7 禍福歯車

「うーん、惜しかった。いいところまでいったかと思ったんだけどな。まあ、とりあえずラギのことはおいておこう」

 力尽きた狐代くんを無情にも見捨てた梓さんが口を開いた。

「ちっちゃい頃の小桃ちゃんが、確かに憑鬼と契約してたのはわかった。あの契約で小桃ちゃんから精気をもらって、憑鬼の命が助かったんだと思う。あの時からずっと、あの憑鬼は小桃ちゃんに憑いているんだ」

 梓さんは首をひねる。

「でも、憑鬼と契約したからって、不運が起きるなんてことはないんだよねえ。あの憑鬼と、今現在、小桃ちゃんがツいてないのとは、いったいどう関係があるのか?」

 梓さんは続ける。

「ぼくも最初は、小桃ちゃんが自分で憑鬼を使ってるのかと思ってた。何か憑鬼の力を使ってて、その代償でこんなにいろいろ、不運な目に会ってるのかもって。でもどう見ても、小桃ちゃん本人は何も自覚してなかったからなあ」

「でも、何も憑鬼の力を使ってないのに、あんなに憑鬼が消耗するなんてことはあり得ない。ぜったい、何か力を使ってるはずなんだ」

 なんとか体力を取り戻したらしい狐代くんが起き上がった。

 梓さんは首を振った。

「ラギもさっき見たでしょ。小桃ちゃん、自分で憑鬼を具現化させるのも出来なかったんだよ? そんな子が、自分の為に憑鬼を使役するのなんか無理。自由に憑鬼を使えるようになるまでに、ラギだって何年も修行が必要だったでしょ?」

「それは……確かにそうなんですが」

 狐代くんは考えこむ。

 わたしは思わずうつむいた。

 どうしてわたし、この子のことを忘れちゃってるんだろう。

 わたしが、ちゃんとこの子の名前を思い出せたらいいのに。

 わたしはそっと、肩に乗っている憑鬼の小さな頭を撫でた。

「あれ?」

 その時ふいに、憑鬼が口に何かくわえているのが目に留まった。かすかに開いた口の中の、尖った歯の間に、何か黒いものが見える。

 梓さんが、わたしのようすに気がついて声を上げた。

「どうしたの小桃ちゃん?」

「あの、この子、口になにかをくわえてるみたいなんです」

 わたしは憑鬼のあごをそっと持ち上げてみた。

 白い獣は、それでもぐったりとしている。わたしは指の先でそっと歯の間を探った。

 がっちりとくわえこんでいるので取り出すことはできなかったけど、顔を近づけてよく見てみる。

 憑鬼がくわえていたもの。それは、なにかの歯車の破片だった。

 梓さんと狐代くんが、そろって声をあげる。

「えっ」

「まさか、これは――禍福歯車かふくはぐるま?!」

「かふく、はぐるま?」

 初めて聞く単語を、わたしはおうむ返しに繰り返した。

 梓さんも憑鬼に顔を近寄せると、まじまじと憑鬼がくわえている破片をみつめた。

「うっわー、これはすごいや。禍福歯車に干渉してる憑鬼なんて初めて見た。この憑鬼、よっぽど力が強いのかな」

「え、え、いったいどういうことですか」

「ちょっと待て。見てろよ」

 狐代くんはわたしの首元に両手を差し伸べると、そこからゆっくりと、頭上に向かって何かを持ち上げるような手つきをした。まるで、首に何かがかかっていたかのように。狐代くんがゆっくりと言葉を放つ。

「――出でよ」

 すると狐代くんの声に合わせて、彼の手の中に一連の輪が現れた。様々な色の光がそこから放たれ、輪は鈍く輝いている。

 それは、無数の歯車で出来た一つの大きな輪だった。

 大小さまざまな歯車が複雑に絡み合って、長いネックレスのようになっている。それぞれの歯車はかすかに鈴のような音を立てながら、ゆっくりと回っていた。

「これが、禍福歯車。小桃ちゃんの運命の歯車だね。そして――あ、これだ。ここ、見てごらん」

 そう言って彼は、歯車のうちのある箇所を指さした。

 わたしはその指の先に目を凝らす。

 色とりどりの歯車の中に一点、黒い色が目に入った。

 輪の中で一つだけ異質な輝きを放つ、真っ黒な歯車。

 その歯車は真っ二つに割れていて、輪の中のそれはまるで、黒い半月のように見えた。

「――禍福歯車って何?この歯車が、欠けているのがいけないの?」

 たずねたわたしに、狐代くんがかぶりを振る。

「違う。むしろ、欠けているからこそ、お前は今無事に生きていられるんだ」

 わたしは息をのんだ。

「……どういう、こと?」

 狐代くんは歯車の輪に目をやってから、再び口を開いた。

「禍福歯車は見ての通り、無数の歯車が連なった一つの輪だ。人は誰でも皆、自分の禍福歯車を持っている。これは、人生そのものの輪なんだ。一つ一つの歯車は、人生で起こるそれぞれの出来事を表している。禍福は糾える縄の如し、って諺があるだろう? 人生の出来事は全て、良いことでも悪いことでも、それがどんなことであっても、全ての歯車が噛み合って起きているんだ」

 禍福は糾える縄の如し。

 その言葉はおねえちゃんの口癖だ。

 狐代くんが真剣な顔で言葉を続ける。

「歯車の色や大きさは、起こる出来事の種類や、人生に対する影響力によって異なっている。小さい歯車は些細な、個人的な出来事。歯車が大きくなると、もっと大きな出来事になる。この歯車はさほどの大きさではないから、出来事としてはきっと些細なことなんだろうが――色が、黒だ」

「黒い歯車は、何を意味しているの?」

 尋ねたわたしに、狐代くんはさらに問いを返した。

「昔何か、命に関わるような怪我か病気をしたことはないか?」

「えっと……わたしには特に、そんな記憶はないんだけど……」

 首をかしげたわたしに、狐代くんは呟くように言った。

「そうか。憑鬼がこの歯車をかみ割ったから、それで一緒に憑鬼の記憶も失ったのかもしれないな……」

 狐代くんは静かに言葉を続ける。

「……黒の歯車が意味するのは、死だ。病気か怪我かはわからないが――死に至るような出来事だ。この黒い歯車が回りきってしまったら、お前の命に関わる。憑鬼がこの歯車の破片を咥えて、回らないようにしているということは――きっとその出来事が起きないようにして、お前を守っているんだろう」

 狐代くんが、きっとわたしを見据える。薄い茶色の瞳から、わたしは目をそらすことが出来なかった。

「これがおまえに、立て続けに不運が起きる原因だ。おまえの憑鬼は、死の歯車を噛み割って抜き取った。そしてその死のわざわいを、何か別のもっと些細ささいなもので相殺させようしている。自分の力を使って新たな歯車を作り出して、おまえに不運をもたらすことで」

 そうやって、少しずつこの死の歯車を消し去ろうとしているのに違いないと、狐代くんは言った。

 わたしの不運は、実はわたしの命を救うためのもの。

 思いもよらぬ言葉にわたしは戸惑う。

「じ、じゃあ、この咥えてる破片を取ってあげたら、この子は元気になるかもしれないの?」

 ハッ、と狐代くんは小馬鹿にしたように息を吐いた。

「こいつの口から歯車の破片を取ったら、それはすぐさま、あの輪に残ってる部分とくっついちまう。それがもともとのおまえの運命なんだからな。あの黒い歯車がもとに戻って回りはじめて、一周まわりきったらおまえは死ぬぞ」

 わたしはぎゅっと唇を噛んだ。

「……ねえ、今までわたしに起こってた程度の不運で、その〈死の禍〉をぜんぶ相殺できるまでには、あとどれくらい時間がかかるの?」

 二年か、三年か。もしかしたら十年か。

「その間、わたしが今みたいな不運生活をガマンできたら、この黒い歯車の禍が相殺されて消えるんでしょ?」

 その間、憑鬼には何か精気を与えられる方法が見つかるかもしれないし。もしかしたら名前だって、何かのきっかけですぐに思い出せるかも。

 わたしが聞くと、狐代くんはうーん、と考え込んだ。

「ま、おおよそ三百年くらいかな」

「ンなもん無理に決まってるでしょーが! それ、相殺前に死ぬから! 普通に寿命で死ぬから!」

 両手をわなわなさせて叫んだわたしを見て、狐代くんが肩をすくめてふーっと大きなため息をついた。

「人一人の命に匹敵するような禍を、たかだかあんな程度の不運で相殺させようってのがそもそも無理すぎるんだ。試しに、この歯車を戻してみるか? 今までお前に起きてた不運でどのくらいおまえの死が相殺されたかわからないが、もしかしたら大怪我くらいで助かるかもしれないぞ」

 狐代くんの瞳に辛辣しんらつな光が宿る。

 わたしは返答につまった。

「……この憑鬼、おまえが契約することで命を救われてたからな。恩返しのつもりなのかもしれない。だからずっと、おまえのために働いてるんだ。おまえに名を呼ばれなくても」

 狐代くんの両手がわたしの肩にかかる。

 体がすくんだが、狐代くんは見たこともないような真剣な顔で言葉を続けた。

「だがな、おまえが名を呼べないと、こいつはずっとこうやって弱ったままだ。もうそんなに長くはたないだろう。こいつが死んだら、あの死の歯車の破片が、元の場所に戻る――。それはつまり、おまえもその時に死ぬ可能性が高い、ということだ」

 わたしは身動きもできず、狐代くんの瞳を見つめていた。

「憑鬼がおまえを救ってくれた時のことを思い出せ。その時、何があったのかを。そしたらもしかしたら、憑鬼の名前も思い出せるかもしれない」

 梓さんが、何やら気になる様子で言った。

「そうだね。それに、君の友人のヒトカちゃんて子のことも気になる。どうやってぼくらのことを知ったんだろう。それに、君をぼくらにひきあわせて、どうするつもりだったんだろう?」

 わたしは混乱していた。

 わかったこともたくさんあったけど、わからないことは、それ以上に増えてしまったのだ。

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