第16話 ファンデルとアンテ 8

 支配のオルビスは淡い光を帯びてシェニムの風穴へと向かって飛翔している。オルビスと知らねば、はぐれた精霊の一部か、真冬に見かける氷虫の光に見えたかもしれない。それほどにゆっくりとした、不安定な動きだ。

 そのオルビスが来るのを、ただじっと待つ者がいた。先代のサンクテクォだ。

 二年前に倒されたシェニムの大樹跡を正面に見据え、風穴を背にその入り口に立つ。

 風穴の奥には、単為発生による二体目の分身が、オルビスの、いや、ファンデルの到着を待っている。

 人と同じく声帯を使った発声による意思疎通を教えられていない先代と、その先代から新たに発生した幼体は、サンティと呼ばれる個体と違い、思念によっての意思疎通を基本とする。

 声と思念。そのふたつにはいくつかの違いがある。意思疎通の手段として使う場合の最大の違いは、距離による制限の有無だ。

 ファンデルが幼体を器にすべくシェニムの風穴へ向かっているとサンクテクォが知ったのは、ユーランが伝えようとして伝わったわけではない。強くユーランの意識がシェニムの風穴と、サンクテクォの幼体に向いたことで、自然と伝わってきたことだ。

 ここでの幼体の役割はファンデルをおびき寄せるための餌だ。その餌としての役割を全うさせるために、先代はやらねばならないことがあった。

 それも充分な時間の余裕をもって成し遂げられるはずだ。ユーランたちも、じきに帰ってくるはず。

 その時を待つだけ。

 その状態になると、時が経つのが遅くなる。無論感覚的な問題だが、同時に疲れも呼ぶ。先代は自分の寿命が近いと感じていた。

 スキアボスたちに眠らされ、その直前と目覚めた直後。あわせて二体の幼体を発生させた。これまでの通常時ならば、聖獣は幼体を発生させて数日でその命を閉じる。

 先代のサンクテクォは大きく息を吐いた。

 聖獣たちはこの世界の象徴として扱われている。

 その聖獣に大きな変化が起こっている。この世界にも間違いなく変化の時が訪れているのだ。

 そして、今その変化は加速しようとしていた。


 ミディエたちがファンデルの行動を気にする中、ブロアヒンメルの王都への扉が再び開いた。

「ヴァーブラより聖獣を連れ、吾輩に会いに来たものが居ると聞いたが。やはりそういうことか」

 ひとりの男が扉の向こうでそう述べると、門にいた衛兵たちが同時に膝をつき、頭を下げた。

 門より出てきたのは、右耳にオルビスを付けたバルバリの民だった。年齢はヴェールと同じか、やや年上に見える。

 確かに衛兵は「王と古くから仕える者以降、新たに宮殿に人は入っていない」と言っていた。つまり、現在のブロアヒンメルの王こそ、変化のオルビスに繋がるバルバリの民だったのだ。

 宮殿に目当ての人物を捜しに入っていた衛兵が、王に対して来客を一人ずつ紹介した。

 ブロアヒンメルの王がスタークの名を聞いたときに、全く反応がなかったところを見ると、スタークがバルバリの王となる前に下界に降りてきていたのだろう。それでも、スタークを含め三人がバルバリの民だとは見抜いている。

「これだけ集まっているということは、書状で短く記していたことより何か良からぬことが起こっているのであろうな」

 その問いに対して答えたわけではなかろうが、サンティが空に向かって小さく唸った。

「先代が随分と弱ってきたようだ」

 話には聞いていただろうが、実際に人間の言葉をしゃべるサンクテクォに、王は少なからず驚いている様子だ。

「門前で話すようなことではなさそうだ。宮殿に参られよ。衛兵たちは門を閉め、外からの者は通すな」

 王がそう衛兵に命じたのを見て、ミディエが「少しお時間をください」と衛兵のひとりに駆け寄った。

「ヴェール様、お願い致します」

 王の手前、ヴェールに礼を尽くした言葉で頭を下げると、ミディエはルクイトールのフォッシリアをひとつ衛兵の耳の下で構えた。

「ルクイトールのフォッシリアを差し上げます。もし、我々を追ってきたという者が参りましたら教えてください」

 要領を得ず話を聞いていた衛兵だったが、その話が終わるころにはルクイトールは衛兵の血を吸い、彼と繋がるようになった。ヴェールに耳を切られたことさえ気づいていない。

「は、はあ。かしこまりました」

 ミディエが衛兵にちょこんと頭を下げ門の中に入ると、門は静かに閉じた。

 フィクスムは既に沈んでいる。スタークはひとまず宿に困ることはなさそうだと胸を撫で下ろし、サンティが先ほど呟いたひと言を思い出していた。

「サンクテクォ、先代が弱ってきたと言っていたが、大丈夫なのか?」

 サンティは肩に誰も乗せることなく、人の歩みに合わせゆっくりと長い脚を動かしている。

「大丈夫だ。慌てたところでどうしようもない。ブロアヒンメルの王にも、ゆっくりと耳にしてほしい話でもある」

「そうか。ならいい」

 スタークはあっさり引き下がった。

 人ほどには表情の変化を見せないサンティだ。それでもある程度付き合っていれば、何か思慮していることはスタークにでも分かるようになっていた。

 サンティとの付き合いが長いミディエも「サンクテクォが三体存在している」と語ったことといい、今の様子といい、心配には違いないがそれでもやはり聖獣だ。ノス・クオッドやアンテより、この世界の中心に存在している。それがゆえに行く末も案じているのだろうが、人間たちとは寿命も違えば世界とのかかわり方も違う。ミディエとはいえ、まだサンティのすべてを理解できてはいない。

 ファンデルともう一体のサンクテクォとの間に何が起きたのか。

 サンティの表情から微かに怒りが漏れているのを読み取ったミディエの胸には、サンティが「大丈夫だ」と言ったとはいえ、不安が広がっていた。

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