5 わたしの憑鬼
「き、狐っ?」
それは、鬼という字をあてるにはあまりにも可愛らしすぎる姿だった。
目の前に浮かんでいる、二匹の生き物。
大きさはだいたい大人の猫くらいだろうか。
一匹はほのかに光る朱色で、もう一匹は灰色の毛におおわれている。
本物の狐なんてテレビくらいでしか見たことはないけれど、とがった大きな耳と、ふんわりとした尻尾は狐のイメージそのままだ。
ただ、くにゃりと細長い胴体と、何だか短めに見える手足だけが、実際の狐とはちょっと違うような気がする。
なんだろう、胴体だけフェレットに似ているのかなあ。
そしてその生き物は、そりゃもうむちゃくちゃ可愛らしかった。
光沢のある毛皮は見るからに柔らかそう。
くりっくりのつぶらな瞳。
ちょん、と首をかしげてこちらを見る、そのしぐさの愛らしいこと!
「こっちの灰色のが順風。朱色のが千里だよ」
梓さんが指を指す。
灰色の憑鬼、順風は顔つきからして見るからに鋭く、野性的な感じがする。千里と呼ばれた朱色の憑鬼は、なんとなく体全体がほっそりとして、しなやかな印象を受けた。
夢中で見つめていると、そのうちの一匹、朱色をした方が、いきなり私の腕の中に飛び込み、そしてひょいと顔を近づけてわたしの頬を舐めた。
きゃーっ! かわいい!
わたしは思わず声をあげて、狐代くんの袖をつかんで引っぱってしまった。
「ねねねね、狐代くん! この子かわいいよちっちゃくってふわふわ! なんなのこの手触り最高! ごはんはなにを食べるのかな? ベッドで一緒に寝てもいいと思う?」
「お前、いきなり飼う気まんまんなのか?」
「わ~、具現化した憑鬼初めて見てこんな反応する人、そうそういないよね~」
狐代くんは勿論、心なしか梓さんまで呆れているような気がする。
わたしはあわてて言い訳した。
「ち、ちょっと言ってみただけです!」
ほんとはちょっとだけ本気だったけど。
その時、わたしは、自分の首の回りに何かふわふわした毛皮の感触を感じた。
「あれっ、わたしの首にも……何か、いる?」
「それが、おまえに憑いている憑鬼だ」
狐代くんはつかつかと近寄ってくると、いきなりわたしの顎をつかんであおむかせた。
びくっとして固まったわたしにかまわず、狐代くんの鋭い目が、真っ向からわたしの顔をのぞきこむ。
心臓が、大きく
「ちょちょちょっと、いきなり何するのっ」
ふいをつかれたので思わず声が裏返る。
「おまえ、気配が感じ取れるだけで、自分で憑鬼を具現化できないようだから仕方ない。見てみろ」
狐代くんはわたしのあわてっぷりにも知らぬ顔で、その指をすっとわたしの首に走らせて、何かの印を描いた。
狐代くんの指がわたしの首筋をなでる。
それを感じて、肌がぞくりと震えて――そしてわたしは気がついた。
自分の首に巻きつくようにして、何かが肩に乗っていることに。
柔らかな毛皮の感触はわかるのに、まったくその重さを感じないのが不思議だった。
わたしは肩に目線を落とす。
そこにいたのは真っ白い毛並みをした、一匹の憑鬼だった。
しかしその憑鬼は、随分と弱っているようだ。
毛の艶が失せ、梓さんが呼び出した二匹の憑鬼たちよりもずっと痩せている。
かたく目を閉じたその顔はくたりとうつむいたままで、わたしがそっと頭をなでても、されるがままにじっとしていた。
「こ、この子どうしたんだろう。病気なの?」
狐代くんが、苦々しい顔をして言った。
「それがお前に憑いている憑鬼だ。契約をしない限り、憑鬼がそんな風に人間と一緒に居る事はない。つまり、おまえは既に憑鬼使いとして、その憑鬼と契約を結んでるってことだ。そして、そいつには今もうほとんど精気が残ってない。……早く、解放してやれ」
その声には、心の底から憑鬼のことを案じている響きがにじんでいた。
わたしの胸がずきりと痛む。
(自分がどんなことをしているのか、わかってるのか)
狐代くんに言われた言葉が耳に蘇る。
つまり、この子をこんなふうにしちゃっているのはわたしのせいなのだ。だから、狐代くんはあんなにわたしに怒っていたんだ。
「あ、あの。でも、解放って、どうすればいいの? わたし、この子と契約したっていうのも覚えてなくて、どうやったら解放してあげられるのかわからないんだけど……」
恐る恐る聞くと、予想通り狐代くんは噛みつきそうな顔をした。
「じゃあ、そいつの名を呼んでみろ」
「な、名前?」
「わからないならとりあえず何でもいい、そいつを見てお前がぱっと思いつく名前だ。はやくしろ」
厳しい声で急かされてわたしはあせる。
「え、えっとね、あ、じゃあ、憑鬼だから、ツッキーとか! どうかな?」
その瞬間、狐代くんが初めて、仏頂面以外の顔でわたしを見た。
そこに浮かんでいる表情は、こないだエノカちゃんが、日向山でわたしを見たときのものとそっくりだった。
「……狐代サン、わたしのネーミングに何か言いたいことでもあるんデスカ」
「いや、別に。人間誰しも苦手なことはあるからな、それは仕方のないことだ」
こわばった口調でたずねたわたしに、狐代くんがあさっての方向に目線をやりながら言った。
あんたそれフォローになってると思ってるのか。
釈然とはしないながらも、わたしは白い憑鬼に呼びかける。
「ツッキー。ツッキー」
しかし白い獣はぴくりとも反応しない。
「ええと、ダメみたい。この名前が気に入らないとか?」
「その可能性が高い、と言いたいところだが残念ながら違う」
狐代くんがかぶりを振った。
あんた今さりげなく失礼なこと言わなかった?
「憑鬼は契約の際に憑鬼使いから名を与えられ、その名を呼ばれることによって、
わたしが付けたはずの名前。その名を思い出すこと。
わたしはがく然として、肩に乗ったちいさな憑鬼に目を落とした。
それでも、自分がその子に名前をつけた記憶はまったく浮かび上がらなかった。
「ふうん、そういうわけなんだね」
その時、ずっとだまって話を聞いていた梓さんが明るく笑って言った。
「じゃあ、
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