11話 辺境の日常

 その日は休日だったので、ビィはさっそく恋人の元にデートに出かけた。

 ランは溜まった家事を片付けながらルゥと一緒にすごそうと思った。


「ママー、うっうー」

「うん、ママはルゥと一緒にいるのが一番楽しいよ」


 最近はひとりで遊ぶようにもなって、子育ても少し楽になってきた。


「そう、そう上手だね」


 今日はルゥはお絵かきをしている。


「こえ、ママ」

「そうかぁ、すごいね」


 他人からみたらただの丸にしか見えないものも、親の欲目で大傑作に思えてくる。


「ルゥは大天才かも……」


 ランは大まじめに考えこんだ。

 そうこうしているうちに家事も一段落したので、ササッとサンドイッチを作ってランはルゥを連れて公園に行くことにした。


「ぽかぽか天気だね、ルゥ」

「ぽかぽか!」


 ルゥの歩調に合わせてゆっくりと、ランは公園を巡ると、ベンチでお弁当をひろげた。


「さあごはんにしよう」

「ごはんー」


 両手にサンドイッチを抱えてリスのようにもぐもぐと食べるルゥを微笑ましく見守りながら、ランも食事にとりかかった。


「ランさん」


 その時、声をかけられてランは顔をあげた。


「……ウォルさん」

「やぁ」

「ここにはこないで下さいっていったじゃないですか」


 つい、ランの口調がきつくなる。


「アレン様がたまには直接様子を見てこいとおっしゃるもので」

「元気にしてますよ、このとおり」


 それは、この男がアレンの部下であるからだ。


「そうですか」


 困ったように元々下がり気味の眉を一層下げてウォルはヘラヘラと微笑んだ。


「大きくなりましたね。ルゥ君も。こんにちは」

「ちは!」


 何も知らないルゥはウォルの挨拶に元気に返事をした。


「かわいいなぁ」

「ウォルさん、ご用件は?」

「ああ、いけない。これ、アレン様から預かってきました」


 ウォルは懐からジャラと音を立てて袋を取りだした。


「これ、生活費に使って下さいと」

「結構です。もう相当額アレン様からは援助をいただいています。これ以上はオレ、返せそうにないから……」

「返済なんてアレン様は考えていませんよ」

「だから一層そういうのは受け取れないっていってるんです」


 ランはアレンの援助を突っぱねた。するとウォルは捨てられた子犬のような情けない声を出す。


「そんなぁ……これを受け取って貰えないと私、帰れませんよぉ」

「やめてください、そういうの……わかりました。受け取ります」

「それは良かった!」


 ウォルは多分とても善良な人なのだと思う。ランが金を受け取るとニコニコと笑顔を浮かべた。


「……わざとだな」


 アレンのこの人選には悪意を感じる、とランは思った。


「アレン様には感謝してます。あの人がいなかったら……オレは……春を売るしか無かっただろうし」


 ランだけではない、ランを助けようとついてきてくれたビィも巻き込んでいたかもしれない。あのスラムでも身を売らずに生きてきたビィを。


「でも、もう大丈夫ですから」

「そう言わないでください。私も仕事関係無しにルゥ君に会うのを楽しみにしているんですから、ね」

「うー!」


 ウォルはそう言い残して去っていった。ランは複雑な気持ちでその後ろ姿を見送った。




「ただいまっと、さあルゥお手々洗うよ」

「やーだ」

「やーじゃないの」


 手洗いから逃げだそうとするルゥをとっ捕まえていると、奥からビィがやってきた。


「お帰り」

「あ、もう帰って来てたんだ」

「うん、ちょっと……発情あれが来そうで」

「彼氏に慰めて貰えばよかったのに」

「……嫌なんだよ、そういうの」


 こっちに来てから聞いたのだが、ビィの母親は身持ちがいい方ではなくて色んな男に泣かされてはビィを放り出していたらしい。

 それだからかビィは発情期を疎ましく思って、その期間には例え彼氏でもそばにはいて欲しくないようだ。


「ランはどこいってたの」

「公園に。あ……これ、金庫に入れといて」


 ランはビィにウォルから渡された金を手渡した。


「あら、ウォルさん来てたんだ」

「うん」


 ルゥの手を洗いながらランは答えた。


「もういいって何度も言ってるんだけどねぇ」

「そんなこというなよ。せっかく来てくれたんだし……ウォルさんはランに会いたいんだよ」

「ビィ」

「いいじゃん。ウォルさんはルゥを産まれた時から知ってるし可愛がってくれてるし」

「ビィ、そこまで」


 ランはビィを牽制した。ランだってわかっているのだ。ウォルがただのアレンの使いとしてだけでここに来ている訳ではないことを。だから余計に冷たくしてしまう。


「オレは……そういう気はないから。恋人はルゥがいれば十分」

「まったくぅ」


 ビィは不満そうにしながらも口を閉ざした。


「ビィ、おこもりするならルゥを頼んでいい? オレ買い物に行ってくる」

「ああ。それならチョコレート買ってきて」

「わかった」


 ビィがルゥを抱き上げたのを確認して、ランは買い物に出かけた。


「おじさん、タマネギとこれとこれ」

「はいよ」


 ひととおり買い物をして袋を抱えて道を歩く。

 ビィとの生活はうまいこといっている。アレンのことは少しひっかかりはあるものの、安定した生活を送れるという点で感謝してる。


「ずっとこんな日が続けばいい……」


 すくすくと育つルゥの姿を見守りながら、ランは心からそう思う。

 そう、思っているはずなのにこうやって時々ひとりきりになるとランは思い出してしまう。


「レクス……」


 あの柔らかな白銀の髪に触れたい、明るい緑の瞳に見つめられたいと。何も言わずに彼を捨て、逃げ出したのはランの方なのに。


「こんなんじゃウォルさんに失礼でしょ」


 優しく気のいいウォルとなら、もしかしたら穏やかで温かな家庭が築けるかもしれない。だけど、ランの胸の底には今も、レクスに対するひりひりとした恋情が眠っていたのだ。


「それじゃあなるべく早く帰ってくるから」

「いってらっしゃい……」


 顔色の悪いビィがルゥを抱いて手を振ってくれた。


「ビィ、具合悪そうだったな……」


 ランは後ろ髪を引かれる思いで仕事に出た。どちらかが発情期真っ只中でも育児は待ってはくれない。ランもビィも何とか抑制剤で症状を抑えてルゥを育てて来た。


「寂しい思い……させてるかな」


 抑制剤だって金がかかる。それでも使わない訳にはいかない。


「はー……オメガって面倒くさい」


 ランはぐちぐちと呟きながら職場にたどり着いた。




「ラン」

「はいなんでしょう」

「お前帰れ」

「……へ?」


 昼のピークが過ぎた頃、店長に腕を引っ張られてランは店の裏につれていかれた。


「お前ひどい発情ヒートの匂いだぞ。俺はベータだけど、それでもわかる」

「ほ、本当ですか? おかしいなもうちょっと先の予定だったんですが」

「これじゃ仕事にならん。帰れ」

「……はい」


 間の悪いことに、ランも発情期に入ってしまったようだ。眩暈と頭痛を抱えて結局ランは来た道を引き返すことになった。


「ただいまぁ」


 部屋はシンとしている。見ると、ルゥが居間で昼寝をしていた。


「ビィは……?」


 ランはビィの姿を探した。


「居ない……?」


 その時だった。微かな声がランの耳に届く。


「……あっ、ああ……あん」


 それはビィの自室からだった。


「ビィ……」


 自分を慰めるビィの喘ぐ声が部屋から漏れていた。


「まずい」


 ランはいつの間にか自分の下半身が張り詰めていることに気付いた。ビィの色っぽい声に当てられたみたいだ。


「あ……ちょっとだけ」


 ランは服の上から下腹部を撫でる。痺れるような快感が背筋を走る。


「ううんっ……は……」


 いつまでも慣れないな、とランは思った。長らく発情ヒートを知らずに生きてきたランにとって、オメガの発情は苛烈だった。

 むしろ性欲自体薄かったランにとって、それは恐ろしいほどだった。

 初めての発情ヒートでルゥを孕んで、出産後に発情ヒートが再開して一年ほどになるがランはまだこの感覚に慣れない。


「何してんの」

「――ヒッ!?」


 急に声をかけられて、ランは飛び上がりそうになった。


「あ、ビィ……いやオレも発情期きちゃったみたいで……」

「こんなとこで盛るなよ。ルゥの教育に悪いだろ」

「ご、ごめん……」


 ランはハッとしてルゥを見た。ルゥはすやすやと眠っている。


「ランまで発情期か……よし、ちょっとこっちきなよ」


 ビィはランの手をひいて自分の部屋に招き入れた。


「どうしたの……」

「いや、先輩がいいもの貸してあげようと思って。はい」


 ビィが何かをランに投げてきた。ランはそれを受け取ってまじまじと見つめてギョッとした。


「ビィ……! こ、これって」


 それは張り型だった。太く反り上がったその形はずっしりとしている。


「入れてるだけでも結構落ち着くよ」

「そう、そうかもしれないけどっ」


 ランは恥ずかしくて耳まで赤くなった。一方でビィはけろっとした顔をしている。


「……ラン、僕が使い方教えてあげようか」

「え……」


 ランが顔をあげると、ビィは笑いながらこっちを見ていた。

「ははっ、嘘だよ。彼氏に怒られちゃうもん」

「だよね」

「まぁそれはあげるから使ってみたら。大丈夫、新品だって」

「あ……ははは」


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