チャプター3

 パステとビピルは車に乗り込み、国家図書館へと向かった。ネザリウスの官邸からは30分程度だ。


「やっぱ、モノムって優秀だったんだね」


 流れる街並みを見ながら、パステは頷いた。このあたりは政府の主要施設が固まっているため、土地を贅沢に使い、緑が多く家はまばらだった。

 モノムが優秀ということは、面接の時からわかっていた。彼女が持っているソフトウェアスペシャリストや上級アナリストという試験は自分には絶対に受からないし、勉強しても合格するのには何年かかるかわからない。

 エグゼクティブルートはそういう資格者を使う立場の仕事であるから、自身が持つ必要は無いことはわかってはいるが、能力の差は感じてしまう。


 やがて、国家図書館が見えてきた。

 広大な土地に作られた古い石造りの建物で、地上1階建ての建物だ。

 デジタルデータの保管となるため、本体となるサーバーは地下に作られている。閲覧室、職員の部屋、受付や掃除や料理といったスタッフの部屋、応接室、会議室、食堂といったものは全て1階部分にある。マネージャー以上の部屋は個室で、一般職員……つまりモノムたちの部屋は3人から5人で使われる。

 職員は基本的に日勤だが、夜に大きな事件があった時や天候の変化があった時のために、数人は夜勤となる。これはシフト制であり、月に1日か2日、担当することになる。

 車をおりたパステ達は、自動ドアを開いてなかに入った。

 木造りの受付があり、エルフの若い女性が頭をさげた。


「パステ様とビピル様ですね?」


 記念式典を見ていたため、2人がエグゼクティブルートであることはすぐにわかった。

 受付の女性は待つようにいい、受話器をとると内線でどこかを呼び出した。彼女は政府の施設で働いてはいるが、ライブラリアンのような国家資格の保持者ではないため、アーティフィカルシグナは持っていない。

 ほどなくして、通路の奥からモノムがやってきた。黄色いTシャツ姿のラフな格好だった。


「早速、きたね」

「モノム?」

「ついてきて」


 モノムに先導されて廊下を歩いた。通路は広く、茶色い絨毯が敷き詰められた廊下は贅沢な作りであるといえたが、2層では標準的なものだった。左右には扉があり、誰かの部屋へと繋がっているのだろう。

 そのうちのひとつの扉をあけたモノムは、パステたちをなかに入れた。10畳ほどの部屋の中央にぽつんと丸テーブルが置いてあった。8人がけだ。

 テーブルの上には分厚い書類が2つ置いてあった。どちらも300ページぐらいはある。

 デジタルデータを印刷したもので、向かって左側のものがエリア2らしいので、パステたちは担当の席に座った。


「あれ?」


 パステは表紙の下のほうを指さした。作成者にモノム・クロムレックスと書かれ、承認者のところにマネージャーの名前とミラデュリスの名前が書いてあった。


「これって、モノムさんが作ったんですか?」

「そうだよ。私の最初の仕事がこれ」


 そう言いながら、モノムは2人の最初のページを捲った。


「まだここにきて数日ですよね?もうこんなの作れちゃうんですか?」

「国家図書館の文献自体はいつでも誰でも見られるでしょ?3層のだいたいのことは頭に入ってるし、それをまとめただけだよ。この7割ぐらいのことはライブラリアンじゃなくても入手できる情報だし、パステたちもある程度は知ってるでしょ?」

「そりゃまあ……そうなんですが……」


 パステは凄いなと思った。

 モノムは目次を見ながら、どういう内容が書かれているかを説明した。わからないことがあったら、アーティフィカルシグナを使ってでも、直接ここにきてでもいいから聞いてくれと告げた。


「エリア3は知っての通り、反乱が多い。貧富の差が激しいからなんだけど、特にリージョン3と4がヤバい。主要な都市は7から9までなんだけど、ここが襲撃されることは今のところは無いから、大きな騒ぎにはなっていない」

「リージョン3はギャングのグループがいくつかあるんですよね?」

「そう。大きなグループが3つあって、縄張り争いをしてる。その辺のことは179ページからだね。ただ、ギャング自体はどこのリージョンにもいるよ。都市の裏のビジネスも仕切っているし」


 パステは腕を組んだ。


「ほっておいていいものなんでしょうか?今までのエグゼクティブルートは特に目立った対応をしていませんよね?」


 ビピルが割り込んだ。


「絡まれる企業にとっては脅威かもしれないけど、ポルタランドとしてはそこまでマイナスじゃないからね。政府に敵対しているっていうなら潰さないといけないけど」

「確かに、そうですね。リージョン3や4は反政府の可能性もありますから、私も対応するならそちらが先だと思います」

「あとは、私の個人的な意見だけど、食料の自給率がひくすぎるのは問題だと思うよ。ポルタランド全体で災害が起きたら、まっ先に被害を受けるのはエリア3だからね。どこも自分のエリアを優先するだろうし、お金を積んでも無いものは無いんだから。そのへんは75ページから」

「なるほど……。すこし意識してみます」

「最後にもう一つだけ」


 モノムはそう言うと、パステの資料をパラパラと捲った。


「これは主要の車メーカーの収益なんだ。大手のメーカーはエリア3に固まってるんだけど、リージョン8の『アルマ・モータース』って会社。これ、このグラフ。7年前から急激に伸びているでしょ?」

「そうですね。3層の車は自動運転ではなくて、3層の政府関係の車は確か、全てこの会社のものと理解しています」

「うん。でも、車の性能はそんなに良くないんだよ。特に燃費は良くなくて、カタログの数字は絶対に出ないみたい。なら、なんで政府はアルマ・モータースを採用しているの?」

「ここの資料からは、わからないのでしょうか?」


 モノムは頷いた。


「わからないし、他のライブラリアンも2層の政府も誰も気にしていないと思う。私がマネージャーにこの話をしても、だからなんだって話で終わると思うしね。燃料代はびびたるものだろうし、ポルタ様にはあまり影響ないだろうから」

「でも、気になるんですよね?」

「なる。だから、余裕があったら調べてみてもらいたいよ。アルマ・モータースが不正をしているとかそういうことじゃなくて、3層の経済がどうやって動いているのかを詳しく知りたいんだ」

「……と、言いますと?」

「例えばルートが私やパステみたいなハーフエルフで、2層にいる人間の親と3層の会社の人間が親戚で繋がっていると優先して採用してもらえるようになっているとか、プレゼンが上手ければ性能が悪くても採用されちゃうとか、そういうこと。パステが知り合いだから言えるけど、こういう話は他のエグゼクティブルートには提案できないからね」

「わかりました。ただ、私は父の親戚というだけでは贔屓ひいきにはしませんよ?」

「わかってるって。次にビピルのエリア2なんだけど……」


 モノムはそう言いながら、ビピルの資料をめくり始めた。と同時に、ビピルが、


「やっぱ、スポーツ?」


 と言った。


「そうだね。野球は特に強くて、各リージョンにチームがある。他のエリアでも興味のある人は有料のチャンネルに加入して見ていたりするんだよ。ほら、このグラフ」


 10本の折れ線グラフがあった。それぞれがあがったり下がったりしているが、背景にあるトータルの棒グラフはすこしずつ伸びている。


「いいじゃない。その分、税金も取れるわけだし」

「と思うでしょ?」


 モノムがページを捲ると、税収が右肩下がりのグラフがあった。どうもスポーツ関連の企業や選手は税金が優遇されているようで、それ自体の政府の税収はそれほど高くないらしい。かといって、税率を上げると住民の反感を得てしまう可能性があるのか、なかなか踏み切れないと推測される。実際にそうなのかはわからず、あくまでもモノムの推測だ。

 なるほどと、パステは言った。


「特定のリージョンだけ優遇するわけにはいかないから、エグゼクティブルートにそういう話が集まってしまうわけですね。だから、メンタルがやられると?」


 ビピルは鼻で笑った。


「バカバカしいね。それじゃまるで、スポーツ優先みたいじゃない。これのどこがポルタ様優先なのよ」

「ビピルも一回スタジアムで野球の見学をしてみたら?」

「私は興味ないし、興味を持つ可能性もゼロだと思うよ?」

「違う違う、そうじゃなくて、スタジアムの雰囲気を味わってみると考えが変わるかもしれないじゃん?」


 モノムはニヤリとした。その意図はビピルにはわからなかったが、それもそうだと同意した。


 その日は資料を読みながら、夕方までモノムに説明を受けた。

 ネザリウスには5日後には準備ができると伝え、貰った資料を読んだりモノムにアーティフィカルシグナで質問をしながら、お世話になった人たちに挨拶をしてまわった。

 

 -※-


 5日後。

 パステたちはネザリウスに連れられ、巨大なセントラルエレベーターに乗り込んだ。キャリーケースをガラガラと引っ張ってなかに入ると、1から4のボタンがあった。

 ネザリウスは迷わず3のボタンを押した。

 このエレベーターには認証システムがあり、権限がないと利用することはできない仕組みだ。1層以外のフロアはネザリウスには権限があり、パステたちは利用できないものだった。ここで3層におりると、勝手に2層に戻ることはできず、権限を持つものに迎えにきてもらうか、遠隔で権限を付与してもらう必要があった。

 ゴウンゴウンという音に囲まれながら、パステたちの心臓の鼓動は高鳴っていった。今日からエグゼクティブルートとしての仕事が始まるからだ。


 やがて、エレベーターは止まった。重厚な音とともに扉がひらくと、そこは一面コンクリートの人工の島だった。周囲には水平線が見える。

 2台の黒いリムジンが止まっていた。

 3層にはない乗り物だ。手動運転ということもあるが、2層の車はデザインが全て同じで個性が無いからだ。

 この車は『高級車』という位置づけで、富裕層しか乗れないということはわかっている。パステたちがそういうポジションだという証明でもあった。

 リムジンから2人の男がおりてきた。どちらも50代のエルフだ。耳にはアーティフィカルシグナがつけられているが、ルートなのでディザスターは持っていないし、バリアの発動するペンダントは無い。

 背が高く、細身の男がエリア2のリージョン5のルートであり、ビピルの部下となる。名前はファーポと言った。

 ネザリウスが紹介をすると、二人はお辞儀をした。

 そして、低身長の小太りの男がエリア3のリージョン6のルートである。


「リージョン6のロニールといいます。よろしくお願いします、パステ様」

「パステ・ルーヴェです。こちらこそ、よろしくお願いします」


 ネザリウスは言った。


「では、あとは任せていいか?」


 ロニールが快く返事をすると、ネザリウスは右手をあげてエレベーターに乗り込んでいった。上昇していく音を聞きながら、パステたちはそれぞれの車に先導された。

 ビピルは言った。


「お互い頑張ろうね!ポルタ様のために!」

「頑張りましょう!ポルタ様のために!」


 すると、運転席から人間の老人がおりてきた。会釈をして後部座席の扉を開けると、ロニールはパステに乗るようにいい、キャリーケースを押し込んで乗った。ロニールも隣に乗り込んだ。

 老人が運転席に戻ると、ロニールは運転を頼むといい、ボタンを押した。

 車のエンジン音とともに、ガラスの仕切りが二人の前に現れた。音声を遮るためのもので、ここで重要な会話をしても運転手には聞こえないとのことだ。


「早速ですが、パステ様はこれから我々のリージョン6に向かいます。どこのリージョンを拠点にするかはもう決まっておりますか?」

「いえ、まだです。状況を把握してからかなと、思っています」

「では、リージョン6のホテルを確保しておりますので、しばらくはそこを拠点とするのがよろしいかと思います。自室のほか、執務室と会議室もあります」

「ありがとうございます」


 車はすぐに幅200メールほどの一直線の巨大な道路に入った。

 運転手の老人がアクセルを踏み込むと、時速は250キロを超えた。

 パステには始めての体験で、視界はずっと海だが、照明がものすごいスピードで過ぎていく。2層の車はここまでスピードは出ないだろう。それほど広くもなく、不要だからだ。

 ロニールは話を続けた。


「4時間ほどで到着します。お腹はすいていますか?」

「いえ、大丈夫です」

「わかりました。もし、なにか食べたくなりましたら、いつでも言ってください」

「なにからなにまで、ありがとうございます」

「パステ様は私達のボスですからね。要求は遠慮なくどうぞ。エグゼクティブルートが正しく機能することが、ポルタ様のためなんです」


 その言葉にパステは嬉しくなった。ルートもやはりポルタのために働いているのだと実感できる。


「今日はそのままホテルに入って、他のルートとの顔合わせ後、パーティーとなります。明日はテレビの取材の予定ですね」

「取材ですか?」

「そうです、取材です。エリア3の住民に新しいエグゼクティブルートがきたことを伝えないといけませんからね。すでに写真を使った報道はされておりますが、印象は悪くありません」

「私がハーフエルフで、半分は人間だからでしょうか?親近感があるとか?」

「えーと……その……。若い女性だからです」


 パステは耳を疑った。


「能力に関係なくありませんか?それ」


 ロニールは両手を広げた。


「3層っていうのはそういうものなんですよ。見た目で判断されます」

「私はポルタ様の代弁者なんですよ?そういう教育って、ちゃんとされているんでしょうか?」

「ええ、もちろんです。ただ、全員が全員、そうだとは限りません。我々2層の住民と違って、3層からすればポルタ様はファンタジーですから。本当に存在するのかと思っている者もいるぐらいです」


 パステは腕を組んだ。


「それは、いけませんね」

「ほかの問題も山積みですからね。ご存知だと思いますが、このエリアは貧富の差も激しいですし、犯罪も多いです」


 車は海を抜けると、スピードを緩めた。

 正面には重厚な門があり、制服を着て銃を持ったガードマンが2人いた。守衛所もある。

 運転手の老人は窓をあけ、パステを連れてきたことを説明すると、ガードマンは守衛所に入り、扉を開いた。

 機械音とともに開かれると、正面には草原が広がっていた。ここはもう、エリア3の大陸である。

 どこのエリアも最北端にリージョン1があり、最南端がリージョン10という構成だ。エリア3の場合、北に1と2、その南に3と4、更に南に5と6となっている。その南はすこし広く、7から9のリージョンがあり、南に10があった。7から9がビジネス街と呼ばれる一番発展しているリージョンである。

 ここはリージョン5である。

 車は再び走り出した。一本道の草原からハイウェイにはいると、片側3車線の広い道路になった。他の車もまばらに走っており、リムジンは一番右の車線を爆走した。

 山を抜け、住宅街を抜け、景色が変わっていくのをパステはぼんやりと眺めていた。

 正面にはジャンクションと案内図が見えてきた。ここからリージョン3と4、6、そして7と8に分岐するらしい。そのまま進めば6だ。リムジンは当然、まっすぐに進んだ。


 すぐに視界にはビル街が広がった。ここが目的地のようで、リムジンはスピードを落としながら車線変更をし、ハイウェイをおりた。

 車が街へと入ると、車の量も増え、歩道には人間が歩いているのを確認した。パステは3層であることを実感する。以前、父親の住んでいたフロアだ。エリアは4だったらしく、この大陸では無いが同じ空間だった。

 信号待ちをしていると、パステは視線を感じる。歩いていた人間たちが足を止め、自分を見ているようだ。

 彼らは新しいエグゼクティブルートがくることはニュースで見ており、パステの写真から見た目と簡単なプロフィールは把握している。当然、珍しいハーフエルフであることも。

 ロニールは言った。


「手でも振ってはいかがですか?」


 パステが返事をするまでもなく、ロニールが自分の座席のボタンを操作してパステ側の窓を開けてしまったため、彼女は笑顔で手をふってみた。

 すぐに歓声があがった。


「パステ様だ!」

「パステ様だって?カメラ持ってくればよかった」

「あれが次のエグゼクティブルートなの?かわいい!」


 パステはむっとしながらも、笑顔を崩さなかった。

 信号が青になり、車は走り出した。ロニールが窓をしめると、パステは不機嫌そうに言った。


「うーん……。微妙です」

「高評価なのはいいことですし、なめられているわけではありません。リージョン6の幸福度は比較的高いですし、このあたりは貧民もほとんどいませんからね。今の平和が続けばいいと思っていますから、よほどのことをしなければ評価が落ちることはないと思います」


 パステは首をかしげた。


「あの、ロニールさん。私はポルタ様の代弁者で、私の行動イコール、ポルタ様の行動ということですよね?それなのに、なぜ人間に評価をされないといけないんでしょうか?人間にエグゼクティブルートを選ぶ権利など、一切ありませんよね?」

「もちろんです。パステ様の認識で正しいです。ですが、不満は反乱の元ですから、評価が下がると反乱へと繋がります」


 わかるようでわからないというのがパステの感想だった。


 車は大きな12階建てのホテルの地下へと入っていった。と同時に、ロニールはアーティフィカルシグナを操作してパステがついたことを誰かに伝えた。

 すでに待機をしていたガードマンの人間が2人、直立不動で出迎えた。パステが車をおりると、一人の男がキャリーケースを運ぶと言い出したので、よろしくお願いしますと渡した。

 ガードマンに挟まれるような形で、ホテルのエレベーターへと向かった。2つあり、片方は最上階にしか止まらないらしい。ガードマンがカードをかざすと、エレベーターは動き出した。このカードはあとでパステにも渡されるらしいが、安全のために一人で街をうろつくことはしばらくは禁止らしいので、すぐには必要ない。

 ロニールは言った。


「12階のフロアは全て貸し切りです。まずは、食事にしましょう」

「ええ、楽しみです」


 エレベーターをおりると、高級感のある通路が広がっていた。臙脂色の絨毯やダークブラウンの壁など、パステが例えるのであれば、2層のようなという表現になる。

 2層では当たり前のものだったが、3層では当然、最高級だ。

 扉は余裕をもって左右に2つずつあった。左の部屋は自室と会議室、右の部屋が執務室と応接間となっていた。

 ガードマンの案内はここで終わりだった。彼らはエレベーターの前に立ち、交代制で緊急時に備えることになる。

 ロニールはパステにカードを渡した。これで4つの部屋とエレベーターを使うことができるが、そのうちの自室と執務室だけはパステのカードと清掃スタッフのカードでしか開かない仕組みだった。ほかのものが勝手に侵入をすることはできない。


 まずは自室の扉をひらくと、広いリビングがあった。窓は全面ガラス張りだが、防弾となっている。もっとも、ペンダントを付けているパステは銃撃を食らったところで問題は無かった。

 このフロアより高い建物は正面にはなく、覗かれることはないだろう。

 すでに備え付けられていたソファやテレビ、食器棚や冷蔵庫があり、奥の部屋は寝室、バス、トイレがあった。

 残念ながら、凄いという感動は無かった。ここにあるものが全て一流ブランドのものだったとしても、パステには普通なのである。

 ロニールは簡単に部屋やサービスの説明をした。

 服などはランドリーバッグに入れておけば、ホテルのスタッフが洗ってくれる。掃除は日中、やってくれるので、不要であればドアに不要の札をかけておくように伝えられた。このあたりは一般的なホテルと同じだ。

 重要なのは、機密書類は金庫のなかにしまっておくようにすることだ。


「スタッフは安全なのでしょうか?前のエグゼクティブルートは風呂場で襲撃を受けたと聞いております」

「あれはこのホテルではなく、自宅ですからね。このホテルは大丈夫です。私を信用してくれれば……という話になりますが」

「もちろん、信用します」

「ありがとうございます。では、顔合わせの前に食事にしましょうか」


 食事は電話で頼めば好きな部屋に運んでくれる。今回は応接間になった。

 テーブルを挟むように2人がけのソファーが4つ並んだ部屋に入ると、ロニールは受話器に手を触れた。


「パステ様、なにか食べたいものはありますか?」

「なんでもいいのですが……そうですね、『オムライス』はありますか?」


 ロニールはきょとんとした。


「オムライスでよろしいのですか?」

「はい。料理人の父が腕前が試されるのは卵料理だと言っていました。しばらくはこのホテルにお世話になると思いますので、まずはそれをお願いします」


 ロニールがかしこまりましたと電話をかけ、ソファーに座って暫く待つと、カートを引いたコックがやってきた。白い帽子をかぶった人間の中年の男だ。

 彼は緊張をしながらパステに自己紹介をすると、2人分の料理を並べ始めた。

 テーブルの上にオムライス、小皿に入ったサラダ、そして、麦茶の入ったグラスを置くと、彼はお辞儀をして去っていった。

 眼の前にあるのはケチャップ味と思われるライスの上に卵の乗ったものだった。デミグラスソースもかかっている。

 パステがスプーンを差し込むと、ふわっとした感触だった。期待できそうだなと、ライスと一緒に口に入れると、ソースの甘さと酸味の効いたライスが交わり、顔が緩んでしまう。


「こっ、これ、すごく美味しいですね!」


 ここだけは『普通』という感想ではなかった。


「喜んでもらえて何よりです。コックに直接言ってあげると、喜ばれると思いますよ」

「はい、そうします」

「ここの王様、エグゼクティブルートの発言ですからね。2層のレストランでいうのとは、わけが違うんです」


 パステは頷いた。


「発言のひとつひとつに責任があるわけですね」

「そういうことです」


 パステは笑顔で料理をたいらげた。

 そして、いよいよ仕事が始まるんだなと、身を引き締めた。

 自分に間違いは無いはずだ。

 すべてはポルタ様のために。

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