15話 他人
「ラン、これからは……」
「……ルゥのとこ戻らなきゃ」
ランは何か言いかけたレクスの言葉を遮って、のろのろと服を身につけた。
「怒ってるのか?」
「いいや」
言いだしたのはレクスだったが今回はランも合意の上だったし、優しくゆっくりと体を開かれる行為は気持ちが良かった。
だけど、その心地よさに全てを委ねてもいいとランは思えなかったのだ。
「……レクス。オレはあんたの妻になったし、ルゥの父母なのは間違いないよ。でもそれだけだろ」
「……ラン」
振り向くと、レクスはどこか泣き出しそうな顔をしていた。そんな顔を見ていると、小さい頃を思い出しそうになる。
「やっぱり……」
「ん?」
「いや、何でも無い……ほらルゥの所に行ってやってくれ」
「ああ」
ランはレクスを振り切るようにして部屋を後にした。
「ラン、お前は……」
そして一人残された部屋で、レクスはキャビネットから酒を取りだした。
「昼間から、感心しませんね」
その声に振り向くと、ロランドがいつの間にか部屋にいた。
「……ロランド」
「せっかく気を利かせたのに喧嘩したのですか」
「喧嘩が出来ればいいんだけどな」
レクスは構わずグラスに酒を注いで呷った。なかば無理矢理にランを王城につれて戻ったが、どうランに接していいか分からない。
「喜ぶと思ったのに」
もちろんランとルゥの立場を明確にする意味もあったが、わざわざ式を挙げたのはランが喜ぶと思ったからだ。
実際はランはひどく困惑しているようだった。
式を口実に抱いても、ベッドの上では自分を受け入れてくれたくせに、終わればすぐに突き放すような素振りで去っていった。
「どうしてアレンなんかに頼ったんだ」
レクスは湧き上がった苛立ちに、乱暴にグラスを机に叩きつけるようにして置いた。
この感情は嫉妬以外の何者でもない。
「……レクス様」
そんなレクスの様子を、ロランドは眉を寄せ心配げに見守ることしか出来なかった。
「ママ、こうえんいこ」
「え?」
一方、答えの出ないもやもやを抱えて物思いにふけっていたランは、ルゥの声にハッと我を取り戻した。
「公園はここにはないよ」
「えーやー」
ルゥのつぶらな瞳に見る間に涙が溜まっていく。
「こうえん、いくの!」
「うーん」
ランは窓の外を見る。中庭は今は花盛り。少し散歩をするのなら十分だろう。
「ここでいいか……。よし、ルゥいこうか」
「うん!」
そうしてランはルゥの小さな手を引いて、中庭に出た。
***
「これ、ちぇんちぇんむし」
「うんっ……そこ置いて~」
中庭に出たルゥは花には目もくれずに地面をほじくり返している。なお、ちゃんちぇんむしがなんなのかはよく分からないが、ランの見た限りではみみずである。
「なんで子供は虫平気なんだろ」
ランは可哀想に引きずり出されたみみずを地面に返してやっていた。
「あれっ、ルゥ?」
そして顔を上げるとルゥの姿が無い。狭い中庭である。そんな馬鹿な、とあたりをキョロキョロする。
「うぉるーっ!」
すると生け垣の向こうからルゥの声がした。どうやら隙間から脱走したらしい。
「まったく……」
ランは中庭の小さな戸を開いて、続く王城の庭に出た。
「あ……」
「ママ、うぉる!」
そして顔をあげると、そこにはウォルがいて、その足元にはルゥがまとわりついていた。
「え、やっぱりルゥくんか!」
「ウォルさん」
ウォルは間抜けな顔でルゥとランの顔をキョロキョロと見比べると、ポンと手を叩いた。
「え、なんでここに居るんです?」
「それは……」
ランはどう説明したらいいかと頭を巡らせた末に、そのまま説明することにした。どっちにしろアレンには事の顛末を説明する義理があるだろうと思ったからだ。
「――という訳で王城で暮らしてるんです」
「はぁ……ルゥくんの父親はレクス様だったのか。私はてっきりアレン様が父親かと」
「すいません」
「謝ることでもないですよ。分かりました。アレン様には私から伝えておきます」
ウォルはそう言って、ランをじっと見つめた。
「大変でしたね」
「いや……」
「もし……何もかも嫌になったら私に声かけてくださいね」
相変わらず温かく包み混むようなウォルの優しさに、ランは少し泣きそうになる。
「ウォルさん……」
居たたまれなくなってランが視線を逸らした、その時だった。
「ラン!」
見ると、レクスが険しい顔をしてこちらを睨んでいた。
「レクス……」
「何をしてる」
「何って……ウォルさんは知り合いで……」
ランがそう説明しようとすると、レクスはウォルとランの間に割って入ってきた。
「誰だお前は」
「……私はウォル。アレン様の部下です」
「アレン……」
その答えに、さらにレクスの眉根が不機嫌そうに寄せられた。
「アレンは無関係だ。部外者は去れ」
「ちょっと! レクス……!」
レクスの威嚇するような強い口調をランは慌てて諫めた。
「ランとルゥに触れるな……!」
「……はい、では私はお暇しますね。ではランさん、また」
「またなど無い!」
去って行くウォルの後ろ姿に、レクスは大声で怒鳴りつけた。
「まったく油断も隙もないな」
「レクス……なんてこと言うんだよ」
ランからしてみれば、三年間アレンとその部下ウォルの手助けがあってこそ暮らして行けたのだ。それを無礼な態度で追い返したレクスの態度は到底許せるものでは無かった。
「そっちがそういう態度なら、オレにも考えがあるからな」
ランはそう言うと、ルゥを抱きかかえて部屋へと戻った。
***
「……」
「……」
重苦しい静寂が、夕食の席にのしかかっていた。
「おい、ラン」
「……」
ぷい、とランはレクスの呼びかけを無視する。
「ごちそうさま」
そう言ってランは席を立ってとっとと自室に引き上げてしまった。
「……くっそ……」
「レクス様、ランさんと話をしに行ったのでは……。なぜ余計にこじれてるんです」
「知るか!」
呆れたような哀れむようなロランドの視線を受けて、レクスは頭を抱えた。
「あっちが話きかないならこっちが話する必要なんてないよね、ルゥ?」
「うーん?」
部屋に戻ったランはルゥにそう話しかけた。ルゥは首を傾げている。
「わかんないか。そりゃそうだ」
そうして我が子を抱きしめる。
「ママはルゥがいればいいんだよ」
「ママー?」
「うんうん」
そうだよ、なんにも変わらない。とランは思った。自分にはルゥというかけがえのない存在がいる。ルゥと一緒にいられるのなら、他は些末な問題だと。
「さーてお風呂入ってねんねしようね」
それから、ランはレクスを無視し続けた。昼間は部屋に立てこもり、朝夕の食事の時は一切反応しない。そんな日々が三日ほど続き、そして四日目の夜だった。
「ラン、俺が悪かった……」
とうとうレクスが謝ってきた。
「本当に思ってる?」
「ああ……」
そう答えるレクスの顔色はとても悪くて、ランは少しやり過ぎてしまったな、と思った。
「……こっちこそ、ごめん。大人げなかった」
「ラン」
「アレン様にはお世話になった、それだけだよ」
「ああ……分かってる。頭では……」
レクスはそう言うと、自嘲的に笑った。
「なのに、どうしても許せないんだ。アレンが居なかったらランはずっと俺のところにいて、大きくなっていくお腹を撫でたり、産まれたばかりのルゥを抱くことだってできたのにと思ってしまって……」
「レクス……」
その告白に、ランの胸は痛んだ。確かに、レクスの父親としての時間を一方的に奪ってしまったのは事実なのだ。
「ごめん。その時は戻らないけど、これから……ルゥと親子の時間を育んでくれる?」
「ああ、もちろんだ」
レクスはそう言ってルゥの額に愛おしそうにキスをした。
「それで、父親として考えたんだが」
「ん?」
「動物園にいかないか?」
「動物園……」
「王都には近隣諸国一の王立動物園がある。珍しい動物も居るんだ」
ランは以前にレクスと行った別邸のことを思い出した。
「馬もいるかな」
「ああ。小さいポニーもいる」
「じゃあ……行くよ。ルゥも喜びそうだし」
「良し、決まりだ」
ランが頷くと、レクスはようやく笑顔を取り戻した。
***
「初めまして、レクス殿下。ラン妃殿下」
「はっ……はじめまして」
ランは動物園に着くなり現われた園長の挨拶に面食らった。
「殿下自ら視察とは光栄なことでございます」
にこにこと微笑んで案内しようと先頭に立って歩き始めた園長の後ろで、ランはレクスの袖を思い切り引っ張った。
「どーゆーことだよ?」
「ん、動物園を見に行くと知らせを入れたらいつの間にか視察ということになってしまったらしい……」
「そうじゃなくて……」
ランは辺りを見渡して声をひそめた。
「――殿下ってなんだ。ひ、妃殿下って」
「ああ」
レクスはなんだそっちかと呟いて、ランの耳元に囁いた。
「ランとの婚姻とルゥが俺の子だと認められて、俺は皇太子になった」
「なっ?」
ランの知る限り、レクスの王位継承権は第三位だったはずだ。
「王弟殿下は高齢だし、アレンには子がない。後継を得たということで俺の継承権が一位になったんだ」
「なんだよそれ……大事なことじゃんか」
「そのうち言おうと思ってた」
だとしてもこんな所で知るのは無しだろう、とランはレクスを睨んだ。
「ルゥがアルファだとは限らないだろ……時期尚早なんじゃないか」
「それでも、王家に一人も後継がいない今の状態では、ルゥは貴重な王家の血を引く子なんだ」
「なんか……可哀想だ」
ランはポツリと呟いた。まだルゥは小さいのに勝手に回りに重たいものを背負わされている。
「レクスはそれでオレ逹を探してたの?」
「それもなくはないが……」
レクスはランの手を握った。
「二人に会いたいって気持ちが一番だった」
「本当……?」
「ああ」
信じてくれと言わんばかりにぎゅっと握られた手をランは強く握り返した。
「せっかくの外出だ。楽しもう。ほら、まずは象だ」
「ぞう?」
「ルゥ、見たらびっくりするぞ」
レクスはルゥを抱きかかえて、ランの手を引く。
「よし、行こう」
それから三人は色々な動物を見て回った。象にキリンにライオン……。様々な動物にルゥは大興奮だ。
「ライオン、かっこいい」
「ああ」
「パパみたい」
そう言われてレクスはきょとんとした顔をした後、真っ赤になった。
「……そ、そうか」
「よかったねレクス」
「あ、うん……」
その様子がおかしくて、ランはついからかってしまった。
「パパ、もっかいやって」
「わかった」
レクスはルゥを肩車する。背の高いレクスに背負われたルゥは新鮮な景色に目をきらきらさせている。
「パパ、ママたのしいねぇ!」
その笑い声に、ランもレクスも思わず頬を緩めた。
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