第17話 ファンデルとアンテ 9

 スタークたちが通されたのは三十人ほどが入れる客間だったが、王宮の中にある客間の中でもおそらく一番狭い部屋であろう。そこにある円卓をサンティも含めて全員が囲んだ。軽い食事と飲み物も円卓の上にある。

 敷物と壁は柔らかな毛皮のようなもので覆われているが、派手な装飾は全くない。暖炉の石はよく磨かれていてそれ自体は美しいものの、やはり飾り気はなかった。それもおそらくは王の好みなのだろう。王自身も襟の高い正装ではあるが、ヴァーブラの一般的な貴族と変わりない。

「さて、では話を聞くか」

 ヴァーブラ公国ではザックワーズ公の側近はその場にいたが、このシンヌイ宮殿では、王の合図で王以外の者全てが外に出された。

 最後の給仕が部屋を出ると、王が再び口を開いた。

「吾輩がブロアヒンメルで国王をしている理由は後で語るとして、まずは名乗らねばなるまい。吾輩はイッツァーテ・ヴォルフォード。イーツと呼んでくれて構わん」

 イーツは自身に歳が近いからかヴェールに向かって話したが、返す言葉はヴェールの息子、スタークから紡がれた。

「私はバルバリの王、スターク=ヴィン・オーリンゲン。これから陛下には数万年分の話を聞いていただかなくてはなりません。とはいえ、それほど長くはならぬようにしますが」

 イーツはまずスタークの口から「バルバリの王」と名乗られたことに眉間に皴を寄せ、その皴を話が進むごとに深くしていった。

 アンテ同士の戦い。マシナを使った戦争。アリーチェ帝国。マシナ同士の戦い。ファンデルの発生。アンテの滅亡。スキアボスと、ノス・クオッド。エス。八つのオルビス。バルバリの民。フォッシリア。ノヴィネス。シェニムの巫女。バシリアス。組合の消滅。ミディエによる新たな検石主の力。聖獣に訪れた異変。

「そして、つい先ほどのことだが、もう一体のサンクテクォは永遠の眠りについた」

 最後にそうサンティが言うと、その場にいた四人共が驚愕した。

「サンティ、それじゃあファンデルはどうするの?」

 サンティの隣に座るミディエが、椅子から立ち上がり聞いた。

「さっきは大丈夫だって、先代がいれば大丈夫だって言ってたけど、いなくなったらどうなるのよ?」

「幼体がどこまで受け取ったかによる。が、当然寿命は分かっていたはずだし、幼体が成体と共に過ごした時間も通常より遥かに長い。幼体だけでも問題ないだろう。ユーランとフィルも向かっているし、大丈夫だ」

 独り言のようにそういったサンティの表情は、悲しみも怒りもない、ただただ虚しさを見ているようだった。

「じゃあ、ファンデルは封じられるってこと?」

 ミディエがサンティの様子を窺いながら聞いた。

「ああ。今は器を纏っていない、弱り切ったファンデルの姿だからな。その方法は私でも知っている。だが、不思議だ」

 虚空を見つめるサンティに、ミディエはどうしようもなく哀しくなった。

「不思議って、何が?」

「うむ、不思議なことに、ファンデルからはよこしまな気がまるで伝わってこない。器を失い弱っているからなのかもしれぬが、まるで殺気がない。それよりも、違うことで胸騒ぎがするのだ。ファンデル以外にも何か良くないことが起きているような気がする」

「ファンデル以外に? それって一体何が」

 隣の席で首を捻るミディエに、イーツは事も無げに自身の考えを述べた。あたかもそれが答えであると分かり切っているかのように。

「我々の敵というのならアンテではないのか? なんといっても、我々はファンデルの分身だ。オルビスに繋がっていようが、なかろうが。そうだろう?」

 つい今しがたまで自らの口で説明していたスタークも、その事実に簡単に頷きたくなかった。確かにファンデルが自分たちの祖先を作った。だがそのファンデルはバシリアスの身体を使い、ピートを操り、自分たちを襲った。バルバリの国で虐殺を行った。その事実が、血の匂いが頭から離れない。それに今もサンクテクォの幼体の身体を狙っている。

「アンテの時間稼ぎ」

 ミディエがバシリアスの家で見た本の書き込みを思い出した。

「その意味が分かれば、もしかしたら本当のファンデルの使命が分かるかもしれない。」

「バシリアスは一体何をしようとしていたのか。今となれば最初に対峙した時のことが悔やまれるな」

 懐からバシリアスの書き込みを記した本の切れ端を取り出して見ているスタークの呟きを最後に、しばらく沈黙が流れた。

 この間、ほとんど口を開かなかったヴェールは、イーツがどういう人物か見定めていた。

 ヴェールの目に、イーツはブロアヒンメルのザックワーズ公と比べ、君主として随分と肝の据わった男のように感じられた。それだけではなく、この世界の一万年以上にわたる話を、スタークの口からたった一度耳にしただけで全て正確に理解していた。

 さすがオルビスに繋がる者と言ったところだろう。ヴェールはそう思うと同時に、年老いた剣士である自分に何ができるのかも思案していた。

 ファンデルの動きだけでなく、聖獣たちの動きも不確定だ。サンティは心配ないと言ってはいるが、胸騒ぎがするとも言っていた。

 そもそもファンデルがバシリアスから抜け出た経緯が分からない。ファンデルの意志か、バシリアスの意志か、その時が来たからなのか。

 バシリアスの家にあった絵の数々と「アンテの時間稼ぎ」という言葉。時間稼ぎしているというアンテは、はるか昔に滅んでいるのではないのか? もしもアンテがバシリアスもそうであったように復活の時を待っていたとして、その時が近づいているのだとすれば、バシリアスはアンテ復活のためにファンデルを目覚めさせたとは考えられないか?

 ヴェールはそこまで考えて、自分が推測したところで何も事態は変わらないと思考を巡らせることを止めた。幸いにもイーツがその辺のことは得意そうだ。風の剣を使うしか能のない年寄りは黙って剣だけ振るとしよう。そう割り切ったヴェールは、再び剣を使う道を開いてくれたミディエと目が合い、微笑んだ。

「ちょっと、ヴェーちゃん聞いてるの?」

「聞いとるよ。聞いとるが、儂には剣を扱うことしかできん。ミディエに肩を治してもらうまでは酒を飲むことしかできんかったが。何れにせよ、難しい話はスタークと国王陛下に任せるよ」

 そう言ったヴェールに、イーツは声を上げて笑った。そして、その笑いを止めると、帯で額に巻き付けてあるオルビスに触れた。

 するとイーツの姿が一瞬で変化した。

「先生にはまだまだやってもらわないと」

 姿同様に若くなった声でイーツが言うと、ヴェールは目を見開いて立ち上がりイーツを指さした。

「イーツとは、あの泣き虫のイーツか!」

 イーツは予想よりも驚いているヴェールに笑いを堪えながらお辞儀をした。

「ご無沙汰しております、オーリンゲン先生。でも、泣き虫だなんて酷い。誰でも風を纏った指で額を弾かれれば涙を流しますよ」

 イーツは、ヴェールがバルバリの国で子供たちに剣術を教えていた頃の、教え子の一人だった。

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