしまったわたしに、もう一度日の光の温かさを思い出させてくれた、太陽のような人です。


 あなたがわたしのことを大切に思ってくれたように、わたしもあなたを大切にしたい。


 きっとこれから先一緒にいれば、あなたやあなたの周りにいる人たちを危険に巻き込んでしまうでしょう。優しいあなたのことだから、気にしなくていいと言ってくれるはずです。


 でも、わたしはあなたを危険に巻き込みたくありません。

 だから、何も告げず出て行くご無礼をどうかお許しください。


 あなたのことはこの先も一生忘れません。遠く離れていても、あなたの幸せを願っています。


 さようなら。


 エリス



 ――手紙をすべて読み終えたルネは丁寧に折り畳むと、お守りのように懐にしまった。

 そうして部屋を後にした。


 出て行ってしまった彼女を探しに行くために。自分の気持ちを伝えるために。


     ◇


(これから、どこに行こう……)


 エリスは夜の公園のベンチで一人ポツンと座り込んでいた。


 ルネの屋敷から抜け出し、ひとまずこの公園でこれからの行き先を考えることにしたのだが、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちで、座ったままぼうっとしてしまう。


(ルネ。手紙を読んで、驚いただろうな……)


 さすがの彼も怒っただろうか。悲しんだだろうか。……エリスを屋敷に監禁することを諦めただろうか。


 自分で選んだことなのに、胸がきゅっと締め付けられる。


(ルネ……)


「――やっと見つけた」


 いつも音や気配には敏感なのに、その時のエリスは全く気づかなかった。

 そして姿を見ても、逃げることができず、ベンチに腰かけていた。


「ルネ……」

「エリス。だめじゃないか。こんな時間に女の子が一人で出歩いちゃ」


 エリスの前まで来ると、ルネは手を差し出した。帰ろうと言うように。その手を取りたい誘惑に抗い、エリスは目を逸らした。


 そんな彼女の態度に何を思ったのか、ルネは手を下ろし、ぷいっと歩き始めた。屋敷へ帰るのだろうかと思ったが、彼の向かう先は屋敷とは反対方向だ。


「どこへ行くの、ルネ」

「さぁ、どこだろうね」


 エリスは一人歩くルネが心配で、自然と腰を浮かし、彼の背中を追いかけていた。


「ルネ。家へ帰った方がいいわ」

「やだ。僕、家出したんだ」

「家出って……そんな子どもみたいなこと」


 エリスの困惑と呆れがまじった声にもルネは振り返ってくれず、真っ直ぐ……時々公園の花壇や遊具に目をやりながら、歩き続ける。


 別れを告げて出て来たのだから放っておくのが正しいのに、エリスはルネの後をついて行く。ふと、誰かに追われることはあっても、誰かを追いかけたことはなかったなと思う。


「あっ」


 突然ルネが何かを見つけたように声を上げると、走り出した。


 えっ、と思いながらも、エリスも一緒になって走る。


 彼が向かう先は商業施設などがあり、すでに真夜中を過ぎていたのでガランとしている。その大通りをルネは駆け抜け、工事中なのか、それとも火事でも起こったのか、上の方の壁がなくなって柱だけがむき出しの状態になった建物へ入っていった。


 勝手に入っていいのかと思いながら、エリスも後に続く。一階部分は綺麗なままで、二階、三階へ上がるにつれて壁や床があちこち崩れかけており、四階に到着すると、屋根がなく、荒野の中に迷い出てしまったような感じがした。


(ルネはどうしてこんなところに……)


「見て、エリス!」


 ルネにつられて、エリスも顔を上げる。


 星が広がっていた。高さのせいか、温室で見た時よりもよく見える気がする。


「ね、エリス。きみが生きていた頃は、もっとよく見えたんだろうね」

「……そうね。あまり、覚えていないけれど」

「都会の空は、工場の煙なんかで汚れてしまったとよく言われる。星空の明るさが消えてしまったと。光が失われてしまったと」


 でも、とルネはエリスの方を見ると、微笑んだ。


「星空の明かりが消えても、人が作り出す明るさはあるだろう?」

「人が作り出す明るさ……?」

「そう。蝋燭の灯りよりもずっと明るい人工的な光が、夜を照らす時が来る。一晩中、街を輝かして、喧騒を響かせる。ロマンチックじゃないかもしれないけれど、それはそれで楽しいかもしれない」


 エリスはルネが何を言おうとしているのかわからなかった。


「僕はさ、きみと一緒なら、どこにいても楽しめる自信があるよ」

「ルネ……」


 エリスが途方に暮れた子どものようにルネを見つめれば、彼は微笑んだ。


「エリス。言っただろう? 僕はきみに諦めろって言われても、諦めない執念深い男なんだ。危険だってわくわくするような高揚感に変えて、生きるのを楽しむ自信がある。決してきみを退屈させない。不安だって僕の明るさで吹き飛ばしてみせるさ。きみと生きるのに、絶対に相応しい男になってみせる」


 これまで何度もルネに驚かされてきたが、今回もまた言葉を失った。


 ルネは今、自分に告白しているのだ。


 吸血鬼である自分と生きるのに相応しい男だと説得し、口説こうとしている。


「エリス。僕を吸血鬼にしてくれないか」

「な、何を言っているの」


 冗談なら……と言いかけて口を噤んだ。ルネは大真面目な顔だった。


「きみにはできない? 人間を吸血鬼にするのは、決められた者だけ?」

「……いいえ。できるわ」


 相手の血を飲み、自分の血を飲ませれば、契約のようなものが成立する。だが――


「吸血鬼の血を飲めば、その吸血鬼に隷属することを意味するのよ」

「隷属?」

「そうよ。自分の意思とは関係なく、従わなくてはいけないと、血に命じられるの」


 そんなの奴隷と一緒だ。マクシムはオルテンシアがエリスを自分の支配下に置くことが許せなかった。妹ではなく、自分が、と望んだのだ。


 だから、罠に嵌めて殺したのだ。


「血を飲ませた主には、絶対に逆らえないの?」

「いいえ。何でもかんでも言う通りに従うわけではない。ただ、どこかで違和感がある。逆らうことに罪悪感が生まれる。心が相手に塗り替えられていくような、そんな関係になっていくの」

「……そうか。でも、相手が望まなければ、そのまま健全な関係が築けるはずだ」


 ルネの指摘にエリスはふっと微笑んだ。


「わたしだって、どうなるかわからないわ。あなたにうんと酷いことをするかもしれない」

「エリスは優しい人だ。意に沿わないことはしない。それに、たとえ何か酷いことをしても、きみなら、僕は全て許すよ」


 ルネの甘い肯定にエリスは首を横に振って、己を抱きしめる。


「ルネ。あなたは何もわかっていない。何十年、何百年も生きることが、どんなに辛いことか……その孤独がどれほど苦しいものか」


 自分は優しくない。ただ弱いだけだ。


「血だって、飲み続けなければならないのよ」

「自分に血を飲ませた吸血鬼の血を飲むことはできないの?」

「それは……」


 言い淀んだエリスに、ルネは畳みかけるように言った。


「さっき、従属関係のようだと言ったよね。それって、番のようにもなれるんじゃないかな。動物のように」

「番は対等な関係よ」

「そうさ。だから従属ではなく、対等に互いを支え合うんだ。血が必要な時は相手の血を飲む。他人の血は飲まない。ね、エリス。吸血鬼って他の国にもいるんじゃないの? 彼らはみな、誰彼構わず血を飲むのかな? 中には、今僕が言ったような者たちもいるんじゃないかな」


 エリスは目を瞬く。そんなこと考えたこともなかった。


 エリスにとって吸血鬼はみな、見境なく人を襲う生き物として刻まれていた。


「いなかったら、きみと僕の関係がそうなればいい。大変なことももちろんあるだろう。でも僕は諦めたくない。努力する。――だから、僕をきみの血で、吸血鬼にしてくれないか。僕の血を飲んでくれないか」

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