13話 帰還
「王城……ひさしぶりだな」
鉄道に揺られて二日、そしてまた馬車に乗り換えてしばらく。そびえ立つ王城をランは見上げた。その腕の中では、移動で疲れたルゥが眠っている。
「こちらへ」
「はい」
ランは中に案内され、それについていった。
「ここで待っていてください」
「はい」
レクスの部屋の居間に通され、ランはソファに座った。ここも変わらない風景である。しばらくするとノックの音がした。
「は、はい」
「失礼します」
その聞き覚えのある声に、ランはハッと顔を上げる。
「ロランドさん……!」
「お久しぶりです」
そこには薄く笑みを浮かべたロランドが立っていた。
「お茶をどうぞ、ランさん」
「はい……」
ロランドは盆の上のお茶をテーブルに並べ、ランにすすめた。ランはそっとルゥをソファに寝かせ、お茶を戴く。
「はぁ……やっぱり美味しい」
ランは三年たっても、ロランドの淹れたお茶の味を覚えていた。
「それは良かった。……長い移動でしたが、体は大丈夫ですか」
「え、あ……大丈夫です」
ランはロランドの労りの言葉にギクシャクしながら頷いた。
「そちらがお子さんですね」
「はい、ルゥといいます」
ランは柔らかくサラサラのルゥの黒髪を撫でた。
「……オレの子です」
「はい」
そう言うランに、ロランドは静かに答えた。
「レクス様はまもなくこちらに。少し待っていてください」
「……わかりました」
レクスの名前を出されると、体が強ばるのを感じる。なぜ、こんなに不安な気持ちになるのだろうと、ランは拳を握りしめた。
「待たせた」
その時だった。がちゃりとドアを開けてレクスが入ってきた。どうしようもなく華やかで存在感のある彼の登場に、空気が変わる。
「ラン、来たな」
レクスはソファにちょこんと座っているランを見つけると、にやっと笑った。
「着替えてくる、少し待ってくれ」
そうして自室に引っ込み、スーツから寛いだシャツに着替えるとすぐに戻って来た。
「ラン、よく来た」
「うん……」
「ルゥは寝てしまったのか」
「移動で疲れたみたい」
「そうか」
レクスはそう言いながらランの隣に座った。
「あ、あの」
「ランは? 移動は疲れたか」
「まあ……少し」
ランは体温すら感じられるその距離にドギマギして顔を伏せた。
「ん……ママ」
「あ、ルゥ」
その時、ルゥが目を覚ました。ランは逃げるようにしてルゥを抱き上げてレクスから距離をとった。
「ここどこぉ」
「えーと、今日からここで暮らすんだ。ここがルゥのおうちだよ」
「おうち?」
「うん」
二歳の子にどう説明したらいいのかわからないランはルゥにそう答えるしかなかった。
「ルゥ、こんにちは」
「……ちは」
レクスは真面目な顔でルゥに挨拶をした。
「ラン、抱かせてもらえないか」
「あ、うん」
ランはルゥをレクスの膝の上に置いた。
「……ちいさい」
レクスは怖々とルゥを抱いた。同じ色の特徴的な瞳は、はっきりと二人を親子だと示している。
「だれー?」
「前に会ったろう、レクスだよ。……君のパパだ」
「ぱぱ?」
ルゥがそう答えた瞬間――ランはレクスからルゥを取り上げていた。
「ラン?」
「いや……あの……ちょっと疲れたから休むよ」
ランは衝動的にルゥをレクスから引きはがしたことに動揺し、しどろもどろになりながらなんとかそう誤魔化した。
「そうか。夕食までまだ少しある。ランの部屋はそのままだ」
「ありがとう……」
ランは俯き気味にレクスに会釈するとルゥを連れて自室へと滑り込んだ。
***
「なんでこんな……」
レクスを前にすると冷静さを忘れてしまう、とランは自分が嫌になった。
「ママぁ」
「あー、ごめん」
ランは鞄からルゥのお気に入りのぬいぐるみを取りだした。
「るうくんこんにちはー」
「あーい!」
ルゥがぬいぐるみで遊びだすのを見ていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
「ランさん、お休みのとこ済みません」
「ロランドさん」
その時、ロランドが部屋のドアをノックした。
「荷物を入れてもいいですか?」
「ああ、そうですね」
ランはドアを開けて、ロランドが荷物を運び込むのを手伝った。
「荷解きはこっちでやるんで」
「わかりました」
そのまま部屋を退出しようとするロランドをランは呼び止めた。
「……ロランドさん」
「なんでしょう」
「オレの行き先をロランドさんが見つけたって聞きました。一体どこから……」
「それは、レクス様にお聞きになったほうがいいでしょう」
ロランドは、そう言って微笑んだ。
「ただ……レクス様も私も心配していました。こうして会えて良かったと思っています」
「そう……ですか」
ランはそう言われてなんと返していいかわからなくなった。ロランドが部屋を出て行った後も、ランは荷解きもする気になれずにそのままぼんやりとしていた。
「夕食だ。一緒に食べよう」
「は……っ」
ランはいきなり目の前にレクスが居てびっくりして息を飲んだ。いつの間にかうとうとしていたらしい。
「寝るならベッドにいけばよかったのに」
「……うん、ごめん」
ランは早鐘を打つ心臓が治まるように、深く息を吸った。
「夕飯だったね。行こう」
「ああ」
ランが夕食の席に着こうとすると、ロランドがやって来た。
「ルゥ様をお預かりします」
「えっと……」
「大人の食卓に子供は一緒にできません」
その言い方にランはカチンときて語気が荒くなった。
「でも、ルゥはいつもオレと一緒に……」
「多少、こちらのやり方にも合わせて貰わないと」
「……」
ランだって一応貴族の家庭で育った。確かにマナーとしてはそうなのだが、いきなり引き離されるルゥが可哀想だった。
「少しずつ慣れさせるから」
「では、別のテーブルを隣に用意させます」
「……うん」
ランはそれくらいなら、とルゥの手をようやく放した。
食堂に行くと、レクスはすでに席についている。そしてランの方をちらりと見ると不可解な顔をした。
「どうした?」
「いや……あんまり人にルゥを預けたことがなくって」
「慣れろ、今後はそうも言ってられない」
「うん……」
そうは言われても、という言葉をランは飲み込んだ。
沢山のご馳走を前にしても、ランはなんだか食べたような気がしなかった。
***
砂を噛むような夕食を終えて、ランはルゥを風呂に入れて寝かしつけた。
「ふう……」
ふと窓の外を見る。明るい月が、中庭を照らしている。ロランドと一緒に、レクスの身の回りを世話したり、部屋や中庭を整えていた頃を思い出した。
「あの頃は、レクスの隣に居場所があるって思えてたんだけどな」
ランはそう呟いてカーテンを引く。
「ラン、ルゥは寝たのか」
「うん。もうまとめて寝てくれるようになったから助かる」
ランが居間に戻ると、レクスは読んでいた本から顔をあげた。
「……飲むか?」
レクスは自分の飲んでいた蒸留酒のグラスをカラカラと鳴らした。
「レクスお酒飲むんだ」
「ん、まあな」
以前は夜に酒を飲んでいる姿をみたことは無かったと思う。ランは少し驚きながら、レクスの向かいに座った。
「じゃあ……少し貰おうかな」
「ああ」
ランはレクスから手渡された琥珀色の蒸留酒のグラスをじっと見てぐっと煽った。
「ごっほ……苦い」
「強かったか? 水で割るからよこせ」
「ごめん」
「酒はあまり飲まないのか?」
「うん、ルゥが気になるから……レクスは晩酌なんて前はしてなかったじゃない」
「そうだったかな」
レクスはふいとランから顔を逸らした。その横顔を見ながら、ランはレクスに気になって居たことを聞こうと思った。ごくりとつばを飲み込んで、ランはレクスに問いかける。
「レクス、オレ逹の居場所……どうやって突き止めたの」
「……ロランドが、根気よくアレクの部下の動きを追った」
それはウォルの動向を探ったということだろうか。
「……ずっと探していたんだ。ラン。俺は『任せろ』と言ったはずだ。どうして逃げたりしたんだ」
「それは……」
ランは俯いた。レクスの側から逃げ出したのは。彼の『友人』としての立場が壊れてしまったからだ。そしてなによりレクスの横で彼にふさわしい番が現われるのを見るのが怖かったから。
「レクスの……レクスの側にいてもしかたないって思って」
「仕方ない?」
レクスの目がぎらっと光った気がした。その次の瞬間、ランはレクスにぐっと手を掴まれ引き寄せられた。
「仕方がないかどうかは……俺の決める事だ」
「なんだよ、それっ」
ランはレクスの腕を引き離そうとした。ところがレクスの力は強く、ランの抵抗ではびくともしない。
「なぜ……」
「なんだよっ、レクス放せ!」
「なぜ、アレンを頼った」
「え……?」
気が付けば、ランはソファに押し倒され上からレクスに押さえつけられていた。
「アレンに頼るなんて……許せない」
「……レクス」
見上げたレクスの顔は青白く、凍り付くような目をしていた。
***
ランを押さえつけている腕の力が増す。ランは無駄だとわかっていても必死でそれに抗う。
「あの時はっ、他に浮かばなかったんだよ!」
「……触れさせたのか」
「何……を……」
「アレンに抱かせたか、この体を」
「そんな訳、ないだろっ」
なんて馬鹿なことを言うんだろうとランは驚いて、レクスの顔を見つめた。
「どうだかな」
「レクス!」
「……調べてみようか」
レクスはそう言うと、ランのシャツの前を引きちぎった。
「なっ……」
『動くな』
レクスが口を開いた瞬間、ランの体にゾッとした寒気が走る。
「あ、あ……」
「アレクは優しく抱いたのか? 俺は余裕なかったからな」
違う、そんなことしていないとランは叫びたかったが喉からは呻き声しか出て来ない。レクスの……王族アルファの『威圧』の前に、ランは指一本動かせなくなっていた。
「まあいい。お前がどう思おうと……あの子は、ルゥは俺の子供で間違いない」
「う……う……」
レクスの舌が胸を這い、突起を見つけてこねくり回した。
「あっ……く……」
「ラン、俺を見るんだ」
レクスはランの顔を掴んで強引に自分の方向を向かせた。否定の言葉も出せないもどかしさと息苦しさにランの目尻に涙が浮かぶ。
「アレンはどうやってお前を抱いた? こうか?」
レクスの手が、脇腹をなぞる。言葉とは違う優しい愛撫に、ランの腰がびくりと跳ねた。
「うっ……う……」
そしてその手はそっと下腹部に伸ばされた。
「……勃ってるぞ、ラン」
「……レ、クス」
レクスの威圧の効果が薄れた。それでも痺れたように動かない体で、ランは何とかレクスの名を呼んだ。
「違……う……レクス……」
ランの涙はもう止まらなかった。なぜ、レクスはこんなことを言うのか、自分にはレクスだけなにと本当はランは叫びたかった。
「……すまない」
じっとその涙を見ていたレクスはそっとランのこめかみにキスをした。
「ラン、明日は結婚式だ」
「……?」
「俺とランの結婚式だ。教会で誓いを立てるだけの形式的なものだが――」
唐突なレクスの言葉に、ランは思わずきょとんとした顔をした。
「結婚? なんで?」
「ルゥの父母としてのけじめだ。お前が嫌でも引き摺っていく」
「な……」
「では、また明日。……逃げるなよ」
レクスは酒のグラスを持って、寝室へと去って行った。
「なんで……オレと……」
ランは呆然として、その後ろ姿を見送った。
「結婚……嘘だろ……」
確かに、レクスと一緒にいたいと願ったこともあった。だが、レクスの言う結婚とはランの望むようなものでは無さそうだった。
「あんな顔をして結婚って……」
ランを冷たく見下ろしたレクスの視線。アレンとの仲を疑い、姿を隠したランを責めているあの眼。
「何考えてんだ」
ランはソファから落ちたクッションを拾い、それに顔を埋めた。
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