9話 発芽
「じゃあ俺は家庭教師の所に行ってくるが……ランはじっとしてるんだぞ」
「はぁい」
「医者の置いて行った解熱剤はここ、食後に一包」
「早く行きなよ、遅れるよ」
ランは別邸から帰ってすぐに熱を出していた。レクスはボートから落ちたせいだと慌てて医者を呼んだ。
「はー……ついてないや」
医者が帰ると、ランは厚い布団をかけられてベットに追いやられた。誰もいないしんとした部屋でランはひとりぼやく。
「休みではしゃぎすぎて熱を出すなんて」
ぼんやりとする頭で、ランは申し訳なく思った。
「とにかく寝て治す!」
ランは誰も居ないのに大声で宣言して、目を瞑って眠りに落ちていった。
『レクスがオメガだったらオレ、レクスをお嫁さんにしてあげる』
『オメガじゃなかったらどうするの……? お嫁さんにしてくれないの?』
『そんなことないよ! レクスがなんでも俺は……』
『……約束のちゅーだよ。ラン、わかった?』
『うん……』
そして眠りにつきながら、幼い日の約束の夢を見ていた。
「オレ、レクスをお嫁さんにする……あ? ……夢か」
ランはハッと目を覚ました。がばっと体を起こして時計を見ると大して時間は過ぎていないのに、まるで全力疾走でもしたように、全身汗をかいている。
「……レクス」
ランはレクスの名前を呟いてみた。
「できたらオレは……約束を守りたかったよ」
そう認めてしまうとランの胸は潰れてしまいそうに苦しくなった。
「……オレが、こんなじゃなきゃっ!」
苛立ち紛れにランは自分の膝を拳で打った。ランの頬に涙が伝う。
「はは……認めちゃった」
悲しみと脱力感がランを襲う。そして少し――どこか安堵していた。
それは、幼い頃に忘れてきた思いと出会ったから。
レクスを今も変わらずに好きだということがわかったから。
「オレの馬鹿……」
ランは止まらない涙で、顔を覆った。
「オレは『友人』なんだよ。レクスの……ただ一人の……」
熱でぼうっとする頭で、ランは今だけは泣こうと思った。
思う存分泣いて、熱が下がったら忘れようと。
今だけは自分を偽らずにいようと、ランは思ったのだった。
「しぼりたてのジュースを用意しましたよ」
「あ、ロランドさん……」
ランはロランドの声で目を覚ました。
「すみません、起こしてしまいましたね」
「いえ……」
ランはいつの間にか再び眠っていたらしい。
「ランさん、目が赤いですね」
「あ……これは……熱の所為だと思います」
「そうですか?」
「うん、そうです」
ランは泣いて赤くなった目をこすってごまかした。
「早く治します、ごめんなさい」
「気にしないでください」
「……ロランドさん」
「なんですか」
「オレが居なくなったら、レクスを頼みます」
ランがそういうと、ロランドの手が伸びてきて額に触れた。その手はひんやりとして心地いい。
「……熱が上がっているようですね。薬を飲みましょう」
「すみません」
「病気になると、いつもより気弱になるものです。気にしてませんよ」
ランはロランドが差し出した薬を水で流し込んだ。
「咳もありませんし、このところ環境が変わりすぎて疲れていたのかもしれませんね。ゆっくり眠ってください」
「はい。そうします」
ロランドはランの布団をかけ直し、ランはまた眠りに落ちていった。
次の日、ランの熱は無事下がった。
「たいしたことなくて良かった」
「心配性すぎるよレクスは」
「だって、風邪を引いて死にかけたって言ってたから」
「それはボロ屋で寝泊まりしてたからこじらせたんだ」
ランとレクスはいつものように朝食を取っていた。
「ま、とにかく良かった。まだ病み上がりなんだからいきなり無理するな」
「うん」
他にもなにか言いたげなレクスに、ランは苦笑する。まるで子供にするように過保護なのは、ランが細くて華奢なせいもあるだろう。
「ロランドさんも今日一日はまだ大人しくしてろってさ」
「そうしてくれ。さ、そろそろ俺はいくから」
「うん、じゃあいってらっしゃい」
「ああ」
レクスが出かけたのを見送って、ランはとりあえず自室に戻った。
「って言っても、することないな。散歩でもするか」
ランは念の為上着を着て、庭に出た。秋の終わりの庭は花も少なくて少しもの悲しい。
「落ち葉が気になる」
結局ランはほうきを片手に、中庭を掃除し始めた。
「ふう……キリ無いな」
小一時間ほどそうしていたが、落ち葉はあとからあとから降り注いでくる。ある程度集めたところでランは手を止める。
そこに、声をかける者がいた。アレンだ。
「やあ子猫ちゃん」
「その呼び方やめてください。オレはランです」
「ランね」
「何かレクスに用でも? 今出かけてますよ」
ランはいつかと同じ様に唐突に現われたアレンに、そう答えた。
「いや、あいつに用はない。君が庭にいるのが見えたから声をかけただけだ」
「そうですか」
「どうだ、あいつに困らされてはいないか?」
「そ、そんなことはないです」
強いて言えば過保護すぎて困るというくらいか。
「一体……何が言いたいのですか?」
「レクスはいつか良い家のアルファと番って、子を成すだろう。その時に君はきっと泣かされるだろうと思ってね」
ランは唇をぎゅっと結んだ。わかってる、元からそうだとランにはわかっているのに改めて他人から指摘されるのは辛かった。
「残念ですが、オレとレクスはそういう関係じゃないので」
「そうなのかい?」
「ええ。オレ達は『友人』関係です」
「へぇ……」
アレンはそう言うと、上から下に舐めるようにランを見た。
「ちょっと君の雰囲気が変わったように見えたからもしやと思ったのに」
「え……?」
「じゃあ、私の勘違いということか……」
アレンはもったいぶった言い方をした。そうして動揺するランの反応を楽しんでいるように見える。
ランはそんなアレンに苛立ちを覚えて、彼を睨み付けた。
「あんた、なんなんだ」
「……私はレクスと君が心配なだけだよ。じゃあね」
アレンはへらへらした笑みを顔に貼り付けて、庭を立ち去った。
「……」
ランは一人、庭に取り残されて俯く。
「そんなの言われなくてもわかってる……」
このまま側にいればきっと傷つく時がくる。それでも、ランはレクスの側を離れがたかった。
「ランさん……ランさん!」
「うわっ」
ぼんやりと庭に立っていたランは突然ロランドに後ろから話しかけられて飛び上がりそうになった。
「どうしたんです、ぼーっとして。こんなところに突っ立っていたら今度こそ風邪を引きますよ」
「ああ、すみません」
ランはロランドにそう言われて部屋の中に入った。
「ちょっと庭の落ち葉が気になって」
「そんなのはうんと元気な時にやればいいんです。今、温かいお茶を持って来ますから」
ランは上着を脱いで、しまうと部屋の小さなソファに腰掛けた。
「はい、お茶です。これを飲んだらベッドに行ってください」
「ええ……」
「でないとランさんはじっとしてないでしょう」
ランはロランドにそう言われてベッドに入らされた。
「大人しく本でも読んでいてください」
「はぁい」
ランはこれ以上うるさく言われないように返事をした。
「ちぇ……レクスもロランドさんも子供あつかいして」
ブツブツ言いながらランは本を広げ、大人しくしていることにした。
「調子はどうだ」
「なんともないよ」
外出から帰ってきたレクスはさっそくランの部屋に様子を見にきた。
「そうか? 顔が赤い気がする」
レクスはランの前髪をかき分けると、自分の額とランの額とをくっつけた。
「ちょっと!」
まるでキスをするかのような距離に、ランの声はうわずった。
「気のせいか」
「大丈夫だって言ってるのに」
「昔はこうしてくれたじゃないか」
「熱を出していたのはレクスだけどね」
「ああ」
ちょっと無理をするとすぐに熱をだす子供だったレクスの側で、ランはそうすれば熱がさがると思い込んで何度も額をくっつけたのだった。
「そうしたらレクスの熱がオレに半分移るんだって勘違いしてたんだよ」
「そうだったのか」
レクスはそれを聞いてくすっと笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして! 明日になったらちゃんと仕事に戻るから」
「うん、早く元気になってくれ」
レクスの手が、ランの髪をクシャクシャとかき回した。
「大丈夫だよ」
ランはそう答えた。なんにせよ、レクスにもロランドにも心配をかけた。
早く体調を戻していつもの日常に戻ろう。ランはそう思った。
だが……その日からランの熱はまた上がり下がりを繰り返すようになったのだった。
「はぁ……はぁ……」
体が熱い。熱を出してもう三日。医者は熱以外は特に症状はないと言ったが、ロランドはレクスにランの部屋に近づかないようにと言い渡した。
「……ぷは」
朦朧とした意識の中、ランは身を起こして水差しからコップに水を注いで飲み干した。
「オレ、どうしちゃったんだろう」
ランはさすがに弱気になってきた。
「医者はなんともないって言うけれど……」
その医者にも言ってないことがひとつある。ランの性別のことだ。
「まさか、な」
ランは首をふった。いままでだってこんなことは無かった。きっと何かの病気なのだ。
「うつるような病気じゃないといいんだけど」
それこそ、レクスや王城の人たちに迷惑をかけてしまう。ランはふうと重たいため息を吐いて眠りについた。
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