7話 側にいる

「ロランド! ロランド!」


 レクスの声がする。ランは拭き掃除の手を止めて、レクスの元に行った。


「なぁに、レクス。ロランドさんならお使いに出てるけど」

「ボタンがとれた」

「ああ、じゃあ貸して」


 ランはレクスのシャツを受け取って、取れかけのボタンを縫いはじめた。


「上手だな」

「こういうのは昔から得意なんだ」


 レクスは横に座ってランの手つきをじっとみている。


「さ、できた」

「ありがとう」


 レクスはそのシャツを受け取って、着替えはじめた。


「いいなぁ、レクスは」

「なんだ?」

「体も大きくて筋肉もついてる。オレはひょろひょろだから」

「そうか、どれどれ」


 レクスの手がランの脇に差し込まれる。


「わっ」

「確かに。ちゃんと食ってるか?」

「食べてるよ。っていうか毎日みてるだろ」


 猫の子のようにプランと持ちあげられてランは足をバタバタして暴れた。


「ははは」

「遊ぶなって!」


 レクスはそれを面白そうに見ている。ひとしきり振り回されて、ランはようやく地面に下ろして貰えた。


「まったく!」

「おお怖い。じゃあ俺は出かけてくるから」

「どこに」

「例のごとく見合いだ」

「そっか」


 ランはその言葉に少しだけ胸がちくりとした。


「ラン?」

「あ、えっと。いってらっしゃい」

「……ああ」


 レクスはブツブツ言いながら部屋を出て行った。一人きりになった部屋で、ランはソファに寄りかかった。


「どうしたんだろ」


 ランは先程の胸の痛みを思い出した。ランはオメガでもベータでもない。誰かと、ましてやレクスと番うなんでありえない。だから見合いに行くレクスを止める権利もない。


「……俺は出来損ないだもの」


 ランは大きくため息をつくと、中庭の掃除に向かった。



「花の手入れも教えて貰わないとなぁ」


 ランは散りかけの薔薇を見ながらそう呟いた。


「いいように考えろ。レクスの友達でいられるのは俺がこうだからだし」


 もくもくと落ち葉を集めていると頭が冷静になってくる。


「愚痴を聞けるのはオレだけだし、な」


 レクスがあの仏頂面の仮面を剥いで、たまに子供っぽく我が儘を言うのもランの前だけだ。そしてランはそんなレクスの側にいるのが好きだった。

 ランがようやっと気分を切り替えた、その時だった。


「ねぇ、君!」


 どこかで聞き覚えのある声がした。ランが振り返ると、そこにはアレンが立っていた。


「あ、えっとアレン……様」

「やあ」


 アレンはランがぺこりとお辞儀をすると軽く微笑んで近寄ってきた。


「こんにちは、いい天気だね」

「は、はい」

「君、名前は?」

「ランといいます」

「そうか、君が……」


 アレンは値踏みをするような顔をしてランを見つめた。ランはその視線になんだか居心地が悪くなる。


「あの、あんまり……」

「レクスの隠してるお気に入りは君のことだろう?」

「え?」

「違うのかい? 部屋につれこんでずっと放さないと聞いたんだが」

「いや、その……オレはレクスの『友人』です」

「ふーん?」


 アレンは首を傾げながらランをまた見つめた。


「まあいいや。レクスのことでなにかあったら私に言うといいよ」

「それってどういう……」

「私は可愛い子のお願いはつい聞いちゃうのさ。ははは」


 ランはアレンの軽い調子になんだか調子が崩れると思った。


「じゃあね。また会おう、子猫ちゃん」

「はぁ……」


 アレンはそんなランの様子など歯牙にもかけずににこにこと微笑みながら去って行った。


「一体、なんなんだ……?」


 ランは首を傾げた。

 ランのロランドの手伝いは存外楽しいものだった。なんでも気むずかしいレクスは自分の部屋にロランド以外を入れるのを拒否しているとかで前から人手は欲しかったと言う


「ランさんが居てくれて大分助かっています」

「そうですか、良かった」


 ランは一日中アイロンがけや、掃除、庭の手入れなどに明け暮れた。そして夜はレクスの話を聞く。


「ラン、ここは慣れたか」

「うん。ロランドさんから給金を貰ったけど、こんなにいいの?」

「正当な報酬だ」

「そう?」


 ランの貰った給金は城下の相場の倍くらいはありそうだった。ありがたいけど、貰いすぎではないかと思ってしまう。


「面倒くさい王族のお世話にはそれくらい貰っていい」

「レクスったら」


 ランは真顔でそんなことを言うレクスの頭を軽く叩いた。


「オレはレクスの身の回りの世話が面倒だなんて思わないよ」


 ランがそう言うと、レクスは顔をクシャクシャにして笑った。


「そうか。なぁ、毎日仕事じゃ退屈だろう? どこかに出かけないか」

「出かける?」

「ああ。王都の郊外に別邸があるんだ。ボートもあるし、馬もいる」

「へぇ、オレ馬好きだよ」


 ランは実家にいた頃はよく乗馬をしていた。つぶらな黒い瞳をした茶色い馬がランの愛馬だった。


「じゃあ決まりだ」


 こうして二人は翌日郊外にでかけることにした。


「あー、風が気持ち良いな。ちょっと郊外に出ただけでこんな所があるんだね」

「古くからの王族の保養地らしい」

「へぇ」


 緑溢れる郊外の町から少しいったところにその別邸はあった。馬車からランは身を乗り出すようにして、その景色を見渡す。


「オレたちの住んでいた田舎みたいだね」

「王都もちょっといけばこんなもんだ」


 しばらくすると、馬車はこじんまりとした屋敷についた。


「レクス様、ランさん着きましたよ」


 馬車を操っていたロランドがそう二人に声をかける。


「一番乗り!」

「おい、ラン待てって」


 はしゃいで馬車から飛び出すランの後ろをレクスが少し呆れたように追いかけてきた。


「日当たりもいいし、いいところだね」

「ああ、久し振りに来たけどな」


 ランはすっと深呼吸をした。土と緑の匂いが濃い。


「お二人とも、今お茶を淹れますから」

「あ、オレ手伝います。ロランドさん」


 後から荷物を持って追いかけてきたロランドが二人にそう声をかける。ランはハッとしてロランドの後を追った。


「なにもかもやらせてごめんなさい、ロランドさん」

「いえいえ、いつものことですから」


 厨房でお湯を沸かすロランドに、ランは頭を下げた。


「それよりレクス様が活動的になってくれて嬉しいです。これもランさんのおかげですね」

「へへへ、そうですかね」

「ええ。以前は別宅で余暇を過ごそうなんて言い出さなかったですから」




 ロランドは薄く微笑みながらお茶を用意する。


「はい、ではこれを持って行ってください。その間に荷物を部屋に入れておきます」

「ありがとうございます」


 ランはティーセットを持って居間に向かった。


「レクス、お茶だよ」

「ああ、ありがとう」


 ランとレクスはソファに座ってお茶を堪能した。ロランドの淹れてくれたお茶はとても香り高い。


「ロランドさん、お茶淹れるのも上手だなぁ」

「あいつはなんでもよく出来る。俺が子供の頃から家にいるんだ」

「そうなんだ」


 てっきりロランドは王城勤務だと思っていたが、レクスの家の者だったらしい。どうりでロランドには心を開いているはずだ、とランは納得した。


「じゃあロランドさんは可愛い可愛いレクスの子供時代を知ってるんだ」

「悪かったな、ごつくなってしまって」

「あははは。オレわからなかったもん」

「ランはすぐわかった。もう少し育て」


 レクスはクッキーをランの口にねじ込んだ。


「むぐ……あのねぇ、オレはレクスと同じ位食べてるんだけど……」

「背丈は仕方ないにしても肉がまったくつかないじゃないか」

「それは体質なんじゃない?」


 レクスは過保護すぎる、とランは思った。


「それより馬見せてよ」

「ああ」


 ランはどうにもならない体型の話題から話を逸らした。


「家の裏の馬小屋にいってみよう」

「うん」


 二人は連れだって馬小屋に向かった。


「うわぁ。綺麗……」


 そこには黒と白の馬が二頭いた。


「黒い方がアドルフ、白いのはゾフィというらしい」

「こんにちは」

「どっちもおとなしくて賢いってさ」


 ランが挨拶すると、白いゾフィという馬が顔を寄せてきた。


「かわいいね」

「ああ、乗ってみようか」


 レクスは馬丁を呼ぶと、アドルフとゾフィに鞍をつけさせた。


「よしよし、どーどー」

「ラン、こっちに行ってみよう」

「待って!」


 先にアドルフに跨がったレクスが巧みに手綱を操る。ランは慌ててゾフィに跨がった。


「はいっ」


 ランはゾフィに乗ってレクスを追いかけた。


「いい子だね。初対面なのに」

「そうだな」


 そのままゆっくりと屋敷の周りを一周してランとレクスは馬を下りた。


「明日は遠乗りに行こうか」

「いいね」


 馬を厩舎に戻して、空を見るともう日が陰りはじめていた。

 居間の暖炉が赤々と燃えている。その前に、夕食を終えたレクスとランはクッションを並べて寛いでいた。


「お二人とも、温かいショコラをご用意しました」

「わぁ、ありがとう」


 湯気の立つショコラを持ってロランドが現われた。ランはそのカップをうきうきと受け取る。


「あったかーい」

「この頃寒くなってきたな」

「うん、冬がもうすぐ来るしね」


 ランは窓辺に立って外をじっと見た。


「去年の冬は最悪だったな……うっかり風邪を拗らせて死にそうになった。ビィが看病してくれなかったらどうなっていたか」

「なんだって?」

「スラムの冬は厳しいんだ。……ビィたち大丈夫かな」


 ランの表情がふっと曇る。


「無事に年越しの祭りを過ごせるといいんだけど」

「あちらには少し援助をしよう」

「レ、レクス……?」

「ランが世話になったと年越しの資金と着替えと毛布をロランドに差し入れさせるよ」


 ランは少し驚いてレクスを見た。


「でも、本当にいいの?」

「施しは王族としては推奨される行為だ。気にするな」

「そっか……」


 ランはショコラのカップを両手に持って残りを啜った。


「……オレ、ここの給金が貯まったら店でも出そうかな」

「何の店だ?」

「それはわかんないけど。ビィやダンを雇って……みんなツテやきっかけが無いだけなんだ」


 ランの中でおぼろげながら未来の地図が描かれようとしていた。レクスはくるくると忙しいランの表情を見つめながら言った。


「そうか、その時は俺も手伝うよ」

「レクスは王族なのに?」

「王族でも、だ」

「そっか、ありがとう」


 ランは気が大きくなって大それたことを言ってしまった気がして、少し耳を赤らめた。


「じゃ、オレはそろそろ寝るね」

「まだ早くないか?」

「移動で疲れちゃったみたい! じゃあ!」


 恥ずかしくなったランはそそくさと寝室にひきあげることにした。


「あんまりレクスに甘えてばっかじゃ駄目だって」


 ベッドに飛び込んだランは頭から布団を被った。


「でも店はいいな。なんの店だか見当つかないけど」


 ランはレクスの側にずっといられるとは思って居なかった。レクスが伴侶を見つけたらランの居場所はなくなる。

 ランはその時に拠り所となる場所が欲しいと思った。


「レクスの伴侶……」


 そう呟くとじわっと胸に広がる微かな痛み。オメガでもない中途半端な自分にはいずれレクスの側を離れなければならない時がきっとくる。


「あぁ、暗くなる。寝よう」


 ランは枕を抱き寄せるとギュッと目を瞑った。



 一方、居間に残ったレクスは暖炉の火を見つめながら、ロランドに命じた。


「ロランド」

「はい、なんでしょうレクス様」

「酒を出してくれ」

「畏まりました」

「……少し飲みたい気分なんだ」

「さようですか」


 レクスはロランドから酒の入ったグラスを受け取り、ぐっとそれを飲み干した。強い酒精がレクスの喉を焼く。


「俺を残酷だと思うか? ロランド」

「私はレクス様のご命令に沿うまでです」

「……そうだな。お前はそういう奴だ」


 レクスはもう一杯グラスに酒を注ぐと今度は舐めるようにゆっくりと飲み始めた。

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