第4話 夜の散歩・温室にて

「ね、エリス。このドレス、すごくきみに似合うと思うんだけど、どうかな?」


 今エリスはルネとクローゼットの中にいる。クローゼットと言っても、もう一部屋と言った方がしっくりくる広さだった。


 設置されたハンガーラックの端から端まで隙間なく洋服が掛けられ、トルソーに飾られたドレスの他に、床にはアクセサリーや帽子が仕舞われた箱が散乱している。


「この白いワンピースも、エリスにぴったりだと思うんだ。スカートの裾にレースがあってすごく可愛いだろう? あっ、でもこういうのは夏がいいかなぁ。今は春で、夜はまだ少し肌寒いから……こっちの花柄模様もいいね。黒の生地に、花びらが散って、ちょっと大人っぽくて、上品に纏まってすごく……はっ、待って! いっそ上はふんわりとした白のブラウスにして、下はこの薄紫色のスカートにしたらどうだろう? きっとエリスの髪色にも合うはずだよ! うわぁ! ほらもうぴったりだよ! 最高! すごく可愛い!」


 一人興奮した様子で捲し立てていたルネは、エリスにも意見を訊いてくる。全身を映す鏡の前に、ルネの勧める服を当てられ、エリスは必死に考えた感想を口にする。


「その、すごくいいと思うわ」

「だろう? すごく可愛いよね!」

「ええ。洋服は……」


 エリスの答えにルネはきょとんとしたのち、その意味を理解して、不満そうな顔をする。


「エリス。確かに洋服も可愛いけど、僕の『可愛い』にはきみ自身が入っているんだ。この洋服を着ていなくても、きみはとっても可愛いんだから、そのことを忘れないで」


(この人、どうしてそんな台詞を大真面目に言えるのかしら……)


「エリス。わかったの?」

「わ、わかったわ」


 つい圧に負けて頷いてしまうと、ルネはにっこりと笑った。


「うん。じゃあ、今度このドレスを着てさ、庭を散歩しよう」

「えっ、庭を?」

「もちろん日差しのある時間帯じゃないよ。夕刻に目を覚まして、朝食を軽く食べた後、食後の散歩にね。我が家には温室もあってね、きっと気に入ってくれると思う。それとも、僕と一緒に出歩くのは嫌かな?」


 シュンとした様子で、しかも上目遣いで尋ねられ、反射的にエリスは首を横に振っていた。というか、服を一緒に選んでいる時点で今更な気もする。


(それとも、最近は異性と一緒に服選びをするのが当たり前なのかしら)


「嫌ではないわ。ただ……何となく屋敷の外へ出てはいけない気がしたから、ちょっと驚いてしまったの」


 エリスがつい本音を漏らすと、ルネは目を見開き、衝撃を受けた様子で数歩後ろに下がる。


「それじゃあまるで僕がきみを監禁しているみたいじゃないか!」

「療養と称して、監禁するのが目的ではないの?」

「違うよ!?」


 いいかい、とルネは子どもに言い聞かせるような、やや尊大な態度で説明する。


「僕はただ、きみが身も心もゆっくり休めるよう、いろいろと取り計らっているだけだ。そりゃあきみは可憐だから一緒にいるとどうしたって心は浮き立つよ。だからといって、監禁して、あんなことやこんなことをする浅ましい下心は決して持っていない」

「決して?」

「……決して」


(目が泳いだような……)


 少し引っかかるものの、確かにルネの言い分通り、彼は常にエリスに優しく接してくれる。エリスが嫌がることは絶対にしない。


「ごめんなさい、ルネ。またあなたを疑ってしまって……」


 ここで暮らしてはどうか勧める時に、彼は変なことをするつもりはないと言ってくれた。これまでの振る舞いを鑑みても、疑うべきようなことは何もしていないのに。そもそも、少々過敏なほど、自分に気を遣い過ぎている気がする。


「あっ、いや! そうあっさり信じられても、それはそれで不安になるというか、僕以外には決して気を抜かないでほしい気持ちがあって……うん。エリス。きみは何も間違っていない!」


 暗くなりかけた雰囲気を吹き飛ばすようにルネは言い放ち、本題へと戻った。


「明日、僕と一緒に散歩してくれますか、レディ?」

「……はい。わたしでよければ、喜んで」


 たかが庭を散歩するだけなのだからもっと気軽に返事してもよかったかもしれないが、ルネが畏まった口調で誘うものだから、ついエリスもつられてしまう。


「よかった。じゃあ、約束だ」


 でも小指を出して約束を交わすのは子どものようで、くすぐったいような、甘い気持ちになった。


     ◇


「よくお似合いですわ」

「ありがとう。ルネが選んでくれたの」


 いつもは何も言わないメイドが、今日は思わずといった感じでそう言ってくれたので、エリスは嬉しくなって、はにかみながら礼を言った。


「綺麗だよ、エリス」


 ルネはエリスの姿に目を丸くした後、眩しいものを見たように目を細めた。


「まるで月の妖精みたいだ」

「……吸血鬼よ」

「妖精でもいいじゃないか。さ、行こう」


 白い手袋をはめた手を差し出され、エリスはおずおずと重ねる。

 分厚い扉を使用人に開けてもらい、エリスはルネと共に外へ出た。


(なんだか久しぶりに外へ出るわ)


 今日は満月だった。


 月の光に照らされて薔薇が咲いたアーチをくぐり、噴水や天使の像が置かれてある広場を通る。屋敷もたいそうな大きさだと思っていたが、敷地もこんなに広いと知って、エリスはたいそう驚く。


(こんなところに住んでいるなんて、ルネってやっぱり貴族、よね?)


 彼の出自について訊くことはしなかった。未だ自分のことは打ち明けていないので、公平ではないと思ったのだ。


「夜の散歩も、ロマンチックなものだね」


 ルネの方を見上げると、月を見ていた瞳がゆっくりとこちらへ向けられる。


「ん? どうかした?」

「あ、いえ……本当にそうだなと思って」

「きっと二人で見ているからだよ」


 息を吐くようにそんな台詞を言うので、エリスは困った顔をする。


「あなたって、詩人みたいね」

「本当? 嬉しいな」

「嬉しいの?」

「うん。昔は劇作家とか舞台俳優になりたいと思っていたんだ」


 なるほど、と何だか納得する。話をする時に妙に芝居がかったような感じがするのも、その夢の影響かもしれない。


「舞台っていいよね。全く別の世界に没入できるんだもん。あ、そうだ! 今度劇場に行ってみない?」

「えっ、でも外へ出るのは……」

「怖い?」


 躊躇った後、こくりと小さく頷く。


「そういう所にはたくさん人が集まるでしょう? だから……もし、わたしが吸血鬼だとばれてしまったら、わたしを追ってあの男たちが乱入したりして、他の人たちが危ないもの」

「そっか。……僕たちが観る時だけ貸し切りにしてもらえれば、何とかなると思ったんだけどな」

「貸し切り!?」


 エリスがぎょっとしても、ルネはうんと実にあっさり答える。


「でも、エリスが不安で観劇に集中できないなら、やっぱり却下だな。そうだ。いっそこの屋敷に呼んで演じてもらえばいいんだよ。うん。そうしよう。規模は少し小さくなってしまうかもしれないけど、それはそれで素晴らしい思い出になるはずだから!」


 ぱぁっと顔を輝かせて語るルネにエリスは言葉を失う。


(この人って……)


「あ、あれが温室だよ」


 話しているうちに温室についたようだ。外観を見て、エリスは感嘆のため息を漏らした。


(これ一つでお家みたい)


 一面ガラス張りの壁に白い格子や柱が合わさり、規則正しい模様を生み出している。緑の蔦がちょうどいい感じで生えていて、可愛らしく、お洒落な雰囲気が伝わってくる。


 中はもっとすごかった。


 床は大理石で、玄関部分にあたる天井には花柄のステンドグラスがあり、温室というからてっきり植物がたくさん置いてあるのかと思えば、厳選して選んだと思われる家具が最小限に置かれて、美術館の展示品のように等間隔で花や木が飾られていた。


「たくさん寄せ集められているのも好きだけど、ここはあえて空間を意識して、あまり物を置かない形にしたんだ」


 ルネはポツンと置かれたソファにエリスを座らせた。座り心地は大変よく、エリスの視線は自然と向かいに置かれた植物に目がゆく。右を向くと、テーブルに飾られた植木鉢の花がある。


 置かれた家具の配置は、植物を心ゆくまで観賞するためのものだ。


「奥にお茶を用意したんだ。行こう」


 そう言って先を案内するルネの横顔をエリスはじっと見つめた。


 お茶を楽しみ、エリスは大きなオレンジの木がある部屋に通され、長椅子に二人で腰かける。天井までガラス張りなので、月がよく見えて明るかった。二人はしばし魅入ったように夜空を見上げていたが、どちらともなく目が合い、エリスは視線を膝の上へ落とした。


「星をこんなふうにじっくり見たの、久しぶりだわ」

「そうなの?」

「ええ。いつも……誰かに見つかるかもしれないって思って、周りを警戒していたから」


 朝が待ち遠しかった。光の下には決して出られないが、安心して眠ることができるから。


「今夜は誘ってくれて、ありがとう」

「どういたしまして。また来ようね」

「ルネって……きちんとした人なのね」

「きちんとした人? そんなこと初めて言われたかも。だらしないとか、もっとしっかりしろっては言われるけど」


 エリスは顔を上げ、首を傾げる彼に眉尻を下げながら微笑んだ。


「きちんと、っていうのは……こんな立派なお屋敷に住むほどの人で、劇場を貸切にすることができて、植物の観賞の仕方や、この温室の家具の配置で教養が感じられて……つまり、その、すごい人なんだなってこと」


 恐らく貴族の出自で、自分とは違う世界を生きる人。そんな彼が自分を見つけて、助けてくれた。最初は吸血鬼という存在の自分を利用しようとしているのではないかと疑った。


 今も完全にその気持ちがなくなったわけではないが、普通に考えれば、得体の知れない存在と関わるのは何かとリスクがあるだろうし、逃げ出すことも危惧して敷地内でも出さないようにするのではないだろうか。


 何より、彼には自分を傷つけようとする敵意が感じられない。


(本当に善意から、わたしのことを助けて、いろいろ世話を焼いてくれている)


 だとしたら――


「ルネ。わたしね、実は今も本当は血が吸いたくてたまらないの」

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