第4話
まずいことをするとき、最初はそれがまずいことになるとは気づかない。大したことではない、誰でもそう思うのだ。
次の日の昼休み、私は、笑香に鈴木翼を部室に連れてこいと言われ、そのとおりにした。最初、鈴木翼は私に従うことを渋った。
「なんで、僕が」
「まあ、ついてきてって。あんたにどうしても、やってもらいたい事があるんだ。あんたじゃなきゃできないことなんだから」
「僕じゃなくてもできるでしょ。いったい何をしてほしいの?」
「待って、言えないんだって。それは」
すると、彼は目を細め、疑い深そうに、
「嫌だよ。やりたくない」
「お願い。ほんと。直ぐ終わるから」
私は両手をすりあわせた。彼は私を一別すると、本当につまらないと言いたげにそっぽをむいた。
「嫌だ。ろくな事じゃないんでしょ。貴方が考えることだから」
「それどういう意味?」
私は眉に大きな虫がのっかているみたいに顔をしかめた。
「だって、貴方って野蛮なイメージしかないもん」
「野蛮って酷いな。楽しくて良いことだから、ついてきてよ」
鈴木翼は私に腕を引かれると、意外そうな顔をしたが、振り払うことはしなかった。相手が男勝りとは言え、一応は女だから、本気で嫌がることを遠慮している感じだった。
私たちは外に出て、部室の前についた。部室には天井近くに小さな窓がついており、壁が白く塗られたばかりであった。本当に着替えるだけのロッカーが中にあるので、中は狭いのだった。私が部室のドアをノックすると、笑香がドアを少し開けて顔を出した。
「あ、鈴木、入って。中に見せたい物があんの」
笑香はそう言うと、扉を大きく開けた。部室の中に髪の長い少女が一人立っていた。あばた面の。彼女は山本和美だった。
「急げ、静香!」
私はその声で、鈴木翼の背中を突き飛ばして、無理矢理部室の中に押し入れた。すると、笑香が扉を閉めて鍵をかけた。
「おい、何すんだよ!」
鈴木翼がどんどんと内側からドアを叩く。
「開けろ!」
がちゃがちゃと回されるドアノブを見て、私は激しく興奮した。胸がドキドキしていた。
「これで二人がいい感じになるかな」
このことがきっかけになって縁なんかが結ばれればいい。私はそんなことを考え、甘い泥酔に浸っていた。
「何言っているのこれから面白くなるよ。あんたはここで待ってて」
笑香はそう言うと校舎に向かって走っていった。私は彼女が何をするのかわからなかった。ドアが激しくたたかれ、鈴木翼の怒鳴り声が聞こえてきたが、私は聞こえないふりをした。そして、私は、静かに息を潜めていた。やがて激しい怒鳴り声はやんだが、ドアをどんどん叩きながら、外に
「誰か――! 助けてください! 誰かいない?」
という呼びかけに変わった。私はひやひやした。
こういう語りかけばかりで、いっこうに鈴木翼と山本和美が二人で語り合ったりしないので、私はじれて、パニックを静めてやって、彼らを少し冷静にしないとなと考えた。
「十分したら出してあげる」
私が扉に向かって言うと、
「塩野目さん、これはいじめだよ!」という鈴木翼の怒りすぎて震えた声が聞こえた。
私は後は何も言わなかった。私が予想したとおり、直ぐだしてやると言って安心させてやると、二人は必死に助けを呼んだり必死にドアを叩くことを止めた。どうせ出してもらえるなら、少しの我慢と諦めたのだ。
私は二人の恋の気分を盛り上げるために調子に乗って叫んだ。
「さあさあ、二人とも、良いですか、良いことを教えてあげましょう。そこにいる鈴木君は、山本さんのことをどうやら好きらしいですよ。山本さんどうですか? 鈴木君なかなかいい男なんですよ。彼は金持ちですし、秀才ですよ!」
部室の中は無言だった。緊張の圧が伝わってくるようだった。私は中で何が起こっているのか、まったく気にかけなかった。それは、私の野蛮な無法さからくる考えだった。
「こんな狭い中恐くないですか、山本さん。鈴木君、優しく話しかけてやったらどう?」
私は面白くなって、わくわくしながら言った。そこへ笑香が戻ってきた。なんと傍らに王子を連れて、私は彼のいきなりの登場に驚いた。彼が来ることを知らなかったから。
「何で西下大和がいるの」
笑香は私の言葉を煩わしそうに聞いて、王子の肌にすいつくように王子の顔を下から見上げた。
「大変だよ。西下君。あんた山本和美の彼氏じゃんか、やばいよ。知らない男と山本和美が密会しているところを見つけて閉じこめたの」笑香は王子にそう説明して、得意な顔をしていた。王子は不安そうに顔をゆがめた。
私は電気の縄で縛られたように硬直した。こんなところ王子が見たら……。私はぞっと恐くなった。
「開けて」
王子は強く響く声で言い放った。
笑香は興奮してにんまりする顔を隠すように頷いて、鍵を開けにいった。鍵を開ける笑香の手は、浅ましい裏切りを成功させる喜びで震えていた。
ドアが開く。王子は険しい目つきで中をみた。とたんに鼻をすする音が聞こえた。山本和美が静かに泣いていた。すっすっと鼻をすすり、両手で顔を覆っている。彼女の耳は真っ赤だった。そのとき、王子はいきなり和美の傍らに立っていた鈴木翼の頬をぐーで殴った。鈴木翼は床に無様に倒れた。私は驚いて息が詰まった。
「和美に何した!?」王子は鈴木翼に向かって怒鳴った。
「何も!」
鈴木翼は打たれた頬を押さえたまま立ち上がり、下を向いて、私たちに顔を見せないようにしながら震えていた。
「部室でみんなから隠れてこっそり二人でキスしてたんだよ。あたしみた」
笑香は言った。そのときの鈴木翼の引きつった顔。彼は真っ青になって、傷つけられたように目をむいていた。
「嘘! そんなことしてない!」山本和美はヒステリックにわめいた。そして、さめざめと泣いた。
「してない」鈴木翼も一緒になって弁明した。
「ばれるのが嫌でうそついてる」笑香は嫌みったらしく言った。
「何よ、勝手に連れてきて閉じこめて、なんなの?」
苦しそうに涙の嗚咽に喘ぎながら、山本和美は笑香と私を睨みつけた。
「ひどい、どうして嘘つくの?」
「ホントだよ! あたし見たもん」強い声で笑香は冷酷に言った。彼女は本当っぽく嘘をはいた。その嘘を吐くことが彼女の命を削った使命であるかのように。
「ね、静香」
笑いを必死に押さえて、真剣な顔を作っている笑香は、私は見て、こっそり顎をしゃくって合図してきた。
「うん」
私は何も考えず言った。ただ、笑香に見損なわれるのを怖さに、彼女の気に入る言葉を吐いただけだ。私は彼女の友達だった。この計画を実行するものの一人の義務として。だが、その言葉を吐いたとき、私の胸は傷ついた。
王子は鈴木翼を見据えた。その目つきは憎しみで燃えるようだった。私は、恐いと思った。そんな目で見る王子が。鈴木翼も恐怖を覚えたのだろう。王子の視線から逃げるように目をそらし、俯いた。彼は鼻をすすりだした。悲しみと苦痛が彼の胸に宿ったのだ。
「本当に何もしてない! 信じてくれないの大和」
山本和美はとりすがる様に王子のそばに一歩近づいた。王子は山本和美をちらりとみたが、その顔は疑うように曇り、青白かった。自分を信じていないと覚った山本和美は、青ざめ、今にも気を失いそうにみえた。
「私の言葉よりよその人の言葉を信じるのね」
彼女はそう言って、校舎の方へ向かって駆けだした。何もかも諦めて嫌になったかのように。
「和美!」
王子はそんな彼女を追いかけていった。
部室の暗がりの中で、鈴木翼は一人絶望したように泣いていた。私は所在なく鈴木翼を見守っていた。私はどうすればいいのかわからなかった。彼をおいて立ち去ったらいいのか。しかし、彼を放っておくのは冷たい気がして、できなかった。
「いこ」
笑香は私に校舎へ戻るように促した。しかし、私は鈴木翼を置いていけなかった。
「鈴木、ごめん」
彼が王子に打たれて痛い思いをした事への謝罪と、彼をだました事への謝罪をした。
「ふざけんなっ、ふざけんなっ、何してくれてんの」鈴木翼は涙声に言った。
私はいいわけを探した。どうしたら鈴木翼の怒りが収まり、納得してくれるだろう。この計画は失敗だったのか。
「二人が別れたら山本さんと付き合えば」
私は笑香の罪の弁明も考えたばかりに、こんな事が口を出た。笑香はあなたのことを考えてやったの。彼女は悪くないでしょ。そう言いたげに。私は恐ろしく冷酷だと思った。
「ふざけないでよ! 僕はこんなことになるなら、黙って貴方に付いてこなかった! 貴方を信じたのが馬鹿みたい!」
大粒の涙で濁った目で、鈴木翼は私を睨みつけると、その場から走り去った。私は、とんでもないことをしたのではないかと気づいた。
放課後、私は帰宅しようとする鈴木翼を追いかけた。どうしても謝りたかった。鈴木翼に与えたショックが私には不安の種だった。それに、私は、山本和美にも申し訳なく思っていた。彼女の涙、絶望の声。それは私を罪の気持ちで苦しめた。
「あの、ごめん。あんたと山本さんくっつけたかっただけで」
私は許されたくていいわけを言った。
「貴方がやったのはただのいじめ」
軽蔑したように鈴木翼は言った。
「そうだよな。こんなことになるとは思っていなくてごめん」
私は不安でどきどきして胸が張り裂けそうだった。山本和美の涙と王子の怒りと鈴木翼が殴られたときの涙を思い出した。許してもらいたいけど許してもらえないかもしれない。それだけ自分は恐ろしいことをしたの。何かを破壊してしまったの。取り返しのできないことをしてしまったの? 私は喉がつっかえた。
きっと鈴木翼は私を睨んだ。
「思ってなかったとか! 僕は貴方のせいで!」
鈴木翼は憎しみを込めた目で私を見て、その両目には涙がたまっていた。
「応援したかったんだよ。あんたの恋」
鈴木翼は顔をぐしゃぐしゃにゆがめた
「好きじゃない」
「え?」
「僕は山本さんなんか好きじゃない」
鈴木翼は吐き捨てるように言った。
「僕が好きなのは西下の方だ。貴方のせいで、西下に嫌われた。僕はどうしたらいい? もうお仕舞いだ!」
彼は怒りで地団太を踏み、頭をグシャグシャに掻きむしった。
私が黙っていると、鈴木翼は私に背中を向けて立ち去った。私は遠くなる彼の背中をただ、驚きとともにじっと眺めていた。
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