ぼくらはみんなツいている

世理

1 そのきっかけはハンバーグ

 風を切る音はまさに一瞬だった。

 はっと気がついたときにはすでに、さっきまでわたしの目の前でほかほかとおいしそうに湯気を立てていた手作りのハンバーグ(ママが朝四時起きで、肉をくところから自分で作ってくれた特大のやつ、ママのオリジナルソースで煮こんであって、さらにこれまたお手製の、サワークリームが添えてある)が、大きな鳥の足にがっしとばかりにつかまれて、晴れわたった空へと吸いこまれていく真っ最中だった。

 さみしく残されたごはんを抱えて、プラスチックフォークをにぎりしめたまま、言葉も出ずボーゼンと空を見上げているわたしに、まわりにいた友人たち、里依紗りいさ莢音さやね亜実あみも、口々にあたたかいなぐさめの言葉をかけてくれる。

「またか」

「まただね」

「ホンット、毎度のことながらツいてないね、小桃こももは」

「まったくね。あの鳥、よりにもよって小桃の分を取ってくなんて、鳥ながらわかってる」

「狙いすましたかのように迷いがなかったよ! 超ピンポイント。あたしたちみんな、同じようにお弁当広げてるのに」

「ねえ、スゴクない? 私、トンビに食べ物さらわれる人を見たの生まれて初めて!」

 これ、 ホントになぐさめの言葉かなあ???

 この三人は、小学校からの友人だから容赦がないのである。

 ああ、みんなの優しさが心にしみてくる。まるでえぐりこむように。

 今日は八木原やぎはら中学校の、一年生の校外学習の日。学校からほど近いここ日向ひなた山は、初心者でも楽しめる気軽なハイキングコースと、山の斜面にあるロープウェイからの眺めの良さとで、近隣住民の人気の行楽スポットになっている。

 五月になって、新しいクラスメートともなじんできたこの時期。

「校外学習」という名目にはなってるけど、まあ内容はみんなでピクニックして、もっとお互いのことを知りましょうね、みたいなものだ。

 さわやかな空気の中、和気あいあいとおしゃべりしながら楽しく山を登ってきて、町を見下ろせる良さげな場所を見つけて荷物を広げて、いい感じにお腹も空き、さあこれからお待ちかねのお弁当を食べようって時に、まさかまさかまさか、朝からずうっと楽しみにしていた特大ハンバーグを、トンビにさらわれちゃうなんて!

 わたしは膝から、その場に崩れ落ちた。

 わたし、宮ノ内みやのうち小桃こももは運が悪い。

 ぶっちゃけていうとツいてない。

 犬も歩けば棒に当たるっていうけど、実際に犬が棒にぶつかってるとこなんか見たことない。でも、わたしが歩けばたいてい不運にぶつかる。もし不運な人間を見るなんてことが世間で流行はやったら、わたしの一日をウォッチングするのはそれこそ外れなしの人気ツアーになること間違いなしだと思う。

 わたしにとっては、道は迷うもので階段は落ちるものでバナナの皮は踏むものだ。身の回りの物がなくなったり壊れたりなんてのはしょっちゅうだし、買った物が不良品だったなんてことも珍しくない。

 出かければ決まって犬に吠えかかられたり猫に喧嘩を売られたり、そういえばこないだは、道路に打ち水をしていたおばあちゃんに頭から水をかけられたこともあった。渡ろうとした信号が青だったことなんかないしバスは乗り過ごすし、通ろうとしていた道で予定外の道路工事なんて、それはわたしにとっては予定のうちだ。

 だから今日のこの校外学習に来るのにも、それはもう細心の注意をはらったのだ。

 それなのに、まさかこんな落とし穴が待っていたとは。わたしはぎゅっと唇をかみしめた。

 どうしてわたしはいつも、こんなにツいてないんだろう。昔からずっと、運が悪いのは慣れっこだけどさ、それにしたってこれはあんまりじゃない?

「うう……わたしのハンバーグ……」

 えぐえぐと泣きぬれるわたしの肩を、だれかがぽんぽんっと優しくたたく。

 顔をあげると、そこにはヒトカちゃんの顔があった。

 若志名わかしなヒトカちゃんは、中学校に入学してからの友人だ。入学初日にすぐにわたしに話しかけてくれて、それであっという間に仲良くなった。筋肉質で、クラスでも背が高い方の私とは逆に、華奢で小柄で、栗色のふわふわの髪にぱっちりと大きな目の、お人形みたいにかわいい子だ。いつもニコニコと明るく朗らかで、怒ったり声を荒げたりするところなんか見たことない。

 柔らかな微笑みを浮かべた、いつものように優しいヒトカちゃんの顔。でも今は、その瞳にはあきらかに、可哀想なモノを見る色が浮かんでいる。

 はっ、とまわりを見回すと、ほかの三人もまったく同じ表情でわたしを見ている。

 ああっ、今まで言葉では知ってたけど、実際に自分に向けられるのは初めてだ!

 これ、これが、「憐憫れんびん」ってやつかあーーーーっ!!

 わたしはがっくりと頭をたれた。

「小桃、あなたかれてるのよ」

 そんな言葉が頭上から聞こえて、わたしは涙目でヒトカちゃんを見上げる。

 んん?

 わたしが、つかれてるってこと?

 アハハ、やだなあ~。このくらいのピクニックでくたびれたりしないよ! って冗談めかして笑いたいけど、ヒトカちゃんの顔つきからそういうことを言ってるんじゃないのがなんとなくわかる。にこやかなのに、なんだかすごい圧を感じる。

「ちがう、憑かれてるの」

 えっ、まさかわたしの頭の中を読まれた? そしてなんという早い否定!

 断ち切るようにすぱりと言い切られたヒトカちゃんの言葉に答えられなくて、わたしはあうあうと口を開け閉めさせた。

 そんなわたしにかまわず、ヒトカちゃんはその大きな目に強い光を宿し、ふたたびきっぱりと言いはなった。

「あのね、小桃。いままで何度も言ってきたけど、あなたね、ぜっっったいに何かに取りかれてる」

「わ、わたし、何かに取り憑かれてるの!?」

 わたしの叫びに、まわりの友人たちも口々に同意する。

「あー、そう言われてみれば確かに」

「取り憑かれてるとしか思えないよね実際」

「不運といったら小桃、小桃といったら不運て感じ」

「滑るし転ぶし道には迷うしものは失くすし」

「私、バナナの皮を踏んで転ぶ人を見たの生まれて初めて!」

「そういえば、みんなで遊びに行くときの待ち合わせ時間、あんたにはいつも、かなり早めに言っておいたの知ってた? 小桃の場合、到着までにどんな変なアクシデントが起きるかホントわかんないから」

「きわめつけがこのハンバーグ!」

 あちゃー、という全員の視線が自分に集中するのをわたしは感じた。

 ほっぺたをなでていく風はあたたかいのに、まわりの空気がどこかひんやりしているような気がする。

「だから、前から言ってたでしょ? 偶然というにしては、小桃に起きてる不運の数はあきらかに多すぎるよ。だって、私たちが入学してから、まだ一ヶ月そこそこしか経ってない。それなのに、小桃がその間に何回、ああいう目にあったと思う?」

 両手両足の指でも足りないんだよ、とヒトカちゃんがわたしの前で手をひらひらさせる。

 わたしはポカンとして、ヒトカちゃんの言葉を聞いていた。

(何かに憑かれている)

 その言葉が、ふいにすとんとわたしの胸の中におさまった。

 今までそのことに思い当たらなかったのはどうしてだったんだろうと、ぎゃくに不思議に思うほどに。


 そうか。

 だからなのだ。

 こんなにさまざまな不運が次から次へとわたしに降りかかるのは、何かがわたしに憑いているからなのだ。


「ってことは!!」

 急に大きな声をあげたわたしにヒトカちゃんはいっしゅん眉をしかめたが、すぐにまたもとの優しい顔に戻った。

「そうだよ、だから、」

「くっそーーーーーー、ってことはさ! 今ハンバーグを取られたの、なんだか知らないけどわたしに憑いてるそいつのせいってことだよね? 許せない、わたしが朝からの楽しみにしてた特大ハンバーグ! ぜったいに正体を突き止めて、この仕返しをしてやるんだからあーーーーーーっ!!」

 ヒトカちゃんの言葉も耳に入らなかったわたしは、怒りのあまりがばっと立ちあがった。

 こぶしをにぎりしめてわなわなしているわたしを見て、まわりのみんながドン引きしている気配を感じたが、ハンバーグの恨みでいっぱいのわたしは、そんなことはちっとも気にならなかった。

「ま、まさかハンバーグで小桃がその気になるとは思わなかったよ……」

 ちょっとひきつった顔のヒトカちゃんが言った。こほん、と咳ばらいをして話をつづける。

「ええと、だからね、いくら小桃が、ただ単に自分の運が悪いだけだと思っててもね、いつまでもこんなことが続いてたらよくないと思うんだよね。今の内に何か対処をしたほうがいいよ」

 今までは笑ってすませられるような不運しか起きてなくても、いつ、取り返しのつかないようなことが起きるかわからないんだから。

 ヒトカちゃんは、表情をひきしめて言った。

 うん、とわたしはうなずきかえす。

「いったい何が憑いてるんだか知らないけど、きっと除霊とかお祓いとか憑き物落としとかそういうのをすればいいんだよね! やってやる! とにかく手当たり次第になんでもやってやるうーーー!!」

 ヒトカちゃんがぱあっと笑顔を浮かべた。

「やったね! そうだよ! そうしよう! あのね、私の知り合いに、そういうのに詳しい人がいるんだよ。紹介してあげるから、その人に一度会ってみたらどうかな?」

 「よし、そうする! そしてハンバーグかすめ野郎の正体をつきとめてやる!」

 おー! というかけ声をあげたわたしを、ヒトカちゃんをはじめとした友人たちは、さらにドン引きした顔で見ていた。

 ……そして。

〈トンビに食べ物をさらわれないように気をつけてください〉と書かれた貼り紙が休憩所のあちこちに貼られていることに、わたしは帰り道になってから、ようやく気がついたのだった。

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