2 わたし、何かに憑かれてるのかも?

 さんざんだった校外学習から家に帰り、リビングでひと息ついていたところで、ちょうど千夏おねえちゃんも高校から帰ってきた。

「ただいま! そしてお帰り桃! 今日の一日はどうだったのさ?」

 ドサリ、とかばんを床に行儀悪く投げ出し、おねえちゃんが明るい声をかけてきた。

 おねえちゃんはいつも、わたしのことを「桃」と呼ぶ。

 なるべく短く呼んで楽をしたいから、とかいうのが理由らしいが、わずか一文字だけを省略して呼ぶことで、楽ができるのかどうかはすごく疑問だ。

 ちなみにおねえちゃんがわたしに「今日の一日はどうだった」と聞くのは、「今日はどんなオモシロ不運があったのか教えろ」という意味なんだよね。にんまりとこちらを見つめるその顔は、まさに獲物を見つけた猫のようだった。

「と、トンビにハンバーグを取られた……」

 わたしがしぶしぶ日向山での出来事を報告すると、おねーちゃんは普段は糸のように細い目を極限まで見開いて、次の瞬間、ものすごい勢いで笑いだした。

「ぶわははははは! いやー、すっごいね! そんなの狙ってやろうったってなかなかできることじゃないよ? さっすが桃!」

 同情してくれるどころか、明らかに面白がっているその反応。わたしはむくれた。

 わたしのふくれっ面などおかまいなしに、おねえちゃんは冷蔵庫から牛乳のパックを取り出して、またまたお行儀悪く、そのままゴクゴク飲み始めている。

 ぷはっ、と息を吐きながら、おねえちゃんがたずねてきた。

「で、そのあとはどうしたのさ? 結局お弁当は食べられないままだったの?」

「……ううん、わたしがあまりにも哀れだからって、みんながちょっとずつおかずをわけてくれた……」

 友人たちの表情を思い出すと、正直いまでもちょっと泣けてくる。

 わたしがうなだれて言うと、おねえちゃんもああ……、と納得した顔をした。

「小学生の遠足でよく見かける美しくも悲しい光景だね」

「わたしは別に、はしゃいでお弁当ひっくり返したりとかしたわけじゃないもん!」

 小学生と同列扱いされてわたしはプリプリと抗議をしたが、おねえちゃんはあっさり受け流した。

「そりゃまあそうだけどさ、でも結果としては同じようなもんじゃない」

 そう言いながらどこからかメモ帳を取り出して、何やらそこに書きつけはじめる。

「えーと、五月八日……日向山にてトンビにハンバーグをさらわれる、と。うーん、今までの不運記録の中でも珍しさではナンバーワンかもね!」

 何だそのさわやかな笑顔は。親指立てんな。

 おねえちゃんは何が楽しいのか、わたしの身に起こった不運な出来事をみんな記録に取っている。メモ帳がもう何冊目になるのか、数える気もおきやしない。

 さらさらとペンを走らせながらおねえちゃんは言った。

「んで、今日は何にもラッキーなことはなかったの?」

 いつの頃からかおねえちゃんは、わたしに何かツいてない出来事が起こったときに、その中の何かひとつでも、ラッキーだと思えるようなことを探させるようになった。

 まあいわゆる、よかった探しというヤツだ。

 “禍福かふくあざなえるなわごとし”、っていうじゃない、というのがおねーちゃんの言い分だ。

 人の幸福と不幸って、交互に来るものなんだって。

 より合わせた一本の縄に表裏があるように、ツいてないことが実はラッキーなことだったり、その逆もあるから、一面だけでとらえられないんだよ、って。

 だからわたしに不運があったときには、きっと他に何か、よいことも起きているのに違いないと。

 まあ、そりゃ考え方としてはアリかもしれないけど?

 でも実際それをやってみると、なんだかむりやり自分自身に、「わたしはラッキーなんだ!」と思いこませてるような気分になってきて、逆に落ちこむことも多いんだよね。

 ラッキーだと思ったこと。

 今日だったらなんだろう?

 ううん、とわたしは考えこむ。

 トンビに食べ物をさらわれるという、めったにない体験ができた! とかだろうか。

 それか、みんながお弁当をわけてくれた! とか。

 うわあ、わたしってばらっきー。

「どこがだー!」

 思わずテーブルを叩いて叫んだわたしを、おねーちゃんがけげんそうな顔で見る。

 ハンバーグを失ったことにくらべたら、そんなのぜんぜんラッキーだなんて思えないってば。

「わたし、ほんとにツいてないんだねえ……」

 わたしはテーブルに突っぷした。

 ひんやりとした木の感触をほっぺたに感じながら、今日のヒトカちゃんの言葉を思い返してみる。

 そういえばいままで、自分のまわりでいろんな不運が起こることが当たり前すぎて、なんでなんだろうと思うことすらなくなっていたのだ。

 ――小桃はおっちょこちょいなんだから、気をつけるんだよ。

 ――物をなくさないようにするんだよ。

 ――足下には気をつけて歩くんだよ。

 そんな言葉を、昔からそれこそ何度言われたことか。

 しかし自分でどんなに気をつけていても、それでもわたしには、様々なツいてない出来事が起こり続けた。だからそのうちに、まわりも慣れっこになってしまって、取り立てて騒ぐこともなくなっていった。

 ――小桃だからしょうがないよね。

 何か起こってもそんな空気になってしまって、わたしも次第に、自分はそういう人間なのだとどこかで思うようになってしまっていた。

 自分はとことんツいてないんだと。

 でも。

 もしも、ホントはそうじゃなかったのだとしたら?

 もしかしたら、ホントに何かがわたしに憑いているせいで、わたしはツいてないのかもしれない。

 さらにさらにもしかしたら、その何かを取り去ることができたら、わたしもこんなに不運じゃなくなるかもしれない!

 ふいに、目の前がぱっと明るくなったような気がした。

 それはまるで、その先を知らない道に向かって、一歩足を踏み出すような気持ちだった。ちょっぴりの不安とたくさんの興奮と、そして、未来へのほのかな期待。

 小さいころからずっと、ツいてない日々に慣れっこになっていたわたしにとって、そんな気分を感じるのはずいぶんとひさしぶりのことだった。

 がばっと顔をあげて、おねえちゃんに言う。

「そうだ、あったよラッキーなこと!」

「おおっ、それはすばらしい! ほらほら、言ったでしょうどんなことにもイイことがあるって! やったね桃!」

 ぴっ、とまた親指を立てて見せるおねえちゃんを見てわたしは苦笑した。

 さっきあれだけわたしの不運を笑いモノにしてたくせに!

「で、それってどんなこと?」

「うん! あのねおねえちゃん、わたし、何かに憑かれてるのかもしれないんだって!」

 ウキウキした気分のままそう言ったら、おねえちゃんはちょっと顔をひきつらせた。

 いや、気持ちはわかるよ。わかりますよ?

 わたしだって、誰かが「私って何かに憑かれてるのかもしれないの、ラッキー♪」って明るく言ってたら、ちょっとだいじょうぶかなこの人、って思うもん。

 わたしはあわてて説明した。

「いや、憑かれてることがラッキーって言ってるんじゃなくて。もしそれがホントで、解決することができたら、わたしもこんなに不運じゃなくなるかも、って思ったの。それってラッキーなことじゃない?」

 それは、今日ヒトカちゃんの話を思い出して言っただけだったので、わたしはおねえちゃんが本気にするとは思っていなかった。

 だっておねえちゃんときたら、雑誌やテレビの心霊特集やなんかを、「こんなのほんとうにあるわけない」って、いつも笑いのめしてるようなヒトなんだから。

「何かが憑いてるかもしれない」だなんて話、きっといつもみたいに笑って、メモ帳に書いておわりになるのにきまってる。

 でも、わたしのその言葉を、おねえちゃんは笑わなかった。

 何かに打たれたように体をこわばらせて、めったに見せたことのない真剣な表情でこちらを見つめている。

 急に真顔になったその反応に、わたしは逆にびっくりした。

 うそ、どうしちゃったの?

 だって、おねえちゃんが普段からいちばん、わたしのツいてなさをからかいのネタにしているのに。

「……どうしたのさ、いきなり。誰かにそんなこと、言われでもしたの?」

 少しかすれた、普段よりも低い声でおねえちゃんは言った。

「う、うん、クラスの子に言われたの。あんまりわたしがツいてないから、お祓いか何かした方がいいんじゃないかって。今はまだこの程度で済んでるのかもしれないけど、この先どうなるかわかんないからって」

 するとおねえちゃんは口元に手を当て、何やら考えこんだようだった。

「憑かれてる、か……。そうか、なるほどね……」

 おねえちゃんにしてはいつになく歯切れの悪い反応だ。

 いったいどうしたの?

 でも、おねえちゃんはふいにいつものように、わたしのことをおもしろがるような顔に戻ると、こんなことを言った。

「でもさ、もしほんとに何かがあんたに憑いてるんだとしても、それって、すごいしょぼい何かなんじゃないかな。あんたに起きてる不運のレベル、実はそう大したことないものばっかりだし」

 そ、それは確かにそう!

 よく考えてみると、わたしに起きる不運って、数は多いし地味にイヤではあるんだけど、程度的にはどれもみんな、しょーもないことばっかりなんだよね。

「あはは、確かに! 毎日毎日なんかツいてないことばっかりだけど、不思議と、怪我したりとかするようなことは起きないもんね!」

 アハハ、とわたしはおねえちゃんにむかって笑いかけたが、おねえちゃんの様子は、そのときもちょっと変だった。

 怪我、とわたしが口にした時に、おねえちゃんが、またすこし真顔になったような気がしたのだ。

「おねえちゃん? どうかした?」

 問いかけると、おねえちゃんはあわてたように笑ってみせた。

「ごめん、なんでもないよ」

「そうなの? まあ、どうなるかはわかんないけどさ。でも、ちょっとでも今の状況がよくなるんだったら、試してみてもいいかなって。クラスの子の知り合いに、そういうのに詳しい人がいるんだって。明日、紹介してくれることになってるんだ。お祓いとかしてもらえるのかな?」

「やめなさい!」

 わたしがそう言ったとたん、おねえちゃんが大声をあげた。

 わたしはびくっとして体をこわばらせた。おねえちゃんがハアッとため息をつく。

「ごめん、いきなり怒鳴ったりして。でも、どんな人かわからないのに、ひとりで会いに行ったりしたらだめ。どうしても会うっていうのなら、せめてわたしか、だれか大人がいっしょじゃないと」

「でも、クラスの子がいっしょにいてくれるし」

「その子だって、どの程度その相手のことを知ってるかわからないでしょ? どうすんの、じゃ、お祓いしま~す、とか言って高いお金とられたり、なんかへんなツボだのお札だの売りつけられたら」

 うっ、言われてみればたしかにその通りだ。

「そっか、そうだよね……」

 もしかしたら、不運なわたしじゃなくなるかも、って期待していたけど、そんなにうまくいくはずもなかったよね。

 しょんぼりしたわたしをみて、おねえちゃんはちょっと申し訳なさそうな顔をした。

「桃、あんまり落ち込まないでよ」

 わたしの頭をぽんぽんと叩く。

「じゃ、わたしはちょっと着替えてくるから」

 おねえちゃんはそう言うと、そのまま二階の自分の部屋へ行ってしまった。

「……なんなのさ、今日は。ヘンなおねえちゃん」

 口ではそうぼやきながらも、おねえちゃんのふだんと違う様子のことが、その後もしばらくわたしの頭から離れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る