第29話 新世界へのプロローグ 1

 ファンデルが発生する前の惑星ムテル。陸地の大半は長年の戦争により砂漠化している。だがそれは結果的に、アンテにとってより過ごしやすい環境を整えるのには好都合であった。病を生む病原菌や微生物の発生を極力抑えるため、生物の数も、戦いの中で抑制されてきた。

 生物だけではない。この星の活動も制御されつつある。

 気候、地殻変動、海面変動、海流、星の活動全てだ。

 そして、長い戦争によってアリーチェ帝国がすべての力を握ると、文明を持つ数千万のアンテは帝都ペクトゥスに集まった。

 完全に安定した世界。帝都ペクトゥスの巨大なドーム群が竣工した年を、デフィクス歴元年と定め、アンテたちは恒星フィクスムを始めとしたあらゆる自然の恩恵を必要としない、マシナによる安定した環境で生活を始めた。

 砂漠に適応した一部を除いた生物は、砂漠化したアリーチェ大陸を避け、ディゾラ海を挟んだもうひとつの大陸へと移った。

 翼を持つ者は空を、持たぬ者は海を渡ったが、弱い生物はディゾラ海へと沈んだ。

 ほとんどの種は死に絶え、生態系はひどく単純なものになり、多くの生物は穢れの少ないシェニムで繁栄していた。

 デフィクス歴三年になるとマシナは生活のための機械だけではなく、アンテの欲望を満たすための道具ともされた。

 マシナ同士の戦いは厳格な決定事項の元で行われ、各マシナの作り手は自身のマシナの性能を極秘にしていた。

 闘いのマシナは、闘いのマシナにしか干渉しない。アンテに対してはもちろんアンテが生きるために造られたマシナ、例えば環境制御のマシナとも繋がることは禁じられていた。

 マシナ同士による闘いの日々の始まりだ。

 デフィクス歴三年から九年は、さほど広くないドームに建設された闘技場で一対一の闘いが行われていた。だがデフィクス歴十年を記念した闘いで、ドームの外全体、つまりはこのムテル全体が戦場になり、闘いも一対一ではなくなった。

 それからだ。マシナの進化が爆発的に早まった。

 帝都ペクトゥスのドーム内にあるマシナに悪影響を及ぼさないよう、マシナは全て自律式だった。帝都内からの制御を可能にすると、逆に帝都内のマシナに繋がれる恐れがあったからだ。だが、その決定事項が大きな間違いだった。アンテにとってという意味でではあるが。

 デフィクス歴十二年。マシナが闘いの舞台をムテル全域に広げて僅か二年だ。

 地獄。

 そうとしか表現のしようがない惨状であった。

 ファンデルの出現と共に、帝都の外に存在する全てのマシナがアンテに対して反乱を起こした。

 アンテ同士で戦争をしていた時代とは比べ物にならない、最も強力で最も危険なマシナたちだ。

 アリーチェ帝国の帝都ペクトゥスを囲う強固で巨大なドーム群は、僅か半日で崩壊した。

 アンテによるムテル征服の終焉である。


 ファンデルが生まれて、僅か三日で帝都からアンテの姿は完全に消えた。

 それだけファンデルが強力であったともいえるが、アンテもまた用意周到であった。

 アンテ同士で争っていた時代、アリーチェ帝国の帝都ペクトゥスの地下には巨大な船がシェルターとして建造されていた。

 特にアリーチェ帝国の最大の敵国だったフィリヘイトナ連邦は、侵略後の生活よりもまずは敵国の徹底的な破壊を目指していた。帝都のシェルターはその連邦からの攻撃に備えた設備だった。

 当時の戦争の結果としては、アリーチェ帝国が攻撃されるより前に連邦の武器製造工場を破壊し、穢れによる連邦の自滅に追い込んだ。

 戦争の終結により直接的な危機は去ったが、万が一に備え船の整備は定期的に行っていた。それが功を奏したのである。

「何人が生き残った?」

 そう聞いた男は、王でも重臣でもない。ただの技術者だ。

「多くて一万、少なくて三千。まず助からぬものは空へ捨てろと進言されています」

 答えた男もまた、技術者だ。捨てろと言ったのは医者らしい。怖いのは怪我から広がる感染症だと言っているそうだ。だがその意見を正義と決定する立場の者は生き残ったアンテの中には存在しない。

 おおよそまつりごとを行う者たちは、真っ先にマシナの標的となっていた。ファンデルが計算したアンテの弱点だ。そしてその戦術は正しかった。

 結局五日を過ぎて船に生き残ったのは、少なく見積もった三千人をさらに下回った二千八百人だった。

 生き残ったといってもこの先も生き続けられるかは分からない。惑星に足を付けたドームでの生活と、空に浮かんだ船での生活とでは根本的に違う。

 そして空に逃れることもできず、地に残されたものはことごとくがマシナに殲滅された。

 だがその中でも、ほんの一握りはアンテとして辛うじて地にその足跡を残すこととなる。

 ペクトゥスでマシナの作り手だった数人が自らの意識をマシナに潜り込ませ、複数の元素の揺らぎの中で自己を維持する仕組みを作った。

 後に精霊と呼ばれることになる存在だ。

 彼らは空からアンテが帰る日が来ることを信じ、マシナの脅威から逃げてマシナの少ないフィリヘイトナへと向かった。

「やはり精神と肉体を分けた方がよろしいのではないでしょうか?」

 船に残された食料や水は多くない。帝都の崩壊で多くの環境制御マシナも修復が難しい状態だ。

 ムテルに残ったアンテがそうしたように、精神のみならなんとか最小限のエネルギーで存続させることができる。だが果たして肉体抜きに、アンテとして生きていることになるだろうか。数少なく残った技術者たちはため息ばかりの結論の出ない議論をした。

「まずは議会を作ろう。幸いに生き残りは三千もいない。議会を作るのも容易たやすかろう」

 船に生き残った一番の技術者がそう提案した。そして、それに反対する者もいなかった。

 だが予想に反して、議会発足には多くの時間を要した。政治に明るいものが居ないのだ。多くが技術者であり、家庭を守る者であり、子供であった。そしてなにより、ならず者が多く残っていた。

「今からでも遅くねえ! マシナなんぞぶち壊しに降りようぜ!」

「そうだ! そうだ!」

 大人の男の多くは、その声に拳を振り上げた。

「他の国の連中だって戦っているはずだ!」

 そう言って息巻いている大人たちも、技術者も、まずはリーダーを決めるべきだという認識は一致した。そして、当時の生き残りの最年少は四歳だったが、その子供を含めた全員がリーダーを決める投票を行うことにした。

 そしてそのリーダーを決めるという前日、交戦派の大人たちは地上からの通信に消沈した。既に精神を分離した精霊からの通信だ。

「完全にアンテは滅亡した。もう地上にはフィクスムの光さえ僅かしか届いていない」

 船がムテルから旅立って、十日目の朝だった。

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