第4話 で・き・な・い リピートマジック
俺とフォンク、そしてシュクゥルの三人の目の前には、巨大な要塞を思わせる堅固な構えの岩山がそびえ立っていた。一本の草さえ生える事を許していないその死の城は、まさに生命を奪う怪物の住み家と呼ぶに相応しかった。
「あの中にプァムが…」
俺は覚悟と決意を自らの眼球に込めて、それをぶつける様にその黒鉄の城を睨み付けた。
「今度はあんなミスは許されないからね」
後ろのフォンクが隣をチラ見すると、視線を感じたシュクゥルが
「大丈夫です。もう二度とあんな事は…」
と美しい顔立ちを緊張で覆い、低い声で返答をした。
俺は魔城に向け一歩踏み出し、心の中でエールを送った。
「プァム、必ず助けてやる!」
「魔境…?ここから先が…?」
新たに四人で武者修行の旅を始めてから数日後。森の中で野宿をする事になった日の夕食タイム。フォンクが調理した野鳥の丸焼きにかぶり付いたプァムが、この先進む地域の情報を聞いて、不安の色を浮かべた。情報の提供者である料理のシェフは、平然とした面持ちで食事を進めながら
「凶暴で攻撃能力の高いモンスターの棲息地になっていてね。突破する難度はかなり高いよ。並の魔力の持ち主なら、成功確率は、まぁ、半々位かな」
「ピョニャロールですね。名前は聞いた事があります」シュクゥルが上品な手つきで鳥肉を食しながら相槌を打った「大型で驚異の跳躍力を誇り、集団戦を得意とする、と言われています」
「まぁ、凶暴って言っても、アイツらは本能の赴くままに動いてるだけだけどね」夕食を一通り平らげた後、フォンクが素っ気ない口調で言った「アイツらは腹が減ったから人間を襲い、こっちはそれが嫌だから抵抗して戦う。それだけの話だよ」
海千山千の猛者の話を聞きながら、モンスターとの戦いがいよいよ本格化して来た事に、俺は緊張感が高まるのを感じたが、横に座るプァムを見ると、緊張より不安の勝る神妙な顔付きで黙り込んでいた。今思えば、この後俺達を襲う災難を暗示していたかの様な佇まいだった。
翌日、野営の後片付けをした俺達は早朝に旅を再開した。ここから少し歩いた所に小さな村があり、そこで食材を仕入れる予定を立てた。
だがその予定は村を見下ろす丘に登った時点で変更を余儀なくされた。訪れる予定だったその村は、遠くから一目見ても判断出来る程、激しく荒らされ破壊されていた。
「ピョニャロールの襲撃に遭ったみたいだね」フォンクが険しい表情で「取り敢えず行ってみよう。生存者がいるかも知れない」
俺達は急いで丘を駆け降り村に向かったが、現場に到着すると、生命の気配がほぼ消え失せているのを、一見して認めざるを得なかった。
建物という建物が破壊し尽くされ、絶望という文字が一帯を支配していた。痛ましい気持ちで辺りを歩き回ったが、恐ろしいモンスターの毒牙から逃れた者は完全に皆無の様だった。
並んで歩いていた俺とプァムの目にとある”物体”が映り込んだ。無惨に食い殺され辛うじて原型らしい姿を留めている、抱き合った母子の姿だった。周囲には肉片とドス黒い血、それに骨の欠片が飛び散っていた。プァムの口からウェッという音が漏れたかと思うと、我慢出来ないと言った様子で壊れた建物の隅にしゃがみ込み、体を震わせ嘔吐をした。シュクゥルが慌てて駆け寄り、彼女の背中を優しくさすって介抱した。モンスターとの戦いを幾つかこなして来たが、初めて被害状況を目の当たりにして、その想像以上のグロさに気分が激しく萎えた。俺は辛うじてリバースを回避出来たが、それでも貧血を堪えるのに必死だった。
「この状況から見ると、襲撃されてそれ程時間は経って無いね」場数を踏んで免疫力を着けているフォンクが、取り乱した様子も見せずに落ち着いた態度で推測した「奴等は意外と近くにいるかも知れない。アタシらの気配を感じ取る可能性もあるから、気を付けていて」
そう言った後、シュクゥルの方を見て
「どう?こんなの見せられたら、もうモンスター退治を躊躇する気にはならないでしょ?」
と分かるよね、と言ったニュアンスの台詞を放つ様に投げ掛けた。シュクゥルは無言のままだったが、少なくともピョニャロールという存在に対して怒りの感情を抱いているのは、朧気ながら察する事が出来た。
「それからヒデ」フォンクが今度は俺の方を見て「これから厳しい戦いが始まると思うけど、アンタはあくまでも補助的な立ち位置だと言う事を忘れないでね。戦闘でアンタが前面に立ったら、プァムの武者修行の意味が無くなるからね。アンタの魔法はプァムを助ける為に使うモノ。それだけは意識しておいてね」
それは薄々理解していたが、シュクゥルに介抱されているプァムを見ていると、フォンクの言葉に100%従うにはいささか抵抗があった。
「でも現時点のプァムを戦闘の主力にして、大丈夫なのか?」
「駄目だったらそれまでだよ」フォンクの瞳が冷酷な輝きを放った「武者修行は遊びじゃない。命を懸けた生存競争だよ。食われて死んだら所詮はその程度の力だったって事。そんな魔女にモンスターから平和を守る役割なんて任せられないでしょ。プァムは言うなればふるいに掛けられているんだよ。一人前の魔女になりたきゃ、必死に戦って生き残るしかないんだ」
ここに来て何ともヘヴィな話を聞かされてしまった。出来る事なら昨晩の内に話して欲しかった。モンスターに蹂躙された無惨極まりない現場で聞かされると、言葉の重さが全然違って来る。
「まぁ、アタシ達も出来る範囲で助けるから、そんなに悲観しなくていいよ」フォンクがポンと俺の肩を叩いて「あくまでも気を抜いたら駄目だって事。プァムだってそれなりの魔法を使えるんだし、補助が必要な時だけしっかり面倒見てやれば、大抵は大丈夫だと思うから」
嗚呼、頼みますよ、フォンク師匠。後、シュクゥル先生も…。如何せんこの先で戦う相手が相手なだけに、悲壮感が嫌でも増して来る。
俺はシュクゥルの水魔法で口をゆすいでいるプァムに近寄り声を掛けた。
「大丈夫か?」
「ウン…。ゴメンね、心配かけて…」精一杯気丈に振る舞っているのが何とも可憐しかった「もう大丈夫…。それにしてもピョニャロールとかいうモンスター、許せない…。この村の人達の仇は必ず取る…。絶対に…」
ヨレヨレになりながらも闘志に火が付いた様だが、今の状態では満足な戦い方は到底出来そうも無かった。
だが凶悪な敵はこちらの都合等一切考慮してくれなかった。
遥か遠くから地面を足で踏み付ける様な音が連続して聞こえて来た。その音が最初は小さく、そして徐々に大きくなって行き、それが巨大な生物が地面を跳ねているノイズだと悟った時には、既に数体の異形の化け物の姿が視界に映り込んで来ていた。身の丈七、八メートルはある、カンガルーを思わせる様な体型。だがその顔面は大人しい哺乳類のそれとは対極を成していて、狂気に満ちた赤い目に鋭く長い牙を携え、端から俺達を食い尽くしてやろうという気概を露骨なまでに漂わせていた。そんな化け物が四体、驚異的な跳躍力でジャンプしながら俺達に急接近して来た。
「おいでなすった様だよ」フォンクが魔法の構えを取りながら「アタシ達の気配を察して、わざわざ引き返して来たんだね。食い意地の汚い連中だこと!」
プァムに視線を走らせると、険しい顔で身構え、ピョニャロールを睨み付けていた。
「大丈夫か?戦える?」
俺の問いに、決意を込めた口調で
「任せて!いつでも行ける!」
とこちらの心配を吹き飛ばす様な凛々しい姿を見せ、素早く魔法の構えを取った。それを見て若干安心した俺は、ステッキを握り締めこちらも臨戦態勢に入った。
序盤戦最大の山場、最強の敵襲来!
早くも試練を迎えた主人公は勝機を掴めるのか ! ?
映画の予告ならこんな文句が入る所だが、勿論そんな事を悠長に考えている余裕は無い。姿を確認してからアッという間に距離を詰めて来た四体のピョニャロールは、目の前に来た所で高々とジャンプし、そのまま踏み潰す勢いで俺達の頭上に落下して来た。
「危ない!」
俺はプァムの手を引っ張り、間一髪巨大な化け物の踏み付けを回避した。初手攻撃に失敗したピョニャロールは、こちらに残忍な顔付きを見せ、すかさず第二の攻めに入らんと態勢を整えた。早々好き勝手にさせるか!俺はステッキを掲げて魔法を発動した。
「ヒアキラズカナリ、ヒアキラズカナリ!奴の動きを止めろ!」
こちらに襲い掛かろうとしていた踏み付け失敗ピョニャロールが、俺達を睨んだままの状態で銅像の様に固まった。間髪入れずプァムが両端の指を曲げた例の構えから思い切り腕を振り抜いた。今回はマンホールの蓋殺法だ。光る円盤が動きの止まったピョニャロールに飛んで行きその頭上で停止すると、一気に硬直した巨体を地中に押し込んだ。哀れピョニャロールは真っ暗な土の中で絶命。一丁上がりだ!それを見届けたプァムは俺に得意気な顔を見せた。イケる!この時は間違いなくそう思った。あんな事になるとは露程も知らずに。
振り返って他の戦況を見ると、安心と安定のフォンク師範がピョニャロールの素早い攻めを交わしながら、属性魔法の火炎砲で敵の生命線とも言える脚を破壊した後、二本指を曲げて振り抜く彼女定番の魔法で空中に巨大な槍を出現させ、それを脚故障ピョニャロールの脳天から股下まで貫通させて、こちらも退治に成功していた。
残り二体。仲間を倒された事で更に狂気が増したのか、その二体がまとめて俺とプァム目掛けて襲い掛かって来た。オイ!ちょっとは相手と手段を選べよ!
その荒くれた鋭い牙が俺達を切り裂かんとした直前に、凄まじい勢いの水鉄砲が目の前まで迫ったピョニャロールに命中し、獰猛さに満ちた巨体を大きく吹き飛ばした。振り向くと水属性魔法で助けてくれたシュクゥルと、その隣でもう一体のピョニャロールに身構えるフォンクの姿があった。
「プァムとヒデはソイツをやっつけて!アタシ達はこっちの方を始末するから!」
フォンクの鋭い指示が飛ぶ。俺はステッキを握ると、態勢を立て直したピョニャロール相手に先程の魔法を再披露した。
「ヒアキラズカナリ、ヒアキラズカナリ!コイツの動きを止めろ!」
俺はこの時点で半ば勝利を確信した。後はプァムが魔法で仕留めてくれれば…。
だが、事態は想定外の展開を迎えた。身動き出来なくなった筈の目の前のピョニャロールが、固まる処か逆に猛然と俺達に襲い掛かって来た。
バシーン!!
その巨体から繰り出される豪拳が唸りを上げて、完全に油断していた俺にヒットした。辛うじて直撃を避ける事が出来たが、それでも凄まじい勢いに吹っ飛ばされた俺は大きく宙を舞い、モロに後頭部から地面に落下した。
「ヒデ 、大丈夫 ! ? 」
「しっかりして!」
衝撃で意識が朦朧とする中、仲間達の慌てふためく声が途切れ途切れに聞こえて来る。だがそれも徐々に分からなくなり、状況を全く確認する事も出来ないまま、俺は完全に気を失ってしまった。
バシャーン!
「ヒデ!起きなさいよ!ヒデ!コラ!起きろ!目を覚まして!」
バシャーン!
再三に渡り顔に水をブッ掛けられ、怒鳴られて激しく体を揺すられた俺は、半分フラフラしながら漸く意識を取り戻した。周りを見渡すと、険しい顔をしたフォンクと心配そうに俺を見るシュクゥルを確認出来たが、プァムの姿が何処にも見えない。
「大丈夫ですか…?」
シュクゥルが俺を介抱しようとするが、それを遮る様にフォンクが厳しい口調で状況を伝えた。
「一体捕り逃した上に、プァムが連れ去られたよ!助けようとしたけど、こっちも仕留めるのに手間取っちゃって…」
シュクゥルが申し訳ない、と言わんばかりに俺に頭を下げた。
「ごめんなさい!私がまた余計な情けを掛けてしまって、フォンクの足を引っ張ったばかりに…」
フォンクはそんな事はどうでもいいと言いたげに
「謝ってる場合じゃないでしょ!今はプァムの安否を確かめないと!」
と優先すべき事項の選択を荒い口調で言い聞かせた。意識をほぼ取り戻した俺は、後頭部を押さえながら
「連れ去られたプァムはどうなるんだ?奴等の巣の中で喰われてしまうのか?」
とすがる様にフォンクに尋ねた。
「だからそれをアンタの魔法で確認するのよ!」
ぶっきら棒にフォンクに言われた俺は無茶振りをされた気分になって、更に質問を重ねた。
「そんな事言われても、どうやって…?」
「魔法で水晶玉を出して、そこから情報を掴めばいいのよ。ステッキですぐに出せるから!」
何だか解らぬままに、俺はステッキでメロン程の大きさの水晶玉を出現させた。
「プァムの姿を念じながらそれに触れて!」
言われた通りに水晶玉に手を触れると、透き通った球体の中にぼんやりとした映像が浮かび、それが徐々に鮮明化していった。
「プ、プァム!」
水晶玉の中に、暗い洞窟らしき場所の隅でグッタリと横たわるプァムの姿が映し出された。辺りの様子はハッキリと見えなかったが、半ば気を失い痛みと苦しさに必死に堪えている様に思えた。
「食べられてはいない様ですね…」
シュクゥルが少しホッとした表情をしたが、フォンクは水晶玉に顔を近付け凝視すると顔をしかめ
「喰われるよりかは良いけど、ヤバい状態なのは間違い無いよ。アイツらプァムを餌蟲の養殖体にするつもりだよ、多分…」
初耳単語を並べられて一瞬理解が出来なかったが、俺はすぐにプァムがとんでもなくオゾマシイ目に遭わされるであろう事を直感した。
「餌蟲って、ピョニャロールが産まれたての子供に食べさせるあの餌用の…」
青ざめたシュクゥルの問い掛けに、フォンクは水晶玉を睨んだまま
「そう。プァムの体を使ってそれを養殖させるつもりだね、アイツら。餌蟲をプァムの体に棲ませてその中で繁殖させて…」
先程の食い散らかされた死体を遥かに凌駕するグロ画像が脳内に浮かび、俺はたまらず立ち上がり叫んだ。
「冗談じゃない、そんな事 ! ! 助けに行くぞ!早く!急がないと ! ! 」
「落ち着きな!」フォンクが水晶玉から目を離し、諭す様に俺を見た「見る限りだと、まだピョニャロールの子供の姿は見えないから、今すぐ餌蟲を飼育する事はないと思う。それより、奴等の寝床を確定しないと!水晶玉で場所を確かめてから、準備を整えて出発しよう」ここまで言うと俺の肩に手を置き「大丈夫だから!ね!皆で頑張って絶対に助け出そう!大丈夫だから!」
俺の目を見て優しい笑みを見せ小さく頷いた。不思議と心の高ぶりが鎮まるのを感じた俺は、再び水晶玉と向き合うと、忌まわしきピョニャロールの姿を思い浮かべ、奴等の巣窟の在処を探索した。その一方でプァムの身の安全をひたすら祈りながら。
俺の三大魔法アイテムの一つ、空飛ぶ箒のスピードは、念じ方次第で幼児用の三輪車から最新鋭の戦闘機まで自在に調整する事が出来るが、この時は流石に音速とまでは行かなくてもF1並の速度は記録していたと思う。それだけ俺の頭の中はプァム救出の事で一杯だった。
「ちょっ、ヒ、ヒデ!飛ばし過ぎたら、方向調整出来なくなるって!」
ぶら下がるフォンクが、振り落とされまいと懸命に掴まりながら、暴走する俺に怒鳴る。後ろに乗るシュクゥルも、必死の思いで俺にしがみ付いていた。
水晶玉で検索(?)したピョニャロールの寝床は、冒頭で述べた岩だらけの巨城だった。間近まで迫って着地すると、城の主達の奇襲を食らう危険があるので、少し距離を置いた場所で箒から降りて、そこから態勢を整えて接近する事にした。
「プァム、必ず助けてやる!」
そう決意を固めながらも、俺は内心にある疑問を抱えていた。
「何故あの時動きを止める魔法が発動しなかったんだ…?」
呪文も間違えていないし、その前にはちゃんと同じ魔法を成功させている。あの時魔法が普通に発動していれば、こんな事態にはならなかった筈だ…。勇ましく敵の根拠地に乗り込んだのはいいが、もしまた肝心な場面で魔法が効かなかったら、今度こそ死亡確定だろう。
そんな俺の疑問と不安は突然の急襲によって強制的に中断された。黒い岩の根城まで残り十数メートルと近付いた時、曇った空を切り裂く様に巨大な物体が数体激しい勢いで上空から落下して来た。
「ヒデ、危ない!」
後ろを歩いていたフォンクが俺を突き飛ばす様に前方に押した。直後、二人の間のスペースに一体のピョニャロールが割って入る感じで地響きを立てて着地した。そのピョニャロールを挟んで俺一人と後ろのフォンク、シュクゥルの二人が分けられる形になった。
慌てて戦闘態勢に入る俺達の周りに次々と他のピョニャロールが落下し、アッという間に三人を取り囲んだ。焦る俺に対し、数多の修羅場をくぐり抜けて来たフォンクの判断は素早かった。
「ヒデ、ここはアタシ達が引き受ける!アンタは巣の中に!」
俺一人で化け物の巣窟の中に行けって事か ! ? オイ、特攻というには過酷すぎるぞ!それに残る二人だけでコイツらを始末出来るのか ! ?
そうしている間も飛び跳ねる五体の怪物は、俺達の周りで恐怖の跳躍を繰り返し攻撃を加えて来る。フォンクとシュクゥルも目下の所は防御するのに手一杯だ。
「ここで全員が消耗するより、元気な一人が中に入った方がいい!」フォンクが火炎魔法を放ち牽制しながら俺に叫ぶ「アンタの魔法を信じているから!プァムを頼んだよ!早く!」
「私達の事は気にしないで下さい!」シュクゥルも水鉄砲を撃ち捲りつつ、俺に顔を向けた「必ず後で駆け付けますから!今プァムを助けられるのは貴方だけです!お願いします!」
五体のピョニャロールを二人切りで…。無謀だろ…。でも…。
俺の頭の中に孤独と恐怖に襲われながら震えるプァムの姿が浮かんだ。下手に時間を食うと餌蟲の可能性も…。
断腸の思いとはこの事だった。懸命に戦う二人の無事を祈りつつ、俺は激しい戦闘に背を向け怪物の棲む巣窟に突入した。
ゴロゴロと転がる無数の巨岩の隙間を進むと数メートル程の高さの入り口を発見した。中は暗くて高さも奥行きも分からない。ステッキで懐中電灯を出そうとしたが、下手に光を着けると中にいる敵に気付かれる危険もある。迷っていると、フとした考えが浮かんだ。
「あの手鏡、人以外にも化けられるのかな?」
今は躊躇してられない。やってみるしか…。
「セウショイワヘイ、セウショイワヘイ。コウモリに変身!」
ボン、という音と共に煙が上ると急に身が軽くなった。気が付くと体が小さくなり、俺はコウモリに姿を変えてパタパタと宙を飛んでいた。いやはや、これは奇妙な初体験。しかし今はコウモリの気分を味わっている場合ではない。プァムを探すのが先決だ。体から超音波が発せられ視界が悪くても、巣の内部の物の位置を感知出来る。味わってる場合じゃないけど、やっぱりコウモリスゲー。パタパタと飛びながら、巣の中を探って行くと…。
「プァム!」
巣の奥の方が少し広くなっていて、その隅にボロボロになったプァムが苦しそうな息遣いで横たわっていた。俺は急いでその側に駆け寄り…、いや飛び寄り声を掛けた。
「キィー、キィー!」
慌てるな、俺!
「コカアタハッノナヨロロロロ」
ボンと音が鳴り、俺の束の間のコウモリ体験は終了した。途端に目の前のプァムが見えなくなったが、手を伸ばすとすぐに体に触れた。
「プァム、しっかりしろ!」
懸命に体を揺すっている内に目が暗闇に慣れて来て、朧気ながらプァムが僅かに体を動かすのを確認出来た。プァムの目が虚ろな感じで俺の方を見た。と思うや、急に体を起こして俺にしがみ付いた。
「ヒデ-ッ!」
泣く様な声で俺の名前を連呼すると、後はひたすら抱き付いたまま嗚咽を続けた。俺はそんなプァムの背中を優しく撫で、自分でもビックリする猫撫で声で語り掛けた。
「もう大丈夫だ。ケガは無いか?」
「ウン…、ウン…、怖かった…、怖かったよぉ…」嗚咽の合間に子供の様な口調で訴えた「…でも…ヒデ達が必ず助けに来るって…信じてた…」
何か言葉に出来ない愛くるしさを初めてプァムに感じた。無意識の内に力一杯プァムを抱き締めていた。
暫くの間、暗闇の中にすすり泣きと鼻を啜る音だけが響いた。最悪な環境の中で俺は転生以来、プァムと最も密着しながら、二人だけの時間を体感していた。今から見れば全く酷い話だが、外で命を懸けて戦っているフォンクとシュクゥルの事は一時的だが頭の中から消えていた。しかし、さすがに劣悪過ぎる身の回りの状態が、俺を過酷な現実に引き戻した。
「早くここから出よう。歩けるか?」
「ウン…。大丈夫…」
大怪我こそしてないが、肉体と精神の極度の疲労で、プァムの動きはかなり鈍かった。最初は肩を貸して歩こうと思ったが、その状態で暗闇の洞窟を迷わずに脱出するのはかなり困難だった。仕方ない、俺はステッキの力で懐中電灯を出すとそれをプァムに持たせた。そして彼女を背負い、背中から灯りを照らして貰いながら進む事にした。
漆黒の迷路を暫く彷徨っていると、背中のプァムがか細い声で
「何か聞こえる…」
と耳元に囁いた。注意深く耳を立てると、人の足音らしきノイズが聞こえて来た。その方向に灯りを向けると
「ヒデ!あぁっ、プァム!無事だったのですね!」
シュクゥルだった。あちこち傷だらけで、壁にもたれながらよろける様にこちらに近付いて来た。
「あれからどうなったんだ?フォンクは?」
「それが…」
あの後襲って来るピョニャロールの数が更に増え対処し切れなくなり、いつの間にかフォンクと散り散りになって、何とか洞窟内に逃げ込んで来たという。
「外では大量のピョニャロールが暴れています。今出るのは危険です」
シュクゥルの言葉に俺は首を振った。
「ここはピョニャロールの巣だから、隠れていてもいつか奴等が戻って来る。外に出てフォンクを探して合流した方が良いと思う」
「もうフォンクが何処にいるのか分かりません。それに…」辛そうな顔をして視線を逸らした「あれだけのピョニャロールが相手では、いくら彼女でも…。多分今頃は…」
「助けに行こうよ!」背中のプァムが声を振り絞る様に叫んだ「だったら尚の事助けに行かなくちゃ!大事な仲間だよ!見殺しになんか出来ない!」
そう言うと俺の背中から飛び降り、フラフラの状態で走り出した。俺はプァムの手を掴むと
「慌てるな!皆で行こう。必ず助ける!心配するな!」
「でもこんな状態では…」
シュクゥルが絶望的な表情で言う。俺は彼女に顔を寄せると
「諦めた時点で勝負は付いてしまう、という言葉が俺の元居た世界にあってね。こうなったら駄目元でもいいじゃん!」
そう言って細くしなやかな腕を力強く掴んだ。
「もう一つ。元の世界には、運が悪かったら死ぬだけ、という言葉もあるんだ。人生なんてそんなモンさ!」
後は彼女の腕を引っ張りながらグイグイと出口に向かって進んで行く。この時、俺の頭の中に不思議と恐怖感は無かった。ただ連帯感、一体感というワード、後はまた四人一緒になりたいという思いが、ずっと脳内をグルグル回っていた。
ポジティブな思考を持つと事態は好転する物なのだろうか。あれ程探し回っても見つける事の出来なかった外界への出口が、プァムに引っ張られシュクゥルを引っ張りながら進む内に、突如目の前に現れた。そして
「フォンク!」
外に出た俺達と鉢合わせするかの様に、ボロボロになったフォンクがよろめきながら近付いて来た。俺達の顔を見て
「みんな無事だったんだ!良かった…」
と安堵の表情で膝に手を当てると大きく息を吐いた。すぐに顔を上げ
「奴等は上手く撒いてきた。今の内に早くずらかろう!」
俺は頷くと指を曲げた掌を数回突き出し空飛ぶ箒を呼び出…そうとした。だが突き出した手の向こうに、全ての希望を刈り取る絶望的な光景が広がっていた。
「詰んだ…」
思わず口走った俺の視線に合わせて前方を見た残り三人も、全身が硬直した様に動かなくなった。一体、二体、三体…、一部略して総数十体以上のピョニャロールが俺達の前に計り切れない殺意をたぎらせて立ちはだかっていた。
恐れおののくプァム。いつもの強気な雰囲気を消失したフォンク。全ての感情を失った様に前方を見つめるシュクゥル。そんな彼女が俺の手を静かに握った。
「運が悪かったら死ぬだけなんですよね…。覚悟は出来ました。懐の中のセハイも何処までもお供してくれると思います。今までありが…」
「諦めたら終わりだとも言ったでしょ!」
俺はシュクゥルの言葉を遮り必死に打開策を案じた。そんな俺の耳に小さな声が聞こえて来た。
「そんな…ここまで来て…嫌だよ…死にたくないよ…死にたくない…」
振り向くとプァムが震えながら目を閉じて祈る様に呟き続けていた。
「…絶対に…イヤ…死にたくない…」
囁く様な呟きが徐々にボリュームを増して来た。
「…死にたくないよ…死にたくなんか…」
その呟きがハッキリとしたヴォイスとなって全員の耳に聞こえる大きさになった時、堪えていた感情を爆発させるかの様に、プァムの両眼がカッと開かれ顔を上げ前方を睨み付けると
「死にたくなぁぁいぃぃぃーっ!!」
大爆音の絶叫が発せられ、同時に彼女の周りから凄まじい勢いで風が舞い上がった。吹き上げられたMAX級の強風はグルグルと渦を巻き巨大な竜巻に姿を変えると、獲物に飢えた凶獣の如く猛然とピョニャロールの群れに襲い掛かった。
凶暴な渦巻きの怪物に、あれ程傍若無人に暴れていたピョニャロールが、為す術も無く次々と呑み込まれて行った。獲物を巻き込んだ竜巻は、まだまだ暴れ足りないと言った様子で、自らの体内の中のモンスター達を情け容赦なく分解し始めた。渦巻きの中、絞られた雑巾の様になって回されていたピョニャロール達の体が更に捻られると、首、手、足が次から次へと引き千切られていった。無慈悲な殺戮を繰り返して来た彼等に、これ以上ない天誅が加えられているかの様だった。暫しの間、呆然と眺める俺達の前で、最凶の自然兵器による容赦ない惨殺が続けられ、それが漸く終わりを告げた時、辺り一面には見る影もない程バラバラにされたピョニャロールの死骸が、無機質な物体と化して散らばっていた。
「…………」
あまりの衝撃展開に命が助かった、という喜ばしい事実さえ、暫くの間は頭の中に浮かんで来なかった。どれ程の時間が経ったか、誰からともなく、フラフラと立ち上がり無言のままお互いの安否を確認した。大事に至った者はいないという幸いな事実を皆が共有した時、感心と驚愕が混じった複雑な表情を見せてフォンクがプァムに微笑んだ。
「アンタだけは敵に回したくないよ。お願いだからアタシ達を嫌いにならないでよね」
勝利の立役者に対する最大級の誉め言葉だった。それを聞いたプァムは照れた顔を隠すかの様に、俺にしがみ付いた。俺はそんなプァムの肩や頭をソッと撫でながら、想定外の大逆転勝利の余韻を暫しの間噛み締めていた。
どんよりと曇っていた空から、忌まわしき敵の壊滅を祝うかの様に、数本の陽射しが差し始め、やがて大きな束となって辺りを明るく照らし出した。
最後に重要な事を話すのを忘れていた。
その晩、安全な森の奥で野営をしながら疲れを癒している時、俺は救出当時は聞く事の出来なかった疑問をプァムに問いた。
「何であの時、ピョニャロールに対して俺の魔法が発動しなかったんだろう?呪文も間違ってはいなかったし、ステッキが壊れていた訳でもないし…」
プァムは少し考えた後
「高性能でないステッキの場合、同じ魔法を一日一回しか使えないんだけど、ヒデにはキチンとした物を渡してあるから…」
なら尚更魔法が不発だった理由が分からない。俺がステッキを取り出し、捻くり回しながら眺めていると
「ホラ、手持ち部分の下の所に赤い宝石が埋め込んであるでしょ?それが高性能である事の証なの」
俺が徒然なるままに、その赤い宝石を指先で弄っていると、何やら石がグラつき出した。あれ?と思いながら更に指でこねくり回していると、ポロッと持ち手部分から外れて落下した。
「…え…?」
落ちた石を拾ってプァムを見ると、口を開けたまま唖然とした顔をしている。あの時魔法が使えなかったのって、まさか…。
「このステッキ…、ひょっとして、不良品じゃないのか…?」
プァムはガバッと土下座せんばかりの勢いで俺に頭を下げた。
「ごめんなさい!ちゃんとした物を渡したつもりだったのに、私、またとんでもないミスをしてしまって…。本当にごめんなさい!」
あぁ、ロジーユさんの気持ちが少しは分かった様な気がした。でも俺は魔族王ではない、一従者だ。プァムを叱り飛ばすなんてする訳が無い。逆に目の前で必死に謝り続けるこのドジっ娘属性の魔女を、これからもしっかり守っていかなければ。
「このステッキって、新しいのと交換出来ないの?」
「ウン…」
「じゃあ、しょうがない。俺が上手く使いこなして行くから、心配しなくていいよ!任しておけ!」
俺はプァムの肩に優しく手を掛け、安心させる様にニッと笑った。プァムは本当に許してくれるの?と言いたげに上目遣いで俺を恐る恐る見上げた。実際もう、どうこう言ってもしょうがないじゃないか。運が悪けりゃ死ぬだけだ。使い勝手の悪い魔法を駆使して、この世界で獅子奮迅に暴れ捲る!自分自身を鼓舞しながら、俺はこれからの武者修行の旅に向けて新たなる決意と覚悟を固めた。
因みにプァムはもう一つやらかした様で、実は手鏡の方も同じ人に一日一回しか変身出来ない安物品だったらしい。やれやれ、魔法よりも頭を使わないと今後生き残って行けなくなったみたいだな、やれやれ。
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