第8話 ミディエと検石主の力 8

 朝のヴァーブラの街には、夜とは違った声が響く。夜明けに収穫した野菜や果物が通りに並ぶ様子は、宿の窓から見ると色鮮やかだ。その色鮮やかな道を目で辿っていたミディエが、窓から身を乗り出して空を見上げた。

「さっき通りを大きな影が通った気がしたけど」

 ミディエはひとり呟きながら、フィクスムの位置を確認し、ミディエは影の進んだ方向からフィクスムに向かって視線を動かした。

「あれは、フィル。ユーランを乗せている?」

 翼の大きな成体のフィルは見間違いようがないが、幼体の白い毛玉のようなユーランが乗っているのかはミディエにも確信が持てなかった。

 ミディエから見て右奥の方角へ向かって飛んでいくフィルを、その姿が地平線の向こうに消えるまでミディエは眺めていた。

「あっちの方角は」

 ミディエは寝起きで回転が遅い頭を自分の手で何度か叩いて考えを巡らせた。

 彼ら聖獣が復讐したいのはバシリアスではなくファンデル。

 ファンデルが八つのコピーであるオルビスを集めるのを待っていると言っていた。

 今フィルが飛んで行った方角には、バシリアスが足止めされている精霊の高地と呼ばれるディシビア、さらにその先は穢れが残る地フィリヘイトナがある。今二体の聖獣がその最果ての地へ向かうのは不自然だとミディエは違和感を持った。

「ミディエ、起きているか?」

 スタークの声に、ミディエが「起きてるよ」と言いながら扉を開けたが、スタークと共に扉の向こうに立っていたヴェールの表情を見て慌てて閉めた。まだ薄衣しか身に着けていないのを思い出して急いで精霊使いの服を手に取った。

「ちょ、ちょっと待ってて」

 慌てるミディエに、扉の外からヴェールの笑い声が聞こえてくる。

 ミディエは急いで着替え、髪を簡単に纏めている。そして再び扉に手を掛けようとして、もう一度部屋の中に戻った。左耳に下がっているバライデスのオルビスに、小さな革袋を被せると、ミディエは「よし」頷いて扉を広く開けた。

「なんだ、着替えたのか。さっきの方が色気もあって儂好みだったのだが」

「オーリンゲン卿、同行して頂けるのですね」

 色気がどうとかいう言葉は無視して、ミディエは丁寧に頭を下げた。

「ん、もうそういう堅苦しい呼び方はするな。儂はもう騎士でもない。昨日の呼び方でいい」

 真面目な顔でそう言っているヴェールの横に立つスタークの表情も厳しさが抜けている。

「ひとり年寄りが増えたが、まずは予定通りバシリアスの家に向かう」

 ヴェールの方を見ずにそう言ったスタークに、ミディエは自分のやったことがいい方向に転がったのだと嬉しくなった。

「その前に、ううん、やっぱりバシリアスの家に向かいながらでいいか」

「何かあったのか?」

 スタークは昇降機に乗るなり聞いてきたが、ミディエは見たことだけを伝えるべきか、自分の考えも付け加えるべきか悩んで「うーん」と唸っている。

 そのまま三人が揃って一階に降りると、キャスティムが既に宿の入り口を開き、三人を待ち構えていた。

「ご主人様、どうかお気を付けて」

 キャスティムはそう言って、ヴェールに剣といくらかの食料や水の入った袋を手渡した。

「留守中は頼む。何かと忙しくなりそうだが、どうしても儂の判断がいるようなことが起きれば遠慮なく連絡を寄こせ」

「かしこまりました。お坊ちゃまも、検石主様もお気を付けて」

 スタークは「お坊ちゃま」と呼ばれることを諦めたのか、キャスティムに黙って頷いた。

 空は晴れ渡っている。フィクスムが地面に伸ばす影はまだ長い。三人はその長い影を引き連れながら、通りを城の方角へと歩き始めた。

「えっと、本当にヴェーちゃん、と呼んでもよろしいのですか?」

 ミディエがスタークと並んで前を歩くヴェールに対して遠慮がちに声を掛けた。やはり酒を飲んでいる状態のヴェールと、剣を下げたヴェールとでは纏う威厳が違う。

「ああ。それと、言葉もそう畏まらなくても良い。息子に話すように話してくれ。そもそも儂のようなジジイよりも、息子の方がずっと偉いのだぞ。なんといってもバルバリの王なのだからな」

 ヴェールにそう言われ、ミディエは自分がどういう風にスタークと接してきたのかを思い返していた。確かに王に対する礼儀も敬意もない言葉と態度しか見せていない。だがそれも、スタークが初めに見せた態度が悪いのだと心の中で自分を擁護した。

「言葉の方は、まあ、そのうちに」

 二人のやり取りをやや怪訝そうに見ていたスタークが、宿を出る時にヴェールが口にしたことに対して聞いた。

「さっき言っていたが、キャスティムと親父はルクイトールを?」

 ヴェールは出発の時にキャスティムに対して「連絡を寄こせ」と言っていた。離れた相手に連絡を取る方法は、ルクイトールのフォッシリアを使う以外にない。だが、自分に繋がるルクイトールを持っている者は非常に少ない。

「んあ? ミディエから聞いとらんのか?」

 スタークは横にいるミディエを見たが、そのミディエは小さく肩をすぼめている。

「だって、昨日の夜にできるようになった、ううん、できるって気付いたんだもん」

「できるとは、何がだ? 親父の肩を治したのと同じようなことか?」

 スタークはどう説明するか考え込むミディエの答えを待った。

「うん、やって見せた方が早いね」

 ミディエはそう言って、腰に下げている袋の中を歩きながら物色した。その袋にはヌイーラの漁師、チャウムから譲り受けたフォッシリアが入っている。

「あった。見ててね」

 左手の上にひとつのフォッシリアを乗せ、右手で検石主の証のフォッシリアを握る。そしてミディエが言葉をいくつか唱えると、硬いはずのフォッシリアの表面が波を打ち始めた。

「ミディエ、一体何をしている?」

 スタークは今まで見たことのないフォッシリアの変化に、ミディエを覗き見た。何かの力を使っているとは思えないほど、ミディエは平然としている。特に集中しているわけでもなく、歩きながら未知の力を見せるミディエにスタークは驚きを隠せない。その驚きはミディエの次のひと言でさらに大きくなった。

「オーリンゲン卿、じゃなかった。ヴェーちゃん、私両手が塞がっているから、ちょっとスタークの血を取るのを手伝って」

「なんだと?」

 スタークは思わず足を止めた。フォッシリアの状態や「血を取る」という発言に、一体どういうことかと疑問が頭の中を回っているうちに、スタークは耳にチクリとする痛みを感じた。

「凄い。さすが風使い。フォッシリアなしで、そんなこともできるんだ」

 人差し指をスタークの耳に向けて伸ばしているだけのヴェールにミディエが感心してそう言うと、ヴェールは母から褒められた子供の様に破顔していた。

容易たやすいことよ」

 ヴェールはそうひと言を残して再び歩き出した。

 スタークはただ成り行きを見つめることしかできない。

 ミディエがスタークの耳から取った血を波打つフォッシリアに与える。すると、そのフォッシリアは水が凍りつくようにして徐々に固まっていった。

「はい、できた。じゃあ、これはスタークのズィ・ヴォラね」

 ミディエにフォッシリアを渡され、スタークは何が起きたのか理解できた。

「持ち主の血でフォッシリアと繋がるようになるのか。では、もしかしてオルビスも?」

「それはやってみないと分からないけど、やらない方が良さそう。オルビスにはそれぞれ意思があるみたいだから、どうなるか分からないもの」

 スタークはミディエのその考えに頷いた。

「ねえ、それよりちょっとズィ・ヴォラ使ってみてよ。スタークのヴォラは調子が悪かったでしょ? その感覚で使うと危ないから、慣れるまでは」

 ミディエがそう注意している途中で、スタークは真上へと飛翔した。その速度は、ミディエがこれまで見た誰よりも速く、方向転換の機敏さも誰よりも優れていた。そして、ほんの数秒飛翔しただけでスタークは元の位置に帰ってきた。

「なるほど。ただのヴォラとはまるで違うな。それはそうとミディエ。何か話があるんじゃなかったのか?」

 もう少し驚いてくれてもいいのに、という言葉は口に出さずに今朝見たことをそのまま話すことにした。

「今朝フィルがディシビアの方角に飛んで行くのを見たの。確信はないけど、多分ユーランも一緒」

「ディシビアにだと? サンクテクォは?」

「サンティは、いなかった」

 サンティを思い出し寂しそうに言ったミディエの言葉を聞いたスタークの足が、僅かに早まった。急いでいるわけではない。ただ、理解しがたい状況が苛立ちを呼んでいた。

「ちょっと、待ってよ」

 難なくその速い歩調について行くヴェールと違い、ミディエは時折跳ねるように駆けてスタークの背中を追った。

 その背中を見ながらミディエはこれまでの数日を振り返っていた。

 検石主となってまだたったの三日目。

 一日目は何が何だかわからないまま時間が過ぎていった印象だ。ただ、スタークは嫌な感じだったという記憶がある。

 ヌイーラのチャウムは優しかったが、想像していたよりも年上だった。奥さん思いの良い人ではあったが。

 ヴェールは全然スタークと似ていない。いや、本質は似ているのかもしれないが、表面に出ているものがまるで逆だ。

 しかし、思い付きでやったことが、あんなに上手くいくとは。ヴェールの怪我が治ったことで、スタークの心の傷も癒せたのが最大の成功だ。

 検石主の力。

 まだまだ未知の力があるのをミディエは感じている。多くの力を持つからこそ、バシリアスは警戒していたのだろう。そう考えると、やはり恐怖心を抱くミディエだった。

 だが、サンティもおそらくどこかで必死に道を探しているはずだ。

 検石主の力。そしてバライデスのオルビス。この戦いでもっと役に立てるはずだ。役に立たなければならない。バシリアスによって元素へと還された組合の人々のことを思えば、道具として使われたピートを思えば、ミディエに怖いなどと言う甘えは許されないと、スタークを追う一歩一歩の足の運びにも力が入った。

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