第4話 開始

 町にけたたましいサイレンが鳴り響いた。

 それは普段聞くことがない音の種類。怪獣の出現や犯罪者が暴れ出した時とはまるで違う、耳をつんざくような音色と大音量である。


《S級アラート発動! 市民の皆様は今すぐ避難してください! 絶対安全領域まで避難をお願いします!》


 かつて聞いたことがないアナウンスを耳にしながら、はじめは走っていた。

 自宅へ向かっていたため近辺は住宅街。あちこちから住人が現れて、誰しもが同じ方向を目指している。


 目的地は町の中心部。“塔”とその周辺は絶対安全領域と呼ばれており、理屈は知らないがとにかく安全なのだという。

 S級アラートというのも初めて聞いたが、おそらくそれほど危険な存在が現れたと言いたいのだろう。

 その危険が先程の“スマイル”であることは、はじめだけは理解していた。


 スマイルが何であれ、とにかく近付くのは危険だと判断した。

 遠ざかるために走っていたはじめだが、突然パッと目の前にスマイルが現れる。


「バアッ!」

「うわっ⁉」

「アハハハハッ! ビックリした! びっくりシタァ!」


 本当に忽然と、予備動作も何らかの反応もなく、パッとその場に現れた。適した言葉を探すのならば瞬間移動だろうか。

 音もなく現れたスマイルははじめの前に立ち、両手を広げて道を塞ぐ。


「ヒドイじゃないですカ! ワタシを置いてイクなんてッ!」

「お、俺は、どこにも行かない……! この町が好きだし、俺を殺したんだろ!」

「まあソウですケド。アナタ、わかってるんデスか? イヤわかってるハズない!」


 はじめは駆け出してスマイルの腕の下を通り抜けた。

 話すのに夢中になっていたのか、スマイルの反応は遅く、通り過ぎた後でようやく振り返ってはじめを確認する。


「我々は選ばれた存在! 特別なのです! こんな偽物だらけの世界じゃなくて――アレ? オヤ? 消えまシタ? 一体ドコへ……走ってるんカイ⁉」


 最初こそ面白いと思ったがとんでもない。今や見た目にも言動にも恐怖しかない。スマイルの立ち振る舞い全てから恐怖が感じられる。

 はじめは振り返らずに全力で走っていた。

 周りには自分と同様に急いでいる人々が居るが気にしていられなかった。


 気にせずにいられなくなったのは嫌な音を背後に聞いたからだ。

 ブシャッ、と地面や家の周りにある塀に液体がぶちまけられた音を聞いて、嫌な予感がして振り返ったはじめは真っ赤に染まった辺りを見る。


 両腕を振り抜いた状態で立つスマイルが居た。

 近くには倒れた人間、或いは人間だったものが散乱している。


「オヤ? マダ呼び止めてまセンよ? これはウルサイから静かにしたダケで……」

「やめろ⁉」

「エェ~? デモうるさいですシ……マア確かに、ヒドイですからネ。サスガにこういうのはヤメタ方がイイのかもしれない」


 はじめは瞬間的に察して駆け出していた。

 こいつがやめるわけがない。

 何ができるわけでもないが咄嗟にスマイルへ向かって走り、飛びついてでも止めようとする。しかしスマイルはそれより先に両腕を振るう。


「だが断る!」


 直後、周辺の至る所から金属がぶつかるかのような、甲高い衝突音が無数にした。

 「ンッ⁉」とスマイルが顔を上げて確認すると、悲鳴を上げて逃げようとしていた人々は一人たりとも死んでいない。

 遅れてはじめが飛び掛かってきて、スマイルに飛びつくと地面へ押し倒す。


「やめろ! 俺以外を狙うな!」

「ムムムッ⁉ 防ぎましたネ! アナタの空想力で!」


 意外にも抵抗なく倒れたスマイルは仰向けになり、はじめにのしかかられていた。

 だからといって安心はできず、はじめは必死に両肩を掴んで押さえる。


 こいつが誰で何であれ、放っておくのは危険だ。

 自分は逃げてはいけない。おそらく向き合っている限り無駄な殺生をしないはず。

 はじめはスマイルと向き合うことを決め、激しく動揺しながらも吠えた。


「空想力ってのはなんだ! お前はなんなんだ!」

「そのままの意味ですよ! 空想したものを現実化する力! 頭の中でイメージするだけで現実を書き換える! 我々こそが真なる人間!」


 スマイルの叫びにぞっとした。

 自覚はない。だからこそなんの話をしているのか理解できない。しかしどうやらスマイルは本気でそう思っているようで、押さえつけられた現状をなんとも思わずに、常に楽しそうに語っている。


「こんな偽物の世界いらないでしょう! アナタはワタシと一緒に来るべき!」

「勝手に決めるな!」


 辺りからいくつもの悲鳴が重なって聞こえてくるが、みんなが今すぐこの場から離れようと走っているのはわかる。

 顔を上げたはじめは周囲の状況を改めて見る。


 一面を赤く染める血液と、動かなくなった十人足らずの人間。

 正しい形をしていない者も居る。

 彼らは今、死んだのだ。スマイルが腕を振っただけで。

 改めて見ただけで呼吸が乱れ、全身の血の気が引く。はじめは激しく動揺した。


「殺したのか……? あの人たち……」

「そりゃあソウでしょう! ダッテ死んでるんだモノ!」


 つんと香る、体を包むかのような血の匂い。気分が悪くなったはじめが胃から逆流してくるものを感じ、反射的に手で口元を押さえて俯いた。

 おそらく、それとは無関係だったのだろう。彼の下に居たはずのスマイルがパッと消えてしまって居なくなる。


「うっ……⁉ ハァ、おえっ……」

「別にいいでしょうこんな奴ら! どうせいくらでも増やせるんですから!」


 気付けば空に居たスマイルが大きく両腕を広げている。

 何かするつもりなのは間違いないが、もはやはじめの手が届く位置ではなく、吐き気を覚えて具合を悪くしており、声をかけることすらできない。


 スマイルが体から光を放ち始める。何をするつもりなのか、その光が何を意味するのかはわからないがとにかくいいことでは絶対にないと断言できる。

 しかし今やはじめがどうにかできる状況ではない。

 彼は激しくせき込みながらただ見上げることしかできなかった。


 見ていたからこそ、辛うじて視認できた。或いは状況から察することができた。

 高速で動く何かがまっすぐにスマイルへ接近したのである。


「力を目覚めさせるにはショックを与えればいい! こんなくだらない町に執着してるなら今すぐぶっ壊して――!」

「くだらなくなんかない!」


 バンッと空気が破裂するかのような音を伴い、ヒーローが現れた。

 まっすぐ接近してスマイルに激突すると、勢いよく吹き飛ばされたスマイルが情けない悲鳴を発していて、衝撃を受けた途端に光が霧散している。


「ヒャアアアアアッ⁉ ナーンですかッ⁉ ドーしてですかッ⁉ 困ったモンですよモウ誰ですかッ!」

「これ以上はやらせないぞ! そのために私が居る!」


 スマイルはキキーッと音を立ててブレーキをかけ、空中で静止する。

 “ホワイト・オーダー”に属するヒーローが到着していた。

 青い意匠を施した黄色いボディスーツに筋骨隆々の肉体を押し込んだ、長い金髪の大男である。彼はにかりと笑ってスマイルと対峙した。


「レスキューヒーロー“マンパワー”参上! これ以上の悪事は許さんぞ!」

「ナァ~ンですかアナタはッ! カッコイイ!」

「私はマンパワー! この町を守る者だ!」

「アラすごい! だったら邪魔にナリそうですネェ」


 両者は空中で向き合い、どちらも退こうとはしなかった。

 彼に用はないはずのスマイルだが、今は一時はじめのことを忘れ、マンパワーに集中し始める。そうしなければならないというより単なる気まぐれ。邪魔者を排除しようという動きでしかない。


 対するマンパワーはレスキューヒーローを名乗る通り、チームの中でも率先して救助活動に従事するヒーローである。しかし同時に高い戦闘力を誇り、チームでトップクラスの強さを誇ってもいた。

 S級アラートという前代未聞の事態に、自らが敵を討たねばならないと判断して、誰よりも早くそこに現れたのだ。


「私の仕事は、己を守れぬ者たちを守ること! これ以上誰にも手を出すな!」

「ウ~ン、カッコいい! イツの時代もヒーローって勇敢なものデス。デモ、アナタは必要ないんですヨ」


 スマイルの声が低く、つまらなそうな声色に変わる。はじめを前にした時とはまるで違っていた。

 雰囲気が変わったがマンパワーは笑みを保ったまま、スマイルに向けて突進した。





 スマイルとマンパワーの戦いが始まったその真下、ブラックホールが到着した。

 ふわりと地面に着地して辺りを見回す。

 大量にばら撒かれた血と、その近くで蹲っているはじめ。外傷は見られない。何があったかを理解するのは難しかった。


「少年……こんなにすぐ再会するとはな。何があった?」

「あ……ブラックホール。えっと、なんて言えばいいのか……」


 彼は呆けていた。周囲の状況を考えれば当然だろうと思う。なんせ誰のものかわからない血が大量にぶちまけられているのだ。

 その周辺には十人足らずの人間が居る。男性も女性も、子供から老人まで、おそらく近くに住んでいるだろう人々がぽかんとしていた。


「あれ……? 俺、何やってんだ?」

「きゃあっ⁉ なにこれ! 血⁉」

「あっ! はじめだ!」

「はじめ、いったい何があったんだい? なんだかこの辺りは臭いねぇ」


 知り合いだったのだろう、周囲に居た人々がこぞってはじめの下へ集まってくる。

 ブラックホールに反応したのはそのあとだった。

 何が起こったのか。理解できずにいるブラックホールははじめに手を貸して、立たせてから改めて尋ねる。


 少なくとも簡単に見回した限りでは怪我人はいないようだ。逃げ遅れた人々なのだろうと想像する。

 そう思ってはじめの顔を覗き込むと、彼だけは大きく動揺していた。


「どうした? 大丈夫か?」

「あ、はい。体は特に何も。ちょっと気分悪かったんですけど……それも多分、今は大丈夫です」

「落ち着いて話してくれ。何があった? この血は誰のものだ?」

「みんなの……俺にも何がなんだか、さっぱり……」


 はじめは呆然としている。今話を聞くのは無理かとブラックホールは判断した。


「わからないんですけど、ただ」


 とにかく避難を優先させようとした時、はじめが呟いた。


「もしかしたら……知らなくていいことを、知ったのかも」


 彼が何を指して言っているのかはわからない。ただ今は全員を避難させるべきだと思ったのだ。

 ブラックホールが先導して、その場に居た十人そこらの全員を連れていく。

 その中にははじめも居たのだが、彼だけは空に居るスマイルを常に気にしていた。

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