14話 婚姻

「ランさん、こちらにお召し替えください」

「……はい」


 翌日の朝、ランはロランドから白い服を手渡され、戸惑いながらもそれを受け取った。


「まだ時間はありますので、ゆっくりお着替えください。ルゥ様はお預かりしますので」

「あ……わかりました……」


 一人になった部屋で、ランは服を広げて見た。


「綺麗……」


 白い礼服には細かな銀のビーズ刺繍が施されている。身につけるとサイズもぴったりだった。


「こんなのいつの間に」


 首元のボタンを閉めながら、ランは美しい花嫁衣装をじっと見る。昨日今日用意したものには思えない。

 その本来なら幸福と高揚感とともに身につけられるべきその白い衣装と裏腹に、ランの心の奥は暗く陰っていた。


「ランさん、もういいですか?」

「はい」


 じっと鏡を見つめていると、ロランドが部屋に入ってきた。


「少し髪とかを整えましょうね」


 ランはロランドに言われるがまま、鏡台の前に座った。ロランドはいい匂いのする髪油をランの髪に撫でつけて、櫛を通す。


「はい、じっとして」


 そしてランの目元と唇に紅を塗った。


「……」

「綺麗ですよ」

「あ……あのっ、なんでいきなり結婚式……なんでしょう」


 ランはロランドに思い切って聞いて見た。するとこう返ってきた。


「いきなりじゃないですよ」

「は?」

「ずっと準備していたのです。ランさんがここを出て行ってから。その衣装もね」

「……そう、ですか」


 ということはランがここを出て行った後も粛々と結婚式の準備をしていたということなのだろうか。ランがすぐに戻ると信じて。


「でも……オレは出てってから三年も経ってるんだよ?」


 ランは、自分にはこんな華やかな衣装を着て、レクスと結婚式をする資格なんてないと思った。


「だとしてもレクス様がすると言ったからには私は式の準備をいたします」

「……うん」


 ロランドはそういう人間だ。何処までもレクスに従順なのが彼。


「さ……これを。本当は母親の役目ですが」


 黙ってしまったランにロランドはベールをかぶせる。白く厚いベールがランの思い詰めた顔を覆い隠す。


「ランさん。レクス様を信用してください」

「……それは」

「あの方に任せれば大丈夫です」


 そう言われても、とランは唇を噛んだ。レクスが一体何を考えているのかランにはさっぱりわからなかった。


「さ、そろそろ行きましょうか」

「はい……」


 ランはここまで来て抵抗はよそうと思い、大人しくロランドについて行くことにした。


「こちらです」


 ロランドに誘われ、ランは王城の中の教会へとたどり着いた。


「ママー、だっこ!」

「はいはい」


 ずっしりと重厚なその建物に見とれる間もなく、ルゥの声に振り回される。


「んー……」

「ルゥほら、お庭だよ」


 少しぐずり気味のルゥの気を反らせながら抱き上げる。子供の高い体温を感じながら、ゆらゆらとルゥを優しく揺すぶっていると、ランは視線を感じた。


「――ラン」

「レクス……」


 顔をあげると、同じく白い礼服に身を包んだレクスが立っていた。


「どうしたの」

「あ、いや……」


 レクスはもごもごと口ごもりながら俯いた。


(あれ、もしかして顔赤い……?)


 ランがその顔を覗き混もうとすると、レクスは手でそれを制した。


「中で司祭が待ってる。行こう」

「あ、うん」


 ランはルゥを抱いたまま、教会の中に入った。祈祷所の広い空間には静寂が満ちている。


「その……悪いな、招待客もいなくて」


 レクスの言葉に、ランは耳を疑った。勝手に結婚式を決めたレクスの台詞とは思えなかったからだ。


「いいよ、別にそんなの」


 だけどランはそう答えた。実際、父や兄弟を呼ばれても気まずいだけだし、と。


「大体、なんで結婚式なんて」

「このままだとルゥが私生児になるからだ」

「あ……」

「ルゥが私の息子であるという証に、この結婚は必要なんだ」


 そのレクスの返答に、ランはガツンと頭を叩かれた気がした。


「ごめん……オレ、自分のことばかり……」

「いいさ。これで大人しく儀式を受ける気になったか?」

「……うん」


 まさかレクスがルゥの身の上まで案じてくれているとは思わなかった。ランはじっと腕の中のルゥを見つめた。


「わかった」


 そう言って、ルゥを控えて居たロランドに手渡す。


「式……しよう」


 ランがうつむき気味にレクスの袖を引っ張ると、レクスはその手を自分の腕に組ませた。


「司祭の言うことに『はい』で答えろ。すぐに終わる」


 ランとレクスは腕を組み、祭壇の前の道を歩く。祭壇の上で待機していた司祭はこちらをじっと見ている。そしてランとレクスの名を呼んで、教典を広げた。


「いついかなるときも、愛し慈しみあうことを誓いますか」


 司祭にそう問いかけられてレクスは前を向く。


「はい、誓います」

「……はい」


 遅れてランも頷いた。空しい、と思った。レクスとランの間はそんな関係ではなかったから。

 それからレクスとランは聖水の入ったカップを互いに飲み交わして形ばかりの式は終わった。


「これでランは俺の……妻だ」

「ああ」


 レクスの言葉に、ランはぶっきらぼうに頷いた。


「気が済んだか?」

「いいや、まだだ」

「はぁ?」


 ランはレクスは一体なにを考えて居るんだと首を傾げた。すると、レクスはランを抱き上げた。


「うわっ……何!?」

「花嫁の義務を果たしてもらおう」

「……義務?」


 不安定な格好に、思わずレクスの肩にしがみつきつつ、ランは不可解な顔でレクスを見つめた。


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