第6話 授業
パッと姿を現したのは高い空の上だった。
雲がほぼ同じ目線にあり、眼下には海。町が見えるとはいえ数キロ離れている。
瞬間移動をしたのだ。
スマイルを抱きしめたまま、はじめは空から落下していく。
「スンバラシイですッ! アナタ、少しずつ使えるようになってきてますネッ!」
「うわっ、わっ……⁉ ほんとにできた!」
瞬間移動したのははじめの意思によるもの。そのためスマイルは心底嬉しそうにその状況を受け入れている。
もっと使える。もっとできると期待すらしていた。
「海の上に移動したいって思ったのに、こんなに高いとは……!」
「フ~ム、まだ精度は高くナイですか? 空想力とは己のイメージをそのまま現実に変える力。思った通りにできなきゃイケませんよ」
「うるさいな! 俺はまだこの状況受け入れられてないんだよ!」
腕を離してはじめがスマイルの体から離れる。
「アッ」と声を漏らしたスマイルだが、彼を追おうとするよりも早く、はじめが勢いよく両手を突き出して拒絶の意思を示した。
「あっち行け!」
「ギャーッ⁉ あっち行っちゃう⁉」
突如生じた衝撃波がスマイルの体を打ち、吹き飛ばした。はじめから遠ざかるばかりかほぼ真横の軌道でどこまでも行ってしまう。
ひとまず離れることはできたがこれで解決したとは思わない。仮にスマイルについて解決したとしても今の状況をどうにかしなければ。
海に向かって真っ逆さまに落下している。
このまま行けば、はじめの体は海に叩きつけられて無事では済まないだろう。
打開策が必要だった。どうにかして無事に着地しなければならない。
「ハァ、フゥ、ハァ……! ヤバいっ。イメージイメージイメージ……! こんな状況でできるかァ!」
強烈な風を全身に浴びながら、一秒、また一秒と海面が近付いてくる。
徐々に死が近付いてくる予感がしていた。
このままでは絶対にまずい。しかしパラシュート無しのスカイダイビングなど一度としてしたことがない。冷静でいられるはずもなく、激しく動揺するはじめは必死に自分が何事もなく着水するイメージをしようとするのだが、頭の中は真っ白だ。
「ぐっ……⁉ ヤバい! 瞬間移動とか、なにか、イメージを……!」
轟々と風の音がうるさく、全身に走る衝撃も普段の生活では感じないものだ。
努力しても冷静になれないはじめは感情のままに思わず叫んだ。
「くそっ! せめてゆっくり落ちろって!」
そう言うと、落下するスピードが徐々に緩やかになっていき、「えっ」と思ってから数秒と経たずに落下しているのか否かすらわからないほど遅くなっていた。
信じられないほど緩やかに落下し続けている。
自らが望んだ状況とはいえ、はじめはぽかんとしてしまった。
「お、おおぉ……浮いてる? 落ちてる? とりあえず助かった、のかな……」
「ン~優雅ですネー。空中散歩は初めてですカ?」
「うわっ⁉ 戻ってきた⁉」
気付けばはじめの隣にスマイルが居た。その体もまたふわふわと浮いているように見えて、少しずつ落ちているようだ。
普通の状況とは思えないが、とにかく隣に居たい人物ではない。はじめははっきりと拒絶する。
「帰れ!」
パッとスマイルの姿が消えてしまう。
その直後、再びパッとスマイルの姿が現れた。
「帰らない!」
「うわっ⁉ また戻ってきた!」
「エエ戻ってきますとも! お友達になりませんか!」
「嫌だ!」
「エエッ⁉ ショック~!」
空中で徐々に落下しながら他人と会話をする。
初めての経験にして、あり得ないことをしているつもりだった。
それでも少しずつ状況を呑み込み始めたはじめは、自らにあると言われた力を理解しようと努めていた。
「ハァ、何がなんだかわからないけど……とりあえず、俺にはその空想力っていうのがあるらしいな」
「エエ、その通り。ただしアナタの力はまだ目覚めたばかり。ワタシに勝てるほどではありませんネ」
「別に戦いたいわけでもないよ……」
はじめはちらりと遠くに見える町を確認して、ヒーローならばここまで来られるかもしれないと思いながら、加勢を望むのはやめた。
第三者が入ってこようとおそらくスマイルは止められない。無駄な犠牲を生むだけになる可能性が高いとすら読んでいる。
この場は自分ひとりで、自分の力で解決する必要がありそうだ。
「俺は、あんたと一緒に行きたくないし、友達にだってなりたくない」
「エェ~直球ッ⁉ 心に刺さるッ!」
「この町で普通に暮らしてるのが好きなんだ。誰も傷つけてほしくないし、簡単にみんなを傷つけるあんたに居てほしくない」
「ンフ~ッ。堂々巡りですね。では解決策を求めましょう」
スマイルが一瞬黙り、考えたのか、改めて提案をしてきた。
「こういうのはどうでしょう? 空想合戦」
「は? ……何?」
「アナタ、人を殺したことないんでしょう? しかもそういうこと自体嫌がってる」
「そりゃそうだよ。普通の学生なんだし」
「空想力を持ってる人間が普通の学生なんて。フゥ~やれやれ。プゥ~」
「な、なんだよその反応」
楽しげではあるが嘲るようでもあり、上機嫌なのは間違いない。
スマイルはずいっと身を乗り出してきてはじめに言う。
「空想力を持つ我々は、古き人間が言うところの神になれる存在。全知全能、願うだけで全てを変えられる。我々は夢の中に生き、現実のありとあらゆるものを思いのままに掌握できる。これを本当の“最強”と言うのですよ」
「それは、すごいと思う。でも俺は神になりたいなんて思ったことがない」
「なれなければこの町が滅びるとしてもですか?」
突然の発言にぞっとする。その瞬間にはじめの表情が変わった。
「ワタシと空想合戦してみまショ♡」
「脅迫じゃん……! やるって言う以外ないだろっ」
空中でぴたりと静止し、スマイルが構えた。
もはや有無を言わさぬ脅迫でしかない。嫌だと言っても強行するつもりだろう。
仕方なく反応したはじめは、思わぬタイミングでぴたりと空中で止まり、完全に落下しなくなった。
空中に浮遊するという、これまでに想像すらしたことがなかった状況で、おそらく人生で初めて出会うだろう敵と対峙する羽目になった。
自信もなければ冷静にもなれていない。しかしやらねばならない状況にある。
少なくとも今わかっていることがある。
空想力は、イメージしたものを現実に生み出す力。
この敵は放っておけない。
スマイルを相手に町を守れるのは、おそらく自分しか居ない。
空想合戦どんと来い。そう自分を鼓舞して向き合うしかなかった。
パチンと指を鳴らされた。
スマイルが左手をはじめへ伸ばしている。
「まずは小手調べ。爆発します!」
宣言の直後、もう一度パチン。
ぎょっとした顔のはじめが突如発生した爆発に包まれた。轟音が鳴り響き、空中で閃光と爆炎と黒煙を生む。
常人ならば、もしくはまともに受けていたなら、間違いなく体がバラバラになっているだろう威力。
さて、どちらだ、と注目する一瞬。
爆炎が消えて黒煙が晴れる頃、そこには五体満足で無傷のはじめが浮遊していた。
「あっぶな……⁉ 殺す気か!」
「まさかそんな! 生きてると思ってました!」
どうやったのかは知らないが攻撃はそもそも届いていない。
もう一発。そう思ってスマイルが左手を向けて、指パッチンをしようとする。しかしその動きを見たはじめが嫌がり、彼も負けじと手を伸ばした。
「やめろ! 撃つな!」
鳴らそうとしていた指がビタッと止まる。動かそうとしても動かない。というより指その物は動かせるのだが、指パッチンだけができなくなっている。
ただの予備動作でしかなく、念じれば爆発は起こせるか。そう考えたスマイルだが爆発その物を発生させられなくなっていることを察した。
なんでもできる空想力を、防御や回避にのみ使用している。
スマイルにダメージは与えられていないとはいえ、能力の一部を封じていた。
その事実に気付いた時、スマイルは思わず総毛立った。
「スンバラシイッ! ワタシの空想力に干渉するなんてッ!」
言い終わると同時にスマイルの体が後方にぶっ飛ぶ。
痛みは一切ないが打たれたかのように飛ばされ、勢いは止まらずにどんどんはじめから遠ざかっていく。
「もっと沖まで行け!」
「ヒェ~ッ⁉ 行きたくなーいッ!」
叫んだ途端に体が止まった。止まったのではなく止めたのだ。
体勢を整えたスマイルはすかさずはじめを指差す。
「男のロマンはァ~……ドリル!」
何もない空間から突如ドリルが生まれて、スマイルが右手に装着する。
エネルギーなど無視して高速回転を始めるそれは立派な凶器。人体に突き立てれば肉をねじ切り、飛散させるだろう。
「おわかりいただけますかッ!」
「ええっ⁉ わからない!」
「そんなァ⁉」
スマイルが一直線に飛行してきて、ドリルを前へ突き出してくる。間違いなく直接攻撃を狙っている姿勢だ。
接近されるとまずい。はじめはやはり防御と回避のみを考える。
戦闘どころか喧嘩の経験すらないせいだ。敵対していても「お互い無事ならその方がいい」と考えているらしい。
「俺は、正直……ドリルにロマンを感じたことはない!」
「なんですってェエエエエエエッ⁉」
ドリルがひび割れ、甲高い音を立てて粉々になる。
攻撃と呼ぶほどではないが確かな妨害。せっかく作った攻撃用の物質が粉々にされてから消失してしまった。
ならばとスマイルは更なる武装を作り出す。
準備の時間など一秒さえ必要ない。瞬きする間にすでに装備していた。
「これならどうですッ! 六枚の翼! 鋭い爪! でっかい剣! 目からビーム!」
「かっこいい! でも……タイプじゃない!」
「エェエエエエエッ⁉ 難しい子ッ!」
装備した物が次々に破壊され、発射されたものは跡形もなく消えていく。
たかが防御と言ってしまえばそれまでだが、着実にスマイルに対応している。
本人に攻撃しようという意思がないため、攻撃にこそ使用できていないとはいえ、眠っていたはずの力が目覚めつつあるのは間違いない。
しかしこのままでは埒が明かないとはじめ自身も危機感を覚えている。
スマイルが攻めて、自分が防ぐだけ。これではいつまで経っても終わらない。
攻撃する、誰かを傷つける、そういったことに対する躊躇いはある。だがこの状況に対する苛立ちや憤りを感じてもいるのだ。
スマイルに手を向けて空を掴み、ぐいっと下へ引っ張った。
「ドカドカバカスカ撃ってきて……! 一回海でも入って頭冷やせ!」
「ウワァーオッ⁉」
ぐんっと勢いよく引っ張られる感触で、重力をかけられているわけではない。逆らえないほど強い力だ。
凄まじい勢いで落ちたスマイルは頭から海に突っ込み、高い水柱を立てた。
空中に浮いている体がふらりと揺れた。
これまであまり意識しておらず、いつの間にかなんとなく浮いている状態だった。しかし意識すると異常な状況だと思ってしまう。
落ちないようにと意識しつつ、眼下を眺めると海面からスマイルが顔を出した。
「ちゃんと冷えました……なのでお返しに!」
両手をはじめに向けて伸ばし、指を広げて空を掴む。
スマイルもまたぐいっと引っ張ったのだ。
「ご一緒にどうぞッ!」
「うわっ、あっ――⁉」
全く同じ軌道、同じ速度で、今度ははじめが海まで引っ張られる。
どうにかしようともがいたが止めることができずに、叩きつけられるようにして海中へ放り込まれた。
海面付近では勢いは止まらず、さらに深くまで引きずり込まれていく。
泳ぐわけではなく、動作も必要とせずに勢いをつけてスマイルが直進してくる。
追撃は行わない。はじめは手で口元を押さえ、苦しんでいたからだ。
水中で呼吸ができない彼を見てスマイルが両手を広げて言う。
「エラがなくても呼吸ができる! 喋ることもできる! これが空想力! 思ったことはなんでもできる!」
はじめはきつく目を閉じて耐えている。
その姿を見てスマイルは「ウーン?」と首を捻った。
「オヤァ? やらないんですか? 成長してきたかと思ったんですけど、まだそこまでの練度は――」
疑問を口にしている最中だった。はじめの真下に、突如巨大な影が出現する。
全長およそ100メートル。カニの爪と、タコの足を持つ、巨大な魚が頭の上にはじめの体を乗せて浮上する。
大量に水を跳ね上げて海面から顔を出し、ようやく彼は呼吸ができた。
「ぶはぁっ⁉ げほっ、えほっ……!」
「ギョギョギョギョラァ!」
「ハァ、水生怪獣……? 俺が呼び出したのか……」
「スンバラシイッ! まさかこんなものまで作ってしまうなんて!」
気付けばスマイルが宙に浮いてはじめと、彼を頭に乗せる怪獣を眺めていた。
落ち着く暇もなくスマイルが大きく腕を振るう。
「で~も~気色悪いので却下! 刺身ですッ!」
「ギョギョロォオオオオオオッ⁉」
「あっ⁉」
巨大な怪獣がきれいに五分割された。悲鳴を発して血を噴き出す。
「なにすんだ! 怪獣だけど、流石に可哀そうだろ!」
はじめが叫んだ直後、分割された怪獣の体が勢いよくくっつき、斬られた事実など存在しなかったかのように傷が消える。
当然、生きている。怪獣ははじめを乗せたまま喜ぶように絶叫した。
「ギョギョギョギョギョッ! ギョギョギョラァ!」
「スンバラシイッ! 確実に殺したはずなのに完璧に治療されている! これで死なないだなんてスンバラシイッ!」
「ギョラァアアアアアアアアアアッ‼」
「ウルセーッ‼」
自分自身でも状況を理解できていないものの、なんとか張り合えている。
ただこれがいつまで続くのか。
気付けばはじめは息を切らしており、心なしか体もだるさを感じている。
「ハァ、ハァ……どうすれば終わるんだ、これ」
「そんなの決まってるでしょう! アナタがワタシの仲間になるか、アナタがワタシを倒すか、どちらかしかあり得ません!」
「倒す……倒す、か」
改めて覚悟を強いられている。
ただ、近所の人々を一時的とはいえ殺した相手を、今もなお傷つけることを拒んでいることも自覚している。
心の底では拒んでいるとはいえ、スマイルを前にしてそんなわがままが通用しないのはすでに心から理解していた。
「……やれって言ってんのか」
「エエ、その通り。イメージとイメージのぶつかり合い、空想と空想の戦争……! これほど心躍ることはありませんね! アナタももっと進化する!」
歓喜し、心が震えている様子で、スマイルは両手を広げて天を仰いだ。
「ワタシの望みは空想力で新たな世界を作ること! そのためには強い空想力の持ち主が要るのです! ぜひともアナタも一緒に――!」
最後まで言い切る前にパッと姿が消えた。
手を向けたはじめが空想力を使い、消したのである。
「勝手にやっててくれ。俺は興味ない」
「なんのまだまだァ!」
「あーもうっ! 帰れよ早くゥ!」
消したと思ったらすぐにまた現れた。同じ地点に現れたスマイルはやはり無傷で、問題なく空想力も使えるためすぐに帰ってこられる。
そう考えた時、ハッと気付いた。
追い返しても帰ってくるのなら空想力自体を封じ込めてしまえばいいのでは。
試してみる価値はある。というよりそれ以外の方法が思いつかない。
光明が見えたと判断してはじめはその気になった。
理屈も何もあったものじゃないが、理屈も何もあったものじゃない力なのだ。
考えるだけでどうにかなるなら自分でもどうにかなる。
疲れはあるものの、まだ限界を迎えていない今やるしかない。
「ふぅー……やってみるか」
「その意気ですよ~ッ! フレーッ! フレーッ! ファイオーッ!」
「ギョロォオオオオオオオオッ‼」
「ウルセーッ‼」
腹はくくった。やるしかない。
はじめは表情を引き締め直した後、自身が乗る水生怪獣の頭に手を置いた。
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