第2話 ミディエと検石主の力 2
スタークとミディエが昇降機を降りて受付に向かっていると、口髭の受付係、キャスティムが歩いてくるのが見えた。キャスティムは二人には気付かぬ様子で、台車を押しながら何やら歌を口ずさんでいる。彼が押す台車には、料理が積まれているのか湯気が上がっていた。
スタークとすれ違う寸前になって、ようやくキャスティムは顔を上げ、二人の存在に気が付いた。キャスティムがスタークの顔を見ると、スタークは台車の上の料理に目を落としていた。あるいは自分が頼んだ食事の用意がもうできたのかとスタークは思っていたが、それにしては早すぎる上に、必要ないといった酒もある。他の宿泊客のものだろうとスタークは判断し、キャスティムに声を掛けようとしたが、先にキャスティムが口を開いた。
「あれ? どうなさいました、おぼっ」
「その呼び方はやめてくれと言ったはずだ、キャスティム」
スタークの厳しい視線と言葉に、キャスティムは顔をしかめた。
「また親子喧嘩ですか?」
キャスティムはそう言って嘆息し、台車の上の料理を眺めた。
「おぼっ、いや、スターク様の分も急いで用意しているというのに」
「飯は頂く。それから、部屋を用意してもらいたい」
「はあ。どちらのお部屋を?」
スタークはキャスティムを軽く睨みつけた。
「二部屋用意しろよ。部屋同士は離れていても構わん」
キャスティムはその言葉を聞いて、スタークとミディエの顔を交互に見た。スタークは相変わらず厳しい表情で、ミディエは苦笑いを浮かべている。
「ああ、さようでございますか。では、すぐにご用意いたします。食事もそれぞれの部屋に?」
「食事は私の部屋に纏めて持って来てくれ。私は少し外を歩いてくる。ミディエもついて来い」
口調は荒いようでも、スタークの落胆と苛立ちは少し収まったようだが、宿屋の扉から賑やかな通りに出る背中が、ミディエの目には若干の寂しさを帯びているように見えていた。
宿屋を出たスタークの足は、門とは逆方向、ヴァーブラ城へと向いていた。だが、当然この時間から城を訪ねるわけではない。城門と城とのちょうど中間地点に、人工の湖がある。賑やかな街の中で、比較的静かな場所だ。湖へと近づくにつれ、通りの賑わいが遠ざかっていく。
「親父は、私がこの国を去る一年前に近衛騎士団を引退した」
星明りの下の静けさに耐え切れなくなったかのように、スタークは話し始めた。その声に言葉を返すように鳴く獣の声が、城壁の外から聞こえた。
「今鳴いているガルは、夜中に狩りをさせたらどんな獣よりも優れているだろうな。十頭前後の群れを作って、獲物の背後を衝く。親父は、昔の親父はそのガルを退治させたら右に出る者はいなかった。騎士団で剣技の試合をしてもそうだ。だが」
城壁の外で鳴くガルの声が次第に大きさを増していた。その鳴き声に、スタークは唇を噛んでいる。
「ある時、まだ獣退治に慣れていなかった私を庇って、右肩をガルにやられた。肉を喰い千切られ、その日から親父は弱くなった。剣だけではない。騎士団内部での発言力もだ。親父は初めから瞳の色を隠していなかった分、余計にな」
湖の中心には小高い丘を持つ島があって、その頂上には手にした剣を空に突き刺すかの如く高く掲げた像がある。城門に向かって正対している像は、スタークたちを見下ろすように立っていた。
「どうして。ごめんなさい、話せないことなら答えなくても良いんだけど、どうしてお父様はバルバリの国に帰らず、貴方と一緒にヴァーブラ公国に留まったの?」
ミディエの問いにすぐには答えず、スタークは水辺のベンチに腰を下ろした後、像を見上げるようにして言葉を返した。
「逃げたのさ。親父はいつもそうだ。いざという時に逃げる」
ミディエはそのスタークの言い方が気に入らなかった。自身は育ての親を立て続けに亡くしたばかりで、実の親の顔は記憶の片隅に小さな欠片が散らばっている程度だ。
「なにそれ。まるで子供みたいな言い草ね」
ついつい棘を含む言葉を口にしたミディエだったが、その言葉にもスタークは表情を変えない。
「随分と突っかかるのだな。だが、確かに未熟なのだろう。否定はしない」
平坦な抑揚で返された弱気な言葉に、ミディエは追い打ちをかけた。
「今度はまるで他人事みたい。よそ者に風当たりの強いブロアヒンメル王国に入る前に、王国に近しいヴァーブラ公国に立ち寄ったなんて言ってたけど、それも口実でしょう? 本当は王としての自分に父親からの助言が欲しかった。でも、ひとりで喧嘩別れした父親に会うのは怖い。私が一緒なら、そう考えていたのが今は見え見え」
スタークはただ像を見上げてミディエの言葉を聞いていた。
「まあ、そうだろうな。ミディエの言う通りだ」
「やっぱり他人事。もう、どうしちゃったのよ。明日はどうするの?」
ミディエはスタークの真後ろに立って、スタークと同じく像を見上げた。
「ユーランの話じゃ、変化のオルビスに繋がっている人はブロアヒンメル王国の中心、シンヌイ宮殿にいるってことだから、捜すのに苦労はしないとは思うけど。問題はその後。ファンデルのことを全部話して、何が起きているのか理解してもらったとして、どうするの? その人には身を隠させる? それとも一緒に行動する? バルバリの国だってもう安全じゃない」
スタークは、座った膝の上で組んでいた手の指を細かく動かし、それをまるで別の生き物を見るかのような目で見ながら答えた。
「正直なところを言えば、それも親父に頼むつもりだった。オルビスと、オルビスに繋がった者たちをこの街で守ってもらえないかと」
スタークはそう言うと、立ち上がってミディエと向き合った。
「まさか、その『オルビスに繋がった者たち』って中に私も入ってるんじゃないでしょうね? ここまで私を連れてきておいて、この先は独りで行くつもりだったの?」
詰め寄ったミディエに、すぐには返答をしないスタークだったが、ミディエは唇を噛みしめながら返ってくる言葉をじっと待った。
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