破滅の罪人 2 オルビスと検石主の力

西野ゆう

第1話 ミディエと検石主の力 1

 サンティが聖獣としての在り方に苦悩していた頃、ミディエたちはシェニムの森を海とは反対方向に抜け、この大陸のくびれの位置にあるヴァーブラ公国の門を歩いていた。

 交易都市として栄えるヴァーブラ公国の夜は長い。街灯に煌々と照らされた街並みは、日中と変わらぬ、いや、それ以上の賑わいを見せている。露店商たちの呼び込む声に足を止めることなく、闇のローブに身を包んだスタークが先頭に立って目的地を目指す。

 この時ミディエは精霊使いが身に着ける衣服で全身を隠していた。一見して異様な二人組だ。それでもこの二人が誰何されることもなく街を歩けるのは、入国の際に、かつて近衛騎士として力を尽くしたスタークが顔を効かせたからにほかならない。

 世界の各地に散らばったノヴィネスたちは、それぞれが浄化した土地にそれぞれの国を作った。国によって気候も違えば、食物になるものも違う。長い年月で築かれた固有の文化は、同じノヴィネスでも国によって性質に違いを見せ始めた。

 同一世界に文化の違う複数の国家が存在している状況は、アンテたちが存在していた時代と同様だ。彼らの時代と比べれば、まだ互いの国の文化を尊重し、全ての国が自国の役割を心得ている。

 とはいえ、国家間の争いが全くないわけではない。特に国境が明確に定められていない時代は、隣国間で争いは絶えなかった。

 直近での争いは、七十年前。この世界の地図では右上の端に輪郭だけが描かれている最果ての地、フィリヘイトナに残っている穢れが、風に乗って人々が暮らす街に流れ込んできたことがあった。ノヴィネス自体へ及ぼす影響は少ない穢れも、元々この世界に生息する生物たちには毒だ。ヴァーブラ公国と精霊の高地ディシビアとの間に位置するブロアヒンメル王国は、国土に穢れが拡がり、大規模な飢饉に見舞われた。穢れとは無縁の暮らしに慣れきっていたノヴィネスは、自らに穢れを浄化させる知恵があったことも忘れていた。

 ブロアヒンメルの民の多くは、穢れを避けてヴァーブラ公国へと逃げた。当初はヴァーブラ公国もその門を開き、ブロアヒンメルの民たちを受け入れていたが、徐々にその人数が膨れ上がってくると、自国民の生活もままならなくなっていった。

 国の利益のためではない。両国民が自分とその家族の命を守るため、剣を手に戦った。

 争いは、ヴァーブラ公国が強固な城壁を築くまでの三年間続いた。皮肉なことに、その城壁が完成すると同時に、穢れもブロアヒンメル王国から消え去った。

 当時大公を守るために組織された近衛騎士団は、現在でも存在する。ただしそれは、ヴァーブラ公国の大公を守るためというよりも、広く世界の平和を維持するためという意味合いが強い。事実、ブロアヒンメル王国との争いが終息した一年後、再び穢れが流れ込むことのないよう、ブロアヒンメル王国のフィリヘイトナ側に暴風壁を建設する際にもその力を貸している。

 そういった経緯もあり、このヴァーブラ公国やブロアヒンメル王国は、穢れに関しては敏感だ。この世界に穢れを撒き散らしたという伝承が残るバルバリの民に対して持つ嫌悪感は、他国のそれよりも大きい。全ての国民がそうではないが、やや瞳や肌の色が濃いというだけで嫌う者もいる。そのため、スタークはローブに身を包み、ミディエは変装して街を歩いていた。

「子供の頃に来たときも夜はこうだったのかな? 今夜が特別なお祭りとかじゃないのよね」

 街の賑わいに、きょろきょろと周囲を珍しそうに眺めているミディエに、スタークが珍しく笑いかけた。

「毎晩こんな感じだな。親父と最初に来たときは、まあ、親父ははしゃいでいたな」

「そうなのね、意外。スタークははしゃぎそうにないもの。お父様には似なかったのね」

 辺りは太鼓の音が響き、人々が歌い踊る声、談笑する声で騒然としている。また、通り沿いに並ぶ屋台からは、香ばしい匂いを含んだ煙が立ち昇り、道行く人たちの足を止めさせる。

「あの親父に似てたまるか。そんなことより、この喧騒もただバカ騒ぎしているわけではないぞ。この匂いに獣たちが寄ってくるのを大きな音を出して防ぐ意味合いもある」

 スタークのその話にミディエは鼻で笑った。

「そんなの都合の良い言い訳でしょ。お母さんが言ってたもの。男の人はそうやってお酒飲んで騒ぐ口実が欲しいだけだって」

「まあ、確かにな。親父もそうだった気がする。しかし、言い訳と断じることはできんな。実際に城壁の外を歩いてみれば分かる。私も何度か城門近くに寄ってきた獣退治に加勢したこともあった。さて、そこの宿屋だ」

 スタークがそう言って扉を開いて入ったのは、大通り沿いに建ち並ぶ建物の中でも特に大きな建物だった。ミディエが外観から窓の数を数えている。縦に八つ。横に十五を超えた所で数えるのを止めた。

「スタークだ。親父はいるか?」

 受付の口髭を伸ばした男に、スタークはフードを取ることなく尋ねた。

「これはお坊ちゃま、少々お待ちください」

「お、おぼっ」

 ミディエがスタークの後で口を押えて笑いを堪えている。スタークはそれに気付かぬフリで受付のカウンターに身体を向けたままだ。

「どうぞお部屋へ上がって下さい。お客様もご一緒にどうぞとのことです」

 受付の男はスタークの後にいるミディエにも笑顔を向けてそう言った。

「ありがとう。それと、食事も用意してくれ。何でもいいから早めに頼む。酒はいらんぞ。親父が持って来いと言っても必要ない」

 受付の男の「かしこまりました」という声を背中で受けて、スタークは昇降機へと向かった。

「ミディエ、何か言いたいことがあるようだな」

 昇降機の扉が開くと、スタークはミディエをちらりと見て言った。

「言いたいこと? いえ、別にありませんよ、お坊ちゃま」

 そのミディエのひと言に、スタークは舌打ちをした。

「チッ、キャスティムめ」

 それが受付の男の名であることは、聞かされなくとも明らかだった。それでもスタークは口に出した言葉ほど不機嫌な様子ではなく、昇降機が目的の階に到着すると茶化すミディエから逃げるように速足で左右に扉が並ぶ通路を進んだ。

 そしてスタークはミディエが追いつくのを待たずに、つきあたりの部屋の扉をノックした。部屋の主は扉の近くで待ち構えていたのか、返事と同時に扉が開き長髪の大男が姿を現した。

「なんだぁ、随分と楽しそうじゃないか、スターク。んー? こんなべっぴんさんを連れて歩きやがって。『自分にはやらなければならないことがある』とか言って騎士団を抜けて、何をしているのかと思えば、羨ましい」

 予想外の陽気な物言いに、ミディエは挨拶をしようとしていた口をあんぐりと開けた。チラリとそのミディエを見たスタークは頭を抱えている。

「もう飲んでいやがるのか、まったく」

 スタークの様子を見るに、この男がスタークの父親だと悟ったミディエは、慌てて頭を下げた。一見して相当に鍛えられていると分かる身体には、無数の傷が刻まれている。腰近くまで伸びた髪のほとんどが白髪になっているが、筋肉の盛り上がりは、スターク以上のものがある。

 一度顔を上げたミディエが、一歩前に出てもう一度お辞儀した。束ねた銀髪が、華奢な肩を滑り胸の前に下がる。そのミディエの動きに、大男は見惚れている。

「ヴェール=ヴィン・オーリンゲン卿でございますね。私は組合の検石主、ミディエ・ヴェントスと申します」

 それまでヴェールに浮かんでいた笑顔が消え、ミディエを見る目も厳しいものに変わった。

「検石主? マカエッソ殿はどうした? まさかとは思うが」

「マカエッソだけではない。ミディエ以外の検石者も全員バシリアスにられた。そこで親父に頼みが」

「断る」

「なっ!」

 話の全てを聞かずに背を向けたヴェールに、スタークは詰め寄った。

「何も聞かずに『断る』だと?」

「その美人の検石主殿はバルバリの民だろう? アリーチェ・デザータのヴェントス家に幼き頃に引き取られた娘だな。だとすれば、フィル・ムンドゥムの名を継ぐお嬢さんのはず」

 ヴェールは振り返らずにそう言ったが、スタークはヴェールとミディエとの間に入るように立った。

「だとしたらなんだ! 話も聞かずに断ったのと何の関係がある?」

 ヴェールの表情が変わった。顔は部屋の中に向けていたままだったが、確かに表情が変わったのが二人には分かった。

「関係か。では逆に聞くが、お前たちの運命さだめと、この儂との間に何の関係がある?」

「カルニフェクス議長もバシリアスに殺された。それでも関係ないというのか」

 ヴェールはそれを聞いて一度振り返ったが、再び部屋の中へと足を進めてソファーに深く腰を沈めた。

「儂はお前がオルビスに繋がったときに国を捨てた男だ。それに、この国の近衛騎士団も引退した。儂にできることなど何もない。だからこそ、スターク。お前は儂を見限って出て行ったのだろう? 頼み事ならザックワーズ公に頭を下げるんだな」

 ヴェールはそう言い捨てると、テーブルの上のグラスに残っていた酒を飲み干すと、そのグラスに新たな一杯を注いだ。

「そうか、分かった。ならばそうさせてもらう」

 スタークはそう呟いて、部屋の扉を乱暴に閉めた。

「すまん、無駄足になりそうだ。今晩はこの宿で休んで、明日ブロアヒンメル王国へ向かう」

 昇降機の中で大きな溜息を吐いたスタークは、自分の拳で脚を叩きつけていた。

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