4話 王城
「ん……」
次にランが目覚めたのはソファの上だった。
「ここは……」
「俺の部屋だ」
「あんた……」
ランが身を起こすと、向かいの一人がけのソファに男が足を組んで座っていた。
「あんた、何なんだよ……憲兵にでもなんでも突き出せばいいじゃないか」
「お前はそれでいいのか? ラン・フアン……」
「なんで、名前……」
家名に関してはあの下町で名乗ったことがない。まして身分を証明するようなものなどはなから家から持ち出してもいない。
「わからないのか? 本当に?」
男はぐっと身を乗り出してランを見つめた。
「それでよく、俺を嫁にするとか言えたものだな」
「えっ」
ランは思わず振り返った。そんなことを言ったのは後にも先にも一人しかいない。
「……もしかして、レクス?」
「ああ」
ランは男をもう一度よく見た。白銀の髪、明るい若草のような緑の瞳……確かにレクスと一緒だ。一緒だけど……。
「育ちすぎだろ……」
自分の倍くらいあるんじゃ無いかというのは大袈裟にしても、目の前の男のしなやかな筋肉に覆われた体躯をみてランは思わず呟いた。ランの記憶の中のレクスは華奢で色白でか弱く守ってやりたい感じだったから。
「びっくりだ」
「俺も驚いた。ラン、あんなところでなにをしていた」
「それは……えーと」
どこまで話すべきか、ランは迷った。
「王都に出てきたけど、仕事がなくて……そのしかたなかったんだ」
「ふむ……しかしスリとは」
「そうしないと食っていけないんだよ!」
話しているうちにランは腹が立ってきた。
「お前はこんなふっかふかのソファのある豪華な部屋にいられていいよな! 何してるか知らんけど!」
「……なるほど。でもお前の家は一応貴族じゃなかったか」
「それは……そこにはいられなくて……」
「何故?」
レクスの緑の瞳がランを捉える。ランはその視線から思わず目を逸らした。
「言いたくない……」
「そうか」
レクスはそれ以上追求してくることは無かった。しかし、代わりにこう言った。
「でもあそこにランを戻す気はない。行くところが見つかるまでここにいろ」
「ここ……?」
「そう、この王城に」
その言葉にランは腰を抜かしそうになった。今、レクスはなんと言った? 王城? ランの頭にそこ言葉がグルグルと駆け巡る。
「王城……なのか、ここ……ってことは、えーっとレクスは?」
「俺はレクス・バルトシーク。王家の王位継承第三位の王族だ」
「ええ……?」
ランはそんなレクスに対して、困惑の声をあげるしかなかった。
***
「王族……って、お前そんなこと一言も……」
ランがレクスと知り合った時、レクスはただ田舎に療養に来ただけの子供だった。もし王族ならとっくに噂になっていたと思うし、ランが気軽に遊びになんて行けなかったと思う。
「……俺がここに連れて来られたのは十五の時だ」
「二年前……・」
「ああ。元々、祖父は王家の血筋だったけど、王位継承権を持つアルファが亡くなって俺に白羽の矢が立ったんだ」
「そっか……色々大変だったんだな」
ランはあっけに取られながら、レクスの話を聞いていた。
「ラン……会えてうれしい」
「え、あ……俺もだよ」
「そうか、良かった」
レクスの成長っぷりは予想外だったものの、ランはまさか会えると思っていなかった彼に会えたことは素直に嬉しかった。まあ、出会い方はさんざんなものだったが。
「あの、ごめんな。財布すろうとして」
「……ああ」
「でも、あんな所をそんな身なりでウロウロしていたら俺じゃなくてもだれかがやってたよ。一体何をしていたんだ。王族ともあろう者が」
「……気晴らしに散歩をしていたんだ」
「気晴らし?」
レクスの言葉にランは首を傾げる。王都の危険地帯を歩く事が気張らしだなんて相当変わってる。
「散歩なら公園とかに行けよ」
「はは……そうだな、今度からそうするよ。さて、腹は減ってないか? 食事にしよう」
「へ、減ってる……!」
食事と聞いて、ランは胃がぐうと鳴るのを抑えられなかった。昨日のあがりは銅貨二枚。パンをひとつやっと買えるくらいしかなかった。
「では、まず風呂に入っておいで。その間にここに運ばせるから」
「あ、うん」
そこでランは初めて自分の格好がどんなだかに気が付いた。垢じみたシャツ。風呂は三日前に入ったきり。ランは慌てて高級そうなソファから立ち上がった。
「あ、汚くて……ごめん」
「気にするな。さあ、浴室はあっちだ」
「うん……」
ランは案内された浴室でこれでもか、というくらい石鹸を泡立てて体を磨いた。
「ふう……」
そして見た事のないくらい大きなバスタブに体を沈める。
「レクス……か……」
まさか王族に迎え入れられていたとは思わなかった。ソファのある部屋以外にも続きの部屋がある広い部屋、そしてこの浴室。
「はぁ……天と地……だな」
ランはふっとため息をついて体を拭いた。痩せて小さい自分の体が嫌でも目に入る。
「……くそ」
ランは用意されていた着替えに袖を通す。それもやっぱりランには随分大きかった。
***
袖をまくって、腰紐をウンと引っ張ってなんとか着替えたランは、手招きするレクスについてドアをくぐった。
「こ……これ……食べていいのか?」
目の前にあらわれたご馳走を見て、ランはごくりとつばを飲み込んだ。
「ああ」
パンにサラダにスープにステーキ、海老のグリル、鮭のムースに鶏ときのこのパスタ。食べきれないほどの豪勢な食事がテーブルに並んでいた。
盛り付けもどれも芸術品のように綺麗で、ランは王都に来る前だってこんなのは食べたことがなかった。
「う……美味しい」
「そうか、良かった」
行儀なんて無視してステーキにかぶりついたランは思わず唸った。柔らかく上質な牛肉の滋味が口内を駆け巡っていく。
その様を見て、レクスは満足そうに頷くと、自分も一緒に食事を取りはじめた。
「ああ……美味しかった。もう無理……」
ランは結局ありあまるご馳走を食べきれなかった。パンパンに張ったお腹を抱えて、ランはテーブルに寄りかかった。
「まだチーズとデザートもあるぞ」
「いや……入らないって……後で持って帰ってもいい?」
こんな美味しいもの、独り占めはもったいない。きっと心配しているだろうし、ビィにも食べさせてやりたい。
そう思って言ったのだが、その途端レクスの顔色が変わった。
「……帰るつもりなのか? あんなところに?」
その言い方にランは少しカチンときた。
「あんなところでも俺の居場所はあそこなんだよ」
汚くて治安も最悪でその日暮らしでも、王都でランを受け入れてくれたのはあそこだけだった。皆、なにかしら過去があるから詮索もしないし、それなりに居心地は良かったのだ。
「……すまん」
ランの言葉にレクスは俯いてしまった。少しキツく言い過ぎてしまったかもしれない。
「いや……その、他に行き場所もないしさ」
ランはそう付け足した。すると、レクスは顔をあげてこう言った。
「それなら、ここに居ればいい」
「……王城に? さっきから、なんで俺が王城にいなきゃいけないんだよ」
「……そうだよな」
レクスはまたしょんぼりしてしまった。忙しいやつだな、とランは思いつつ、そうしていると子供の時の面影を感じる。
「レクス、どうしたんだ。なんで俺にここに居て欲しいんだ。訳があるんだろ?」
「……それは、心配だし」
そう答えたレクスをランはじっと見つめた。
「そんな答えじゃ、俺は納得しないぞ」
「……しょうがないな……」
ランの視線を受けて、レクスは立ち上がった。
「場所を移そう」
そう言って、レクスは居間に食後のお茶を用意させた。
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