すべては美味しい揚げ物のため

鶴川ユウ

揚げ神

 とある夏休みの正午。どこかでミンミンゼミがうるさく鳴いている。

 私は汗だくになって、天ぷらを揚げる準備をしていた。扇風機は微風で、冷房は台所になんぞ届かない。強にすると粉が飛んでしまう。

 エビ、サツマイモ、それから大葉に衣をつける。

 フライパンに油を注ぎ、コンロに着火する。菜箸を構えて、時を待つ。


 ――力が欲しいか?


 唐突に耳元で話しかけられた。

「何奴!?」

 私はフライパンから目を離さずに問うた。この部屋には、私の他に誰もいないはずだ。


 ――僕は神である。さあ、汝は何を望むか?


 菜箸をフライパンに差し込む。泡が立った。

 頃合いだ。

 私はフライパンに、エビを優しく投入した。香ばしい香りが立つ。


 ――力が欲しいか? 欲しくないか?


 しゃらくせえ。

 油が飛ぶ。台所の壁に飛んで、手の甲に飛んだ。

「アッチッ!」

 私はやむを得ず、蛇口をひねり手の甲を冷やす。油の扱いには、一向に慣れない。


 ――力、いりませんか? 応相談ですが大抵は思い通りにできますよ。


 声の主はいつしか、下手に出ていた。


 ――あのー聞いてます?


「この状況が見てわからんか! 力なんぞあったって、天ぷらを揚げるのになんの役にも立たんだろうが!」

 私は怒鳴り返した。集中したい時に黙っていてほしかった。

 

 ――あっ、反応ありがとうございます。


 ハッシュタグにいいねしたみたいに言うな。

 私はサツマイモを投入した。大葉は最後だ。カリカリにしちゃる。


 ――では揚げるのに、役立つ力ならいいということですね。


「そんなものがあるならな」

 私は首にかけたタオルで汗を拭った。エビフライがまもなく揚げ上がる。エビフライを菜箸で引き上げて油を振り落とし、キッチンペーパーを敷いた皿に安置する。

 余裕ができて、ふと熟考した。

「揚げ物中に、油を自在に操る能力なら欲しいがな」

 夏場にタンクトップで揚げ物をしても、油が飛ばないようにコントロールできたり、あるいは油の温度を常に高温に設定できたりしたら便利だ。揚げ物ライフが捗ること間違いなしだ。

 ま、そんなことあるわけないけれど。


――承った! ふふ、代価が楽しみだ。


 耳元の神が不吉なことを言うと、私の視界はサラダ油の如く黄金色に包まれた。


 🍤

 本物の神だったようだ。

 あの日から、私は揚げ物をしている時に、油を自在に操れるようになった。手をかざして念じると、油は私の思い通りになる。跳ねなくなったし、すぐさま高温に上げることもできる。フライパンに余った油を、固体にすることもできる。

 力の恩恵を受けて、私は揚げ物を日夜量産していった。

 高校の家庭科室を、使わせてもらうことになった。本来は安全性を考慮して、一生徒に揚げ物をする許可は出さないが、私の力を実演すると、先生たちはいたく感心した。私は料理部に入部することと引き換えに、揚げ物をする許可を得た。

油を自在に操れるようになっても、揚げ物の世界は奥が深い。試したいことが、次から次に出てくる。


 私は揚げ物が一等好きだ。小さいころ、母はよく揚げ物を作ってくれた。肉から魚、野菜までなんでも揚げた。母に揚げられないものはなかった。

 誕生日、子どもの日、テストでいい点を取った日には、食卓に揚げ物が並んだ。大皿の山盛りになった揚げ物は壮観だった。

 私は揚げ物を作るのも好きだ。自分で料理をするようになって、気分がいい時でもストレスが溜まった時でも、景気よく揚げ物をする。冷蔵庫の食材を、あれもこれも全部さっくさくに揚げてやる。そうすると、腹も心も満たされる。

 


 油を操るようになって、三か月は経った時、異変が起こった。揚げ物を冷蔵庫に入れると、翌日にはなくなっていた。それがしばらく続いた。

 私は単身赴任中の母と二人暮らしだ。母は今、県外だ。

 泥棒の線を考えて、一晩張り込んだ。とり天とナス天を作って、冷蔵庫に入れた。囮である。電気を消して台所を見張っていると、よく肥えた少年が夜中に現れた。

 少年は冷蔵庫を開けると、手づかみでとり天を食い始めた。冷蔵庫を半開きにして、口と手を動かしている。

「誰だ!」

 懐中電灯で照らすと、少年は手で顔を覆った。まだ年端もいかない、小学生に見える。

「人んちで何をしている。どこの子だ!」

「ううっ。力を与えたんだから、僕が少しくらいはいい思いしてもいいじゃないか」

「力? まさかお前が神か」

「そうだ」

 神にしては威厳がないというか、意地汚い。

 おいおいと泣いたふりをしている神は、食べ続けている。

「私の作った天ぷらはうまいか?」

「まあまあ」

 私は溜息を吐いた。勝手に食べられるのは、心臓に悪い。泥棒かとも思うし、母が戻ってきたのだとも思う。

「勝手に食べられるとどうにも気持ち悪い。どうせなら作り立てを食べに来い」

 神はそれから、私の家に堂々と入り浸るようになった。

 うまいとは言わずに、もぐもぐと食べる。

 神自身については、年齢も何も教えてくれなかったが、うまい食べ物については議論を交わした。神はエビフライがダントツで好きらしい。

 神は肥えているし、私も体重が増えてきたので、サラダを作って出したこともあった。

 神はつくねんとして律儀に食べたが、いっこうに見た目は変わらない。夜のジョギングに誘ったら、断られた。


 そのうち神は滅多に現れなくなり、私が高校を卒業するころにはさっぱり来なくなった。それでも私の力は健在だ。

 代価とは一体なんだったのだろうか。


 私は料理人の道を選んだ。

 私の評判を聞きつけて、揚げ物の名店や専門学校からのスカウトが届いた。料理部の顧問伝いに、油を見事に操る高校生がいると噂が広まったらしい。

 スカウトされた中から、私はミシュラン一つ星の天ぷら屋を選択した。

 見習い料理人として、私は新天地の扉を叩いた。

 同期の新人たちと顔を合わせた。話をしてみて驚いた。一人は天ぷらに適した食材を選ぶ目利きの力を持ち、一人は空中で食材と粉ものを絡ませる力を持ち、さらにもう一人は天ぷらをどれだけ食べても太らない力を持っていた。

 天ぷらに特化した能力を持った人間ばかりが、同じ店に集まっていた。

 あの野郎、いろんな人間に唾つけてやがったな!

 方々で天ぷらを食べていたから、肥えていたのか。私が揚げ物中の油を操る能力を得ることを選択したのも、仕組まれている気がしてきた。


「ひょっとして神様が来ませんでしたか?」

「あなたのとこも、あのガキが来たんですか?」

「あの野郎、方々で天ぷら三昧か」

 私たちはそれぞれ憤慨していると、目利きの三郎があっと声を上げた。

「神様がいます!」

 私たちは厨房から、ホールを覗いた。神が四人掛けの席を、一人で占領している。彼は出されたお茶を啜り、壁のメニューを眺めている。

 我々は初日の見習いのため、直接調理もましてや配膳もできない。厨房から四人揃って様子を伺う。

 神は天ぷらの盛り合わせと、白いご飯を頼んだ。

 神はエビフライに天つゆをつけ頬張る。


「おいしい」


 年相応の少年のように、神は無邪気に微笑んだ。白いご飯も、天ぷらと食していく。

 私はよろめいた。

 私が作った揚げ物を、神が美味しいと言ったことはない。笑ったこともない。

 先輩の料理人が作ったものと、私が作ったものの差は歴然ということか。


「これ食べて」


 気づけば、神は私たち四人の目の前にいた。

 神は食べかけの天ぷらの皿を持ってくると、私たちの口の中に転移させた。

 驚きとともに、サクサクした触感が広がる。しょうゆベースの特製ダレとエビのハーモニーが美しい。

 美味しすぎる。白飯が何杯でも食べられる。頬を涙が伝った。


「悔しいか?」


 悔しい。

 その場にいる全員が悔しがっていた。


「悔しかったら、その腕をとことん磨き抜け。そしたら僕を満足させる一品ができるでの」


 神は一瞥する、煙のように掻き消えた。

 力を分け与えられた四人は、誰からともなく愚痴を言い合った。


「クソ、なんだよあいつ。道楽のために、俺らに声かけたってのか」

「さすがは神……」

「これが神の遊びか」

「ムカつく」


 私たちは自然と、円陣を組んだ。

 揚げ物をする食材の目利きと、空中で華麗に食材と粉ものを合わせる力、どれだけ揚げ物を食べても太らない試食の鬼、そして私の油を自在に操る力。

 私たちは神から与えられた力があるから、揚げ物をするんじゃない。揚げ物を愛しているから、揚げ物をするのだ。神の思惑がどうだろうが知ったことか。

 揚げ物を愛し、揚げ物に特化した能力を持った四人だ。私たちが力を合わせれば、最高に美味しい揚げ物が生み出せるに違いない。先輩方の揚げ物にだって追いつけるはずだ。


「「「「あいつをぎゃふんと言わせる揚げ物を作ろう!!!」」」」


 神の思惑なんぞ知ったことか。あいつの想像を超える揚げ物を作ってやる。エビフライも大葉天もコロッケもハムカツだって、至高の品を作ってやる。

 そして「美味しい」と言わせてやる。

 

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