6 杉姫の過去視

「えっ」

 狐代くんがいやそうな声をあげた。

過去視かこみか……今、ここで?」

 狐代くんがちらちらとわたしの方をうかがっている。明らかに、どー見ても気が進まない様子だった。

 狐代くんは一瞬わたしの方をちらりと見て、何ともいえない顔をする。一方の梓さんは、邪気のかけらもない笑みを満面に浮かべていた。

「どうしたのかなラギ? しょうがないでしょ、ぼくは体をこわしてて、もう杉姫を入れることできないし。杉姫なら、小桃ちゃんの過去の記憶を映し出せて、この憑鬼を助けられるかもしれないのになー」

 にこにこ笑いながら狐代くんに迫る梓さん。

 無理強いしてる様子なんか欠片もないのに、狐代くんの腰が思いっきり引けている。

「や、そりゃまあそうなんだけど……」

「だよね? そうだよね? 狐代くんは何か、小桃ちゃんの前で杉姫を憑かせたくない理由でもあるの? それとも憑鬼を助ける気、なかったのかな?」

「あーあーあー、わかったわかった、わかりましたよ!」

 狐代くんはしぶしぶ、左手を首元のチョーカーに当てる。

 ぎり、と眉をしかめた、いやそうな顔がわたしを見た。

「ぜったい笑うなよ」

 え、どういう意味? わたしが理解できないでいるまま、狐代くんの声が響いた。

憑鬼招来ヒャズラック――」

 パリパリとかすかに空気が鳴る。

 柊くんの髪がいっしゅん銀色に光る。

聖呪発動エンゲージ、杉姫」

 茶色がかっている狐代くんの髪が、今度は一瞬漆黒に輝いた。

 風が吹きすぎるのを確かにわたしは感じる。

 そしてゆっくりと目を見開いた狐代くんは、顔付きがさっきよりもどことなく柔らかで、さっきよりもなんだか物腰が上品な感じで、そしてかすかに頬笑みを浮かべて口にした言葉は――。

「ごきげんよう。杉姫と申しますの。どうぞよろしくお願いいたししますわね、小桃さま」

 どこからどう聞いても女性のものだった。

「あははははは!いつ見てもおっかしいな!」

 梓さんの遠慮ない笑い声が部屋の中に響いた。

 狐代くん、じゃない。いまは杉姫ちゃん?? は、むっとした顔をしている。

「まあ、ひどいですわ梓さま。笑わないでくださいませねって、いつもお願いしておりますのに!」

 体の前で両手を可愛らしく握りしめて、ぷんぷん、とでも言いたげに振りたてる狐代くん。

 その様子を見て、ますます梓さんが笑いころげる。

「ごめんごめん、杉姫のことを笑ってるんじゃないんだよ。ラギに似合わなすぎるからおかしかっただけ」

 わたしは、自分の口が馬鹿みたいにあいてるのにその時ようやく気がついた。 

 杉姫ちゃんが憑いてる状態の狐代くんは、なんてゆーか……まったくもって、「お姫様」だった。

 そうか、「杉姫」だもんね、と無理やりにわたしは納得する。

 あの黒い憑鬼はきっと女の子だったんだ。

 顔立ちは変わっていないはずなのに、仕草や言葉遣いが女性のものだと、なんとなく狐代くんの顔までが女性らしく見えてくるのが不思議だった。

「だからここでは嫌だって申し上げましたのに……しかもこんな、趣味の悪い衣を着たままでわたくしを呼び出すだなんて!」

 どうやら狐代くんの服は、杉姫ちゃんのお気に召さないらしい。

 杉姫ちゃんの憑いた狐代くん(なんて呼べばいいんだろう? とりあえず杉姫狐代くんということにしよう)は、本当の女の子のように可愛らしく唇を尖らせ、きゅっと眉をつり上げる。

 わたしも思わず噴き出しそうになってしまったが、杉姫ちゃんがわたしの方へと向き直ったので、わたしは慌てて笑いをおさえこんだ。

「さっさと始めますわよ。過去視は精気を消耗しますから、あまり長い時間は出来ないんですの」

 杉姫狐代くんが、わたしの頭にすっと手をかざす。

 優しげな女の子のようにしゃべってはいても、そこには有無を言わさぬ気配が漂っていて、わたしは過去視というのがどんなものなのか聞くきっかけを逃してしまった。

 痛かったりとかしないよね?

 杉姫狐代くんが言った。

「しゃべらないで。ゆっくり呼吸をして、気を静めて。そして頭の中に、あなたの憑鬼の姿を思い描くようにしてくださいませ」

 わたしは言われたとおりに、白い憑鬼を思い浮かべた。

 ぐったりしたその姿のことを思い出して、胸がずきりと痛む。

 いったいわたしはどこで、この憑鬼と出会っていたんだろう。

 狐代くんが、体の前にもう一方の手のひらを向ける。

 すると、手のひらの前にゆっくりと、何かゆらゆらとした影のようなものが浮かび上がった。

 影はだんだんはっきりとしてきて、何かが映りだすようになってくる。

 その映像に目を凝らすうちに、それが懐かしい、見覚えのある景色なのがわかってきた。

「これ、うちの近所の神社だ……」

 見ているうちに、わたしは神社の様子が今と違うことに気がついた。

 今は五月なのに、そこに映っている木々は赤く色づいている。

 その映像は、どうやらわたしが昔に見たものを、そのまま映し出しているようだった。

 これが過去視なのか。

 わたしが今よりもずっと幼い頃の記憶なのかな。神社の鳥居が、見上げるように大きく見えている。

 あ、おねえちゃんがいる。

 映像の中で、まだ幼い姉が着物を着て笑っている。

 大きな牡丹の花が裾に描かれている紅色の着物は、おねえちゃんが七歳の時にあつらえたものだ。

 記憶の中のわたしは、おねえちゃんに向かって走りよっているらしく、映像の中の神社の木々や屋台などが、ぎこちなくぶれながら後ろへと流れていく。

「わかった! これ、七五三の時だ! おね、じゃない、うちの姉が七歳で、わたしが三歳のとき。両親と一緒に、近所の神社にお参りに行ったの!」

 ふっ、と断片的な記憶が頭に浮かぶ。

 参道に並んでいたたくさんの屋台のこと。

 千歳飴を買ってもらったこと。

 神社の鈴を鳴らすために、パパがわたしを抱き上げてくれたこと。

 懐かしい思いで、わたしは映像をみつめた。

 その時、勢いよく走っていたわたしの視界がいきなりがくんと上下にぶれ、次いで砂利の敷かれた地面が大写しになった。

「あらあ、これは転びましたわねえ」

「これは思いっきり転んでるねえ。顔からいったかな? だいじょうぶかな?」

 杉姫狐代くんと、梓さんが口々に言いたてる。

 映像の中で、わたしの手のひらと膝小僧がすりむけて、じわりと血がにじんでいるのが見えた。

 ぽた、とその膝小僧に、大きな水滴が落ちる。

「あらあ、今度は泣きそうですわねー」

「痛そうだもんねえー」

 もはや面白がっているとしか思えない二人が声をあげる。

 その時、何か小さな生き物の影が、視界の端に映った。

 幼いわたしは、自分が泣きそうだったことも忘れたのか、転がるようにその生き物の元へとかけよっている。

「あれですわ!」

「あれだ!」

 杉姫狐代くんと梓さんが、口々に声を上げる。

 しかしわたしは、声も出せずにその映像に目を奪われていた。


 そこに、あの憑鬼が居た。


 でも、わたしがかけよった先の憑鬼の姿は、あまりにも無惨な様子だった。

 憑鬼は胸がはげしく上下するほどに荒い息をしながら、顔を上げることもできず地面に横たわっている。

 真っ白な毛並みは土と汚れにまみれて、半分開いた口からは、舌がべろりとはみ出ていた。

「なにがあったんでしょう、これ……。なにか争いでもしたのかしら……? 隠形も、出来ないほど、弱っているなんて……。あのままではもう、長くはありませんわ」

 ぽつりと杉姫狐代くんがつぶやいた。

 その口調がやや乱れて、息が荒くなっている。

 わたしが思わず彼の顔を見上げると、いつの間にか、杉姫狐代くんの額にはびっしりと汗が浮いていた。

「映像を、みててください、小桃さま」

 苦しげな杉姫狐代くんの言葉に、わたしはあわてて壁に向き直った。

 杉姫狐代くんの息が荒くなるにつれて、映像の映り方もあちこちがぼやけてきていた。切れかける電球のように、次第にとぎれがちになる。

 わたしは目をこらして、食いいるように映像を見つめる。

 泥だらけで死んだように横たわる、可愛らしさなどかけらもない様子の生き物。

 でも、そこに幼いわたしは手を伸ばしていた。

 ちいさな獣とはいっても、三歳の子供の手には余るような大きさだ。わたしはそれを半ば無理やりに抱き上げて、神社の手水のところへと運んでいく。

 体の汚れをぬぐって、さらに手に水をすくって、口元へと運んでやる。

 まだ小さな子供のやることだから、水はうまく運べずに、そのほとんどが獣の体にかかっていた。

 汚れがきれいになるどころか、わたしの手の傷から滲んでいた血が、憑鬼の白い体を薄赤く染めていく。

 はっ、と、杉姫狐代くんと、梓さんとがそろって息をのんだ。

 梓さんが映像を指差す。

「これだね。小桃ちゃんは、憑鬼との契約の手順を、知らないうち正しく行ったんだ。清めの水と、己の血をもって、憑鬼との契約と為す。この後、憑鬼に付ける名を呼べば、契約が完了するんだよ」

 そのとき、白い憑鬼が弱々しく身動きをした。ゆっくりとその目を見開いゆく。

 過去視の映像を見ながら、わたしは何か、懐かしい記憶を思い出しそうになった。

 こちらをじっと見上げる、小さな獣の瞳の光。わたしの手を舐める、ざらりとしたその舌の感触。

 映像の中では幼いわたしが、その生き物に声をかけている。

「いたいの、ないないよ。よかったね、ら――」

 しかし、その言葉の続きを聞き取ることはできなかった。

 その瞬間ゆらりと憑鬼の姿が歪んで、目の前が一瞬明るく光ったかと思うと、いきなり映像がかき消えてしまったからだ。

「あー、あともう少しで名前がわかったかもしれなかったのに!」

 梓さんが言い、わたしが振り向くと、狐代くんは床に両手をついて、肩で大きく息をしていた。

「……も、もう、限界……」

 その言葉を最後に、狐代くんはべちゃりと床に沈んだ。

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