第26話 エスと新たな脅威 9

 命尽きて時間の経った白装束の女と、返事のないエス。当初の予定とは全く違う展開に呆然としていたイーツのルクイトールがミディエの嗚咽を伝えた。

「ミディエ、無事なのか?」

 イーツの問いかけにも、ミディエはしばらく泣き続けるだけだった。

「ミディエ、聞こえているか? シェニムには到着しているのだな? 他の二人とサンクテクォはどうしている?」

 話しながらイーツを先頭に三人の脚は外へと向かっている。明らかに今は語りかけに応えないエスの前にいるよりも、シェニムへ向かったほうが良い。

「陛下、皆が。スタークも、ヴェールも、聖獣たちも」

 イーツはその声を聴いて即座に洞窟の中であるにもかかわらず身体を浮かし、速度を上げていた。姉弟も慌てて追いかけるが、イーツが振り返り声をかけた。

「お前たちはもうしばらくここにいるのだ! 倒れている女もそのまま置いておけまい! 議長にここへ来るように伝える」

「分かりました! クウォンテ、もう少しエスに話しかけてみましょう」

「うん、そうだね」

 幼い弟は、留まることにホッとしたものの、エスの前に倒れる白装束の女にも不気味さを感じていた。

 イーツも女の正体が気になりつつも、飛びながらミディエが落ち着くのを待った。

「スタークたちはやられたのだな? 相手はファンデルか?」

「分からない。分からないけど、いや、いやだ。今、サンティも、倒れた」

 その直後、ミディエのルクイトールを介して聞こえた誰のものとも知れない悲しい叫びが、イーツの胸を震わせた。

「ミディエ、今のは誰の叫び声だ?」

 イーツには全く聞き覚えのない声だった。

「多分ファンデル。ファンデルが乗り移ったサンクテクォの幼体の声だと思う。でも、もう動いていないみたい」

 ミディエは、崩れ続けている左腕を押さえながら、ゆっくりと風穴の方へ近づいていった。

「ああ、腕が」

 ミディエの苦痛の声が漏れる。

「ミディエ、そなたの傷は自分では治せぬのか?」

 イーツからそう言われるまで、ミディエは自分の傷を治すことに全く意識が向いていなかった。それ以上に凄惨なものを見たせいだ。

「分かりませんが、できると思います」

 ミディエは革袋を漁った。もうコムーニャのフォッシリアも残り少ない。ヴェールの肩を治したときはいくつのフォッシリアを使っただろうか。それもよく覚えていない。七つか、いや、十以上か。

 革袋の中にはフォッシリアが十はある。自分の腕一本なら充分であろうとミディエは推測した。試しに四つほど元素に戻し、腕の血を吸わせた。

「あ、熱いっ。これじゃ、ヴェールも驚くよね」

 動かなくなったヴェールの亡骸を思い出し、再び涙が流れる。悔しさに強く噛みしめすぎた唇からは血が滲んでいる。

「酷い顔、しているんだろうな」

 身体も心もボロボロの状態だったが、ミディエの腕は僅かに元素を残し元の形に戻った。

 立ち止まり、その場に膝をつき、できたばかりの左手で大地を殴りつけた。痛みが伝わる。同時に自分だけ生きている悔しさが頭を破裂させそうになる。

「ミディエ、どうだ? 今急いで向かっておるが」

 ルクイトールから聞こえるイーツの声が、ミディエの正気をかろうじて保たせていた。

「腕は治りました」

 そう答えたミディエだったが、ただイーツの到着を待つ気分ではなかった。両手の拳を握り締め、脚の回転を速める。数日前に眠った先代のサンクテクォの亡骸の横を通り過ぎ、サンティと幼体のサンクテクォが共に倒れている場所へと急いだ。

「そんな、酷いっ!」

 サンティの両目は失われ、後頭部には穴が開き、今なお血が流れ出ていた。ミディエは胸の部分に耳を当ててみたが、もう既に生命の機能は停止している。

 一方で、幼体はただ眠っているだけだった。見た目では黒い靄を発していること以外、幼体だった頃のサンティと見分けがつかない。

 ほんの数日前まで、組合の外でいつも遊んでいたサンティ。それがまさかこんなことになるとは。

 両手のひらの上に乗るほどの大きさのサンクテクォの幼体。この幼体が皆を殺したのだろうか。

 ミディエは、革袋の中からひとつのフォッシリアを取り出した。

「ファーブレネン」

 そう唱えると、ミディエの足元に火柱が立ち上がった。そのまま幼体に意識を向ける。すると、少しずつ火柱は獲物を求めるように動き出した。

「ご、ごめんな、さい」

 不意に聞こえた言葉に、ミディエの心は乱れ、ファーブレネンのフォッシリアとの繋がりが途絶えた。火柱はその場の草を燃やし尽くすと小さくなって消えた。

「今、あなたが言ったの?」

 ミディエが幼体に向かって怒りを込めた声で聞いた。

「ごめんね、ミディエ。こんなつもりじゃなかったんだ」

 名を呼ばれ、ミディエは一瞬たじろいだ。その声も、喋り方も懐かしい。

 そして、その声はイーツにも届いていた。

「ミディエ、誰だ? 誰と話しておる?」

 ミディエはその問いに答えることができなかった。ミディエ自身、誰と話しているのかまだ理解できていない。

「ミディエ、本当にごめん。いつも悪い結果になってしまって。でも、まだきっと間に合うから」

「間に合う? 一体何が間に合うって言うの?」

 ミディエは厳しい口調で黒い靄を纏うサンクテクォの幼体、あるいはファンデルに問いただした。だがサンティの口調で話すサンクテクォの幼体は、ミディエの問いに答えることなくまた眠ってしまった。

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