第5話 ミディエと検石主の力 5
宿屋の最上階。昇降機を降り、ミディエはつきあたりの部屋へ歩いていた。まだ外からは歌い踊る人々の声が聞こえる。この街は眠ることを知らないのだろうか。そう考えながら、ミディエは扉をノックした。
「まだ何か頼んでいたものがあったか? まあ、開いているから中に置いておいてくれ」
ヴェールの声が部屋の中から聞こえると「すみません。お邪魔します」と応え、ミディエは部屋の中へとひとり入っていった。
「ん? ああ、すまない。キャスティムかと思ったが、検石主のお嬢さんだったか」
ミディエは緊張しながらも改めてヴェールに深々と礼をした。
「オーリンゲン卿にお聞きしたことがあります」
ソファーで書物を読んでいたヴェールは、ページを開いたままの書物を自分の左側に伏せて置き、反対の右側を二回叩いた。
「座るかね?」
ヴェールが座るソファーの向かいにも、テーブルを挟んで別のソファーが置いてある。それでも自分の横を勧めるヴェールに、ミディエは思わず顔をしかめた。
「冗談だ。そこに座るといい」
今度は自分の向かいを指してそう言ったヴェールは、そこにミディエが腰を下ろすと同時に立ち上がった。思わず身構えたミディエに、ヴェールは苦笑して頭を掻いた。
「冗談だと言っただろう。何か飲み物でも?」
「あ、いえ、お気遣いなく」
「そうか。儂は頂くよ」
ヴェールはそう言って酒の並んだ棚から一本の瓶を取り出し、ソファーに戻った。
「で、聞きたいこととは?」
「その前にオーリンゲン卿」
「ヴェールで良い。それか、ヴェーちゃんでも良いぞ」
どこまで本気で言っているのか分からないヴェールに、ミディエは頬を膨らませた。
「では、ヴェーちゃん。まず肩を見せて下さい。ガルに襲われたという右肩を」
自分で「ヴェーちゃんでも良い」と言っておきながら、まさか本当にそう呼ばれるとは思わなかったうえに、予想外の要望を受けてヴェールは声高く笑った。
「面白いな、君は。スタークもそのくらいの余裕があればもっと強くなるのだろうが。で、右肩だったな。そんなものを見てどうする?」
「スタークは、その傷のせいでオーリンゲン卿、いや、ヴェーちゃんは弱くなったと。でも私の目には、スタークより逞しく見えます。それが気になって」
「なるほど。スタークは儂が弱くなったと話したか。まあ、事実だな」
話しながらヴェールは、穴に頭を通すだけの簡素な布の服を脱いだ。服の下で、ヴェールの右肩から右胸にかけては、薄い茶色の革に覆われていた。ヴェールがその革の肩当ても外すと、骨が見えそうなほどに抉られた肩が露わになった。
「スタークはこの傷を見る度に自分を責めていた。肩当てをしていれば、見た目では分からんだろう? 君がそうだったように。少しでも気にしないようにと着けている。とはいえ、見た目を誤魔化しても昔のようには動かん。何とかここまで腕も上がりはするが」
言いながらヴェールは右腕を動かして見せた。まっすぐ正面から挙げられた右腕は、ヴェールの顎ほどの高さまでしか上がらなかった。
「剣は握れても、添えるだけの腕になってしまった」
想像していた以上に酷い傷跡に、ミディエは息を飲んだ。
「もしかして、他の近衛騎士団の方々はその傷のことを知らないのですか?」
「ああ。知っているのはスタークだけだ」
「分かりました。では、私の聞きたいことなのですが」
「うむ、儂だけが脱がされたのでは不公平な気もするが、なんだね?」
ミディエはヴェールの言葉に呆れて項垂れた。
「スタークが変に堅苦しいのは、ヴェーちゃんを見て育った反動なんでしょうね。分かってると思いますけど、私は脱ぎませんから」
わざとらしく残念がる表情を作ったヴェールを無視して、ミディエは話を進めた。
「その傷、私に治させてください。成功するかは分からないですけど、たとえ失敗したとしても今より酷くなることはありませんから。たぶん」
始めこそ力強く口に出されたミディエの言葉だったが、最後には消え入るように小さくなっていた。
「今最後に『たぶん』と言わなかったか?」
「言っていません」
「儂は実験台か? ふん、好きにしたらいい。儂は酒が持てればそれで構わん」
「では早速始めます。それほど痛みはありませんから。たぶん」
今度はハッキリと最後に「たぶん」と付け加えたミディエは、いつの間にか手にしていたナイフで、ヴェールの右耳を切りつけた。
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