16話 アレンの訪問
「どーぶつえん、すごいっ」
帰る道すがら、ルゥはずっとそう何度も繰り返した。今まで仕事と生活に追われて、あまりお出かけとかしてこなかったな、とランは思った。ルゥにとって今日は刺激的な一日だったのだろう。
「あのさ」
「なんだ、ラン」
「……ありがとう」
「このくらいのことならいくらでも」
ランからの唐突な感謝の言葉に、慌ててレクスはなんでもないという素振りでそう答えた。
「ただいま」
「たーいまっ」
ご機嫌なルゥと一緒に帰宅すると。ロランドが慌てて迎えにやってきた。
「お帰りなさいませ」
「ロランドさんどうしたの?」
いつも完璧に仕事をこなすロランドが一瞬とはいえ出迎えに遅れるとは珍しい。かすかな違和感を感じたランはロランドに問いかけた。
「いや……その来客がございます」
「客?」
身に覚えのないランは、ちらりとレクスを見た。しかし、レクスも心当たりがないようで軽く首を振っている。
「追い返すこともできませんで……」
その横でロランドはひたすら申し訳無さそうにしている。その時だった。
「ラン、こっちへおいで」
その聞き覚えのある声に、ランは慌てて応接室を覗き混んだ。
「……あ、アレン様」
「やあ子猫ちゃん」
「なんで」
応接室のソファに堂々と長い足を組んで座ってるアレンを見て、ランは絶句した。
「あの……」
「――帰ってくれ」
ランがアレンに話しかけようとすると、レクスがそれを制した。
「おやおや、冷たいな」
「何しに来た」
「いつまでたっても訪ねてこないから、こっちから伺ったよ。ランをここに連れ戻したってのは本当だったんだね」
アレンはつかみ所のない笑みを浮かべて二人を見ている。
「ちょっと久し振りにランと話をしたいと思っただけさ。へぇ、その子が例の子供だね」
アレンがランの腕の中のルゥを覗き混むようにしたのを見て、レクスはその間に体を滑り込ませた。
「やめてくれ」
「待望の王家の血を引く子だ。危害なんて加えないよ」
それでもレクスはアレンを睨み付けた。
「あ、あの……オレに用事なんですよね。レクス、ルゥを頼むよ」
間に挟まれたランは、レクスにルゥを抱かせると部屋を出るように促した。
「しかし……ラン」
「大丈夫。ちょっと話をするだけだろ。ロランドさんも一緒に居て貰うから」
「……わかった」
レクスは渋々、部屋を出て行った。
「アレンさん、もうちょっとやりかたあったでしょう」
「ん?」
「どうしてレクスを刺激するんですか」
やっと親子らしい時間がとれたと安心した矢先の出来事に、ランは思わず非難の声が発した。
「おやおや、美しい妻と可愛い子に王位継承権まで得たのになんの不満があるのやら」
アレンはからかうような口調でそう言いながら優雅な仕草でお茶を飲んだ。
***
「ウォルから聞いたよ。レクスに強引にここに戻されたそうじゃないか」
「……確かにそうなんですけど」
「せっかく平和な生活を築いていたのにね」
「そのことは……」
ランは思わず俯いた。鄙びた田舎町でのビィとの生活。大変なこともあったけれど、楽しく充実した毎日だった。
「アレン様からの援助で出来たことです。それについては感謝しています」
ランはそう言いながら、アレンを見つめた。常に柔らかい笑みを浮かべているこの人は何を考えているのか分からない。
「子猫ちゃんの助けになったのなら光栄だ。ラン、この生活に不満はないか?」
「なんでそんなこと聞くんですか」
「ただ心配なだけさ。何かあったら頼って欲しい」
そう言ってアレンはランの手を取った。
「は……はい……」
ランはギクシャクを手を引っ込める。そんなランを見て、アレンは軽くため息をつくと、ロランドを呼んだ。
「すまんがレクスを呼んで来てくれ。二人きりで少し話したい」
「は……」
ロランドがレクスを呼びにそこを離れた瞬間、アレンはランを抱きしめた。
「君が望むなら、今度こそ誰にも手の届かないところに隠してあげる」
「あのっ……」
ランが身をよじると、アレンはパッと手を放す。
「覚えて置いてくれ」
「……」
ランはどうしていいかわからないままじっとアレンを見つめた。
「呼んだか」
その時、不機嫌そうな顔をしたレクスがぬっと姿を現した。そしてランの腕を掴む。
「ラン、ルゥがむずがってる」
「あ、ああ……」
「ほら行け」
「喧嘩しないでくれよ」
ランはそう言い残し、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出た。
「ママーっ!」
「ああ、はいはい」
ぐずぐず泣きかけているルゥの背中を撫でてやりながら、応接室の方に意識を向けていると、ガチャンと何かをなぎ倒すような音が聞こえた。
「レクスッ!?」
ランが慌てて駆けつけると、レクスは拳を握りしめ荒い息を吐きながらアレンを睨み付けていた。
「痛ぅ……」
見れば、アレンの頬は赤くなり口の端から血を流している。
「アレン様……!? レクス! 殴ったのか」
ランが心配でアレンの側に行こうとすると、レクスはランの腕を乱暴に掴んだ。
「痛いって」
「ラン、殿下はご機嫌ななめみたいなのでもう帰るよ」
アレンは唇に滲んだ血をぺろりとなめとると、いつもの柔らかな笑顔を浮かべて立ち上がった。
「では、ね」
そう手を振って応接室を出ようとするアレンに、レクスは怒鳴りつけた。
「二度と来るな!」
「さて、どうだろう」
そう言いながら去っていったアレンの後ろ姿を、レクスはずっと睨み付けていた。
「一体何があったの?」
ランはレクスにそう聞いたが、レクスは無言のまま何も答えなかった。
***
「……レクス?」
思い詰めた表情のレクスを、ランは覗きこんだ。途端にレクスの腕が伸びてきて、ランを抱きしめる。
「ど、どうしたの……?」
「なんでもない……」
そんなレクスの言葉と裏腹に、その手は強くランを抱きしめていた。まるで、ランがどこかに行ってしまうかのように。
「ごめん」
レクスはそう呟くと、しばらくそうした後にランを放した。
「……少し頭を冷やしてくる」
そう言い残すと、レクスは自室へと引っ込む。
「なんだったの?」
ランは首を傾げた。そしてそのまま、レクスは夕食の時も出て来なかった。
「なんなんだよ」
勝手に不機嫌になってろ、という気持ちとレクスが心配な気持ちが交互に湧き上がる。
「はぁ……」
ランはどうしたらいいか分からずに、ため息をついた。
その頃、レクスの自室ではまたレクスが酒を呷っていた。そんな彼にロランドはおずおずと話しかけた。
「ランさんがお困りでしたよ」
「……ああ」
「レクス様、アレン様の戯れ言に惑わされてはいけません」
「戯れ言か……」
ロランドの言葉にレクスはアレンの言葉を思い出していた。
『可哀想に、あの子は産むのが怖いと怯えていた。犯された相手の子供を孕んだ気持ちを考えたことはあるか? 私はせめてランが安心して産み育てることの出来るように少し手を貸したにすぎない』
戯れ言、と片付けるにはその言葉はレクスに重くのしかかっていた。その上、アレクはこうも言ったのだ。
『ランが素直に君のもとに移ったのは、私の指示だ』
そんな馬鹿な、と理性では思う。だとしたら結婚式の後の交わりも、今日の外出の穏やかな時間もアレンの策略ということになってしまう。
『王位継承権一位になったからといって安心するなよ』
あの嘘くさい微笑みをやめてアレンが放った一言がいつまでも頭を離れない。レクスはさらに強い酒を呷った。
「レクス様……」
「ロランド、一人にしてくれ」
「は……」
ロランドが部屋を出て行く。一人になった部屋でレクスはずっと酒を飲み続けていた。
「レクスは?」
翌朝、朝食に起きてきたランはレクスの姿を探した。
「レクス様はまだお休みです。その……昨夜は随分お酒を召していたようで」
「また飲んでんのか!」
ランは呆れた声を出した。別に楽しい酒ならランもそう文句はないのだ。ただ、レクスの酒の飲み方はまるで自分を罰しているようで端で見ている人間が心配になるようなものだった。
「まったく……」
ランは朝食を取ると立ち上がり、厨房に向かった。そして目当てのものを作ると、ノックもなしにレクスの部屋に飛び込んだ。
「うわっ、酒くさっ!」
どんよりと籠もった空気。ランは思わずそう叫ぶと、窓を大きく開けた。
「……んん、なんだ。ランか……」
「おはよう! 朝だよ」
「静かにしてくれ……」
二日酔いに頭が痛むのか、レクスは顔をしかめると布団の中に潜り込んだ。
「はい、これ飲んで」
「何これ……」
「ラン様特製の二日酔い用ドリンク。これ飲めば一発だから」
仕事柄酒を飲むことも多かったビィの為によく作っていた効果はお墨付きの一杯である。
「え……臭……酸っぱ……」
「いいから一気に飲む!」
ランは無理矢理にそれをレクスに飲ませた。
「……何に悩んでるか知らんけど、オレはもうどっかいったりしない。逃げたりなんかしないから」
「ラン……」
「お互い子供だったんだ。でも今はルゥがいるだろ……?」
「ああ、そうだな」
労るようにレクスの肩に置かれたランの手。その手をそっとレクスは握り返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます