第9話 ファンデルとアンテ 1
誰も住んでいない。ひと目見てそうと分かる佇まいだ。
バシリアスが住んでいたという家は、ザックワーズ公の実子の住まいとは思えないほどに小さく、周囲の商家と同じ程度の構えでしかない。ただ、他の家と比べて造りは古い。その古さは、由緒ある歴史を感じさせる古さだ。
「空き家ってわけじゃなくて、留守にしてるってだけだよね。今更だけど、勝手に入っていいものなの?」
周囲の目を気にもせず敷地の中へ堂々と入っていくヴェールとスタークを見て、ミディエは少ししり込みしている。
「知らぬ仲でもない。遊びに来たとでも思えば良いだろう」
「スタークは昔からこんな感じなの?」
無責任な物言いのスタークに嘆息して、ミディエはヴェールに尋ねた。
「こんな感じかと問われれば、そうだと答えるしかないだろうな」
扉の鍵の部分を剣で壊しながら笑顔でそう答えるヴェールに対し、スタークの表情は厳しいままだ。今度はそのスタークにミディエが口を開いた。
「ヴェールは? ずっとあんないい加減な感じ?」
「いい加減かと問われれば、かなりいい加減だと答える。さあ、無駄話はこの辺でいいだろう。ユーランがバシリアスの居る精霊の高地に向かったとなれば、まだ何が起こるか」
無遠慮に家の中に入っていた二人を追って、ミディエもバシリアスの家に入った。
「スタークとヴェールの中間ぐらいが丁度いいのにな」
ミディエは先に入った二人に聞こえるように言ったが、何も反応は返ってこない。
先にバシリアスの家に入った二人は、その室内の雑然とした光景に言葉を失っていた。何から見たらいいのか分からないといった様子だ。
バシリアスがこの家で暮らしていたのは二年前までのはずだ。だがそこは、ついさっきまでバシリアスがいたかのような空気が漂っていた。あるいは、誰か家の中にいるのではないかとさえ感じさせる。
壁一面には地図や様々な絵が貼られ、机と呼ぶには大きな台の上には、様々な書物が積まれていて、中には開いたまま伏せられているものもある。その光景に異様さを感じるのは、家の中のどこにも書架がないからだろう。一体どこから持ち出した書物なのか。
ヴェールが伏せてある本を一冊手に取って中を流し見た。
「これは、バルバリの本だな」
ヴェールは一旦その本を戻し、他の本にも目を通した。
「全部ではないが、ほとんどがバルバリのものだ。誰がこんなものを」
「バシリアスがひとりで集めたものじゃないだろう。それほどの時間はあるはずもない」
スタークも台の上に無造作に積まれた書物の数々を眺めていた。
「ねえ、ちょっとこれ見て」
壁に貼られた紙を見ていたミディエが、その中の一枚を指してスタークを呼んだ。
「これはなんだ?」
ミディエが見ていた壁には、大小様々の絵が数十枚貼られている。その中で、ミディエが指していた一枚をスタークが壁から剥がし、手に取って裏面も含めてじっくりと確かめた。裏には大きく「FOUNDER」と書かれている。
「どこの国の言葉だ? 作者の名、というわけではないだろうな。こんな裏側に書くはずはない」
ミディエがスタークの横から手を伸ばしてその文字をなぞった。
「これって『ファンデル』って書いているみたい」
ミディエが口に出した「ファンデル」という言葉を耳にし、書物をあさっていたヴェールも絵を持つスタークの横に立った。
「これが、ファンデルだと?」
ヴェールは自分がそう口にした直後、胸の中が奇妙な感情で満たされていくのを感じていた。ファンデルを描いたと思われるその絵を見て、なぜ喜びや恐怖、悲しみや怒りといった、ありとあらゆる感情に包まれるのか。
「複数のマシナに生まれた思念。それらによって創り出されたファンデル。もう少し無機質な姿を想像していたが」
絵を持って眺めているスタークも、ヴェールと同じような感情に支配されているのか、いつになく複雑な表情をしている。ミディエも同様だ。
「マシナって、私たちが思っている
「それは想像できんな。コピーとはいえ、その力のみをこの小さなオルビスに写したものだろう」
スタークは一旦ミディエを見ていた目を、もう一度手に持った絵を観察する仕事に戻した。
「これがアンテを滅ぼす力を持っていたファンデル。だが、これでは大きさも分からんな」
絵には真上から見たと思われるファンデルの姿のみ描かれている。ひとつの大きな頭に腕なのか脚なのか、描かれているだけで八本。口にはジェイド湖に棲む水生生物の顎のようなものが一対付いている。胴体と呼ばれる部分はないように見える。
「まるで化け物だな」
スタークは自らそう口にした直後、頭を押さえて呻きだした。
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